今、何かを学んでいますか?
子どもの頃や学生時代には、学校という「学びの時間」があります。大人になると、学びの内容や方法は変わりますが、ご自身で「今、学んでいる」と認識するものには、どのようなものがあるでしょうか。
習慣的に、楽にやり続けられる学びもあるでしょう。学びから得るものを実感したり、その恩恵を感じたりしている人もいるかもしれません。
一方で、近年は学ぶ機会やゆとりがなく、学びから遠ざかっていると感じることもあるでしょう。
また、苦労や災難など、いわゆる負の経験から学ぶこともあります。ストレスや苦労を感じながらも、何らかの目的のために学び続けることもあるでしょう。
ときには、人生の半生をかけて、苦しい修行を経て学びを得る道を進むこともあります。苦行があってこそ、学びが深まるように感じられる道です。
思想や信仰の分野では、決して楽ではないことを継続することで、深まる学びや至福、ある種の境地に至ることがあります。実際にそれらを経験することと、ここで概要としてとらえることの間には、多少の隔たりがあるかもしれません。
しかし、多くの場合、何かの目的のために深く学ぶには、自他ともに「それは楽ではない道のりだ」と認識されています。
さて、このような「苦しみ」と「学び」にまつわる通念は、多くの人が実体験の有無にかかわらず、どこかで共有しているものです。
楽をしたら学べないのではないか。
楽しく学んだものは、しっかり身につかないのではないか。
苦労したからこそ、本物の学びになるのではないか。
そうした感覚です。
ところで、現在行っている下半期リーディングのセッションでは、馬力、つまりパワーを引き出すこと。そして、その馬力を上げる、磨くことになぞらえて、リーディングを進めています。
あるクライアントさんの場合、「知性や知恵を高める馬力を出す」というテーマでは、「学ぶこと」「探究すること」が示されました。
一方で、その馬力を上げ、磨いていくためには、次のような示唆がありました。
「苦しみを通じて学ぶ習慣が強いと、自分で考えて学ぶことが苦手になるかもしれない。言われたことを学ぶ、ということは身につくだろうが……」
そのとき、「苦しみを通して学ぶ」というセイクリッド・アクティベーションがあることを思い出しました。
たしかにこれは、多くの人が共有している感覚といえます。個人的な苦悩にも、歴史的な苦悩にも、どこか重なるものがあるでしょう。
苦しみから学ぶプロセスには、時間や忍耐力を要します。その過程で、さらに苦しみが上乗せされることもあります。
そのような経緯で紡がれた学びは、「集合意識の中にエネルギー的な病気を作る」と言われています。苦しみによってエネルギーの流れが滞り、病んだ状態をつくっていく、ということなのでしょう。
苦しみの状態が続くと、人はそこから救いや境地を求めながら、苦しみを受け入れる道へと向かうことがあります。
そして、それが今度は、ある種の神性に近づくためには苦しまなければならない、という信念につながりやすくなります。
黙って苦しむことが正義であり、良い生き方である。
そのような条件づけにも関係しがちです。
たしかに、苦難や苦行を経て、学びや達成感を獲得していく段階は、私たちの成長過程の初期にはあります。
一方で、喜びや好奇心、ワクワクする感覚、イキイキする感覚とともに学ぶこともできます。

そして実際のところ、学びの方法やプロセスは、自分自身が自由に選択してよいものです。
特に近年、革命的な技術進歩が進むなかで、「楽をして学ぶこと」を否定する集合意識は、少しずつ旧いものになっていく可能性があります。
苦難は学びの糧になるのか。
その質や役割は、これから大きく変容していくのかもしれません。
苦しみに対する感度や、苦難への耐性は人それぞれです。
ただ、あらゆる学びに対して、いったん「苦しみを美徳とする観念」から離れてみること。そして、学び方は選べるのだと心に留めておくこと。
それは、エネルギーのエコにも通じるものです。
先ほどのクライアントさんの場合、苦しみを通して学ぶことは、「習うことを学ぶ」という受け身の姿勢につながっていました。
もちろん、習うことそのものが悪いわけではありません。ただ、学びに関わりながら、自分で工夫したり、自分で考えたりする態度は、苦しみのなかでは疲弊しやすいのです。
また、我慢強い人ほど、苦痛があっても「ここには学びがある」「少しは進歩している」と感じると、その苦しい状態を続けてしまうことがあります。
もはや、現状を冷静に把握する思考が働きにくくなっているのかもしれません。
もし、学びや努力に見合う成果や納得感がないなら、違うアプローチを試してみるのもよいでしょう。
喜びや楽しさを通じて学ぶこと。
あるいは、まったく新しいやり方を採用すること。
それもまた、立派な学びの選択です。
この地球上には、苦行が神格化されるような物語や遺跡が、あちこちに見られます。それらが果たしてきた役割と、あなたが今、何かを学ぶこととは、目的も状況も大きく異なるはずです。
特に、学ぶことそのものを目的とするのではなく、学びのエッセンスを人生の糧へと変えていくなら、学び方の選択そのものを楽しんでみるのがおすすめです。
苦しみを通じて学ぶこともある。が、苦しみだけが学びの道ではありませんね。
あなたの知性や知恵は、もっと自由に、もっと軽やかに、育っていくことができるでしょう。





















