精神世界や心理の側面から人間を観察するとき、「恐れ」は往年のテーマです。恐れが文学や芸術の中で表現され、それがオブラートに包むように私たちに「恐れ」について考えさせるような営みは多々あります。
ふだんは個人ベースの「恐れ」についてセラピーで扱うことはしばしばありますが、災害、戦争、そして現在のようなパンデミックの最中にあるときは、集合意識として恐れが蔓延しています。
その恐れが、最近耳にするようになった「正しい恐れ」や知性を使えるレベルの恐れなら落ち着いて受け止められるでしょう。しかし、厄介なのは低級な恐れです。恐れに上下があるのか?と言われそうですね。一般的な生活を送れている私たちにとって、自分で制御できるのは上級な恐れ、どうにも制御が効かないのは低級な恐れです。低級というのは、低い分子構造のため、物理的に動かす力があります。しかも非常にパワーがあります。多数の低級な恐れの集まりは、とてつもない重量を動かします。低い恐れと、ある種の力が結びつくと、手がつけられなくなります。
低い恐れのなかでも、最も低い恐れは、恐れがなくなることが恐れになります。
低いに対して、高いほうの恐れは、その領域の価値観において恐れのない世界を望みます。平和なとき、私たちの多くはここに属しているでしょう。ただ、私たちの多くは、無意識にも日和見的な反応や行動を取ります。低い恐れが強くなれば、そちらに従い、高い恐れにリードされれば、ハタと恐れの相手をすることをやめられます。
どっちつかずな日和見は、ちょっとずるいように思えますが、これは生物界では自然なことで、たとえば免疫が落ちたときにふだんは日和見だった細菌やウィルスが悪さをして症状を出します。だから人もそういう性質があるのは自然の生き物である証かもしれません。
一般的に恐れのもたらす特徴を挙げてみたいと思います。ちょうど昨夜「396HZ トラウマ・恐れからの解放」というオーディオセラピー体験会を行い、そのときに使った資料の一部です。これは、普段でも難事でも普遍的に当てはまるポイントです。いくつかはご自分の傾向に当てはまる要素かもしれません。
【恐れの特徴】
・自由意志を奪う
・恐れの連鎖を起こす
・コントロール(支配)が起こる
・時間の概念が主観的で、特定の恐れの地点で止まる
・作られた事実を好む
・知性や創造能力(クリエイティブ)が発揮できない。または否定する。
・愛を疑う
歴史を振り返り、世界的に戦っていた時代(大戦、感染症 etc)に見てとれます。今の新型コロナウィルスの感染拡大にも当てはまる要因でしょう。
精神世界やスピリチュアリズムの浸透で、「恐れは幻想」、実体がないことは、だいぶ知られてきていると思います。もしご存知でないとしたら、心に留めておくだけでかなり恐れを伴う不安や心配から解放されます。
恐れは、誰も本当は見たことはないのに存在を信じている、という生物なのか、非生物なのか、その中間のような存在です。恐れが力を増すと、まるで生き物のように感じられますし、恐れが弱ければ、まさに「気のせいだ」と気持ちを切り替えることが簡単にできるでしょう。
なんだか、この「恐れ」の特徴は、ウィルスの生態に共通しているようにも思えます。
ウィルスも、現在の生物学の定義づけでは「非生物」または「生物と非生物の中間」のような存在だと言われます。私たち人間のような生き物や、単細胞生物まで遡っても持ち備えている細胞を、ウィルスは持っておらず、細胞を持つ(たとえば人間)生き物に入り込み、増殖します。
その生態と、相手が見えない、という点でも、恐る対象になりますね。
恐れそのものを、この世(地球)から取り除けないように、敵となるほかの生物や生息物を排除することは戦いを重ねるか、人の持つ智恵を使い、恐れを乗り越える「進化」を促進することでしょう。
恐れの中にいるときは、ほとほと知性も智恵も働きません。進化より、むしろ停滞や後退に向いがちです。
恐れは、生物と非生物の間のような、人の想念が作りだしていますが、この弱点は、実体がないことを相手に気づかれることでしょう。言葉にするとわかりやすいのですが、ふだんの生活に登場した場合(想念が生み出したとき)、うっかり実体があるような錯覚に引っ掛かります。
恐れに引っ掛からないコツは、自分自身がリアルであること。ふだんから、自分の核をしっかり持つように心がけ、そして自分のゾーン(領域)をクリアにしておくと、恐れに非常に惑わされにくくなります。
恐れは、愛の影となる存在です。夜があっての昼間、といった具合です。適度な夜があってこの地球は回っていますが、夜ばかりでは生命が弱まります。
知性、智恵、進化とともに乗り越える恐れの方法は、様々な試みと手段、そして大きな変容を起こすこと。変化ごときでなく、変容レベル(本質・根本から大きく動くという意味)の力を発揮するよう促されています。
そして、俯瞰して哲学的な見地から恐れを眺めるとしたら、何らかの恐れなくして、殆どの人は地球で生きられない存在です。恐れが皆無であれば昇天しますので、ある程度の重石(重力)としての働きもあります。よく怖い物知らずの人が、ふわふわ見えたり、地に足がついていないように思われるのは、そのためでしょう。
ちなみに、極端に低い意識の恐れと高い意識の恐れは、死を恐れません。低い意識は恐れがない世界は死を意味します。そして、高い意識は、死そのものは怖いものでないと畏れています。
実体はないはず?の「恐れ」について書いてみました。
体験会に参加した皆様が個人的に抱えていた恐れなどと向き合うことから、周囲の世界に対してむやみに恐れの反応をされなくなると、思われます。今までより、少しでも恐れを深く知ってみると、一歩踏み出せない理由が解けたり、自信が持てないことについてそれを言い訳にしなくなるでしょう。恐れに伴う否定が緩和するからです。