「それ」って何?とツッコミが入りそうですね(笑)
「あれ」「これ」「それ」と日々、私たちが何かと気にかけ、案じたり、どうにかしようとして、意識を向けている様を指します。
必ずしも、イメージするところの愛や思いやりのような温かいエネルギーを向けているとは限らないでしょう。
しかし、それらも含めて、愛の一端やプロセスと呼ばれるようです。
Nさんは、日頃は無難に関係のよいお兄様について、心配の余り、思うようにやってくれないことがイライラする、とのこと。
Nさん「これまでお互いに無難な距離をとっていました。仲や良いほうだと思います。このところ、兄の体調とか、仕事や生活が心配です。自分にいろいろ言ってくるので、私も教えてあげてはいるのですが。こちらのほうが疲れてくるんです」
お兄様のことだけでなく、他人のあれこれ、過去に気掛かりなままのこと、仕事や世の中の問題、この先の将来について、何かと気になっては疲れてしまうご様子でした。
Nさん「うまく言えないんですが、『地球』に住んでいると疲れるなぁ、と思いまして(笑)それで、『故郷の惑星』に繋がれたらとても癒されそうな気がします」
確かに地球暮らしから夏休みを取るくらいの感覚で、体験していただくと良いかもしれませんね!
誘導瞑想やタイムトラベルセラピーは体験したことがあるNさんは、少しだけ意識の波動(波長)変えるよう誘導を進めていくと、スターゲートを通過し、「故郷の惑星」に移行していかれました。
Nさん「まだ何も見えてはいない空間にいる感覚ですが・・・・〈それが愛〉という言葉が浮かんできた?聞こえてきた気がします」
それが、とは何を指しているのでしょう。
とかく、地球での会話や思考の構築よりも意識が広がると、主語が曖昧になります。
それだけ全体性、一体性につながっておられるでしょう。
Nさん「〈それ〉をうまく言葉で説明できないんですが、故郷の惑星では〈それが愛〉というのが奥のほうでわかるんです。細かく分けちゃうと(おそらく分離のこと)愛が感じにくくなる、と。
兄のことを思って、気を揉んで、イライラしてしまうことも(含めて)全部は大きな愛なんだ、ということみたいです。うまく言えないんですが」
このあたりはNさんのエネルギー領域では非常にリアルに腑に落ちる実感を味わっていらっしゃるようでした。
そのほかにも体験が続き、意識をココに戻してから・・・
Nさん「最近、すごく自分が小さくなっていたんだと思います。小さくなると今回の兄に対してみたいに、相手のことを思っているつもりで自分の殻や先入観にこもって、イライラ辛くなってるかもしれないです」
一部や一端には、包括する全体と同じような一体性があります。
それは、たとえば、ミクロサイズの細胞の中のDNAを調べたら、その人の人体に関する情報がわかるように、ほんの一部だけれど全体が集約されています。
状況としては、一つ、一つの出来事、問題や悩みのような性質のものは、全体や一体性をギュッと象徴した断片だけを見せたり考えさせています。
「それ」に意識を向けて、私たちのマインドは感情を感じ、あれこれとジャッジしがちですが、そのプロセスも入れ込み済みで、本質を表しているのでしょう。
全体や本質のなかにいながら、感情やマインドや、ある基準における価値観からは、ネガティブや悩ましいものに感じますが、それも全体・本質のなかの覚醒やシャッフル的な作用のようです。
結局は、とある基準における判断を超えたところで、すべては上手くいっているようです。
「どうにかしなければならない」と否定するような、悪いと思しき事態があったとしても、そこに意識やエネルギーや行動を注ぐことは愛でありつつ、本質に任せておけば大丈夫(なんとなっていくもの)なシステムのようです。
ときには、事勿れ主義や無関心、批判したり正義を問うて苦しむことも、愛という全体性からみれば一端や一部であり、なおかつ、全体を象徴しています。
なにひとつ不必要なものはなく、全体性や本質としてみなす愛(創造主)からすれば、すべては自然の法則に適っているかもしれません。
必要・不必要という定義は、人類の知性が都合創造したひとつのフレームです。
時代や都合で、それなりに変わりますが。
・・・なんか知らんけど(笑)
どうやら「故郷の惑星」に還る体験では、ふつうの会話の意識領域に戻ってくると、感覚の違いがよくわかるようです。
Nさん「ふだんの意識とのギャップ感が一番面白かったです!兄のことだけでなく、大きな勘違いがわかった気がします。私の場合、故郷の惑星というより、「故郷の星」は自分の中にあると教えてもらいました」