夏場の季節には少し早いのですが、先日、久しぶりに枕元に立つ人を拝見しました。セッション中です。
正確な目視としては、枕元に立つ「霊体」ですが、別称、「幽霊」のほうがお馴染みかもしれません。この先は怪談話ではありませんのでどうぞご安心ください。
下半期のリーディングでは、チャクラなどを知るレッスンも兼ねて、エネルギーセンターごとに情報を読んでまいります。
たとえば、左足裏のチャクラは、感情や心情にまつわる人間関係のエネルギーが出てくるものですが、Mさんの左足裏に関するものとして、お母様らしき方が、Mさんの枕元に結構な頻度で立っていらっしゃる画像が視えます。
しかも、ぬぼ〜という感じの立ち具合で、特に何か言葉を発するでもなく、寝ているMさんを眺めているような状態です。
そうお伝えすると、
Mさん「その母親は、痩せてます?」
ダイエット的にはふつうな体型で、特に痩せ型ではないようです。
Mさん「じゃ、義母ではなくて、私の母ですね。よく『私が死んだら、あなた(Mさん)の枕元に立つからね』って言ってたんですよー。いやだ、ほんとなんですねぇ〜」
と生前の言葉どおりの実態を再確認されたのか。
Mさん「何か言ってます?家の中で母は強い人だったから、それで夫は居にくかったのか、家からふらっとすぐ出ていってしまうし。母が今も家に来ているから、なんですね・・・」
何か、現実のご家族の状況と照らし合わされているようです。
わざわざ枕元にいらっしゃるほどパワー(氣の力)がお強いのですから、生前もパワフルでいらしたのでしょうね。
枕元に立たれるとき
霊的な話しをするとき(書くとき)、不思議と主語や目的語は抜けやすくなるのが特徴です*。
ここでは「枕元に立たれる」=枕元に〈霊的な方〉が立たれるときです。
ふつうにセラピーなどでお姿を確認する方は、圧倒的にお身内や、他人でもご縁のあった方、そしてペットが多いものです。
怨霊や生き霊に憑けられてセラピーにいらっしゃる人は、ほぼ無いです。昇華や救いを求めた霊体が、セラピーにいらした方に同伴されてくることがあっても、かなりレアです。
さて、枕元に立つわけですから、① 何かしら伝えたいことがある ② 見守っている という状況が多いように感じます。
① 伝えたいことがある場合、概ね、ご本人の夢の中で伝えることが最も自然に多いようです。目覚めてすぐ忘れてしまうか、まったく記憶にないという意識のレベルです。
そこは思考や記憶の顕在意識層ではなく、もっと深い部分の意識下(潜在意識、深層意識、超越意識、宇宙意識などという)でのメッセージです。
稀に、明晰夢としてやたらに鮮明に覚えている場合もあります。
どちらにしても、日常の思考や人とのやりとりとは別次元の意識でおこなれています。そうすることで、心の混乱や、いわゆる「頭がおかしくなる」のを回避しています。
忘れてしまったり、気にしなくても、ちゃんと通じているレベルで交流しています。
伝えられたことは、だいたい無意識に言うことを聞き、行動するようなことであればそれを果たしているでしょう。枕元で暗示を入れられたかのように(笑)。
しかし、ほぼ良心的な関係の方々でしょうから、操るとか、むげにコントロールなどはしませんし、それはできないのがルールです。なぜなら、操るとかコントロールしようとするエネルギーや情は重たいので、枕元に立てず、そもそも現世にただよってしまうからです。
② 見守っている場合。「見ているだけで何もしてくれていないの?」などと嘆くことはありません。この見守りはいわゆる御加護がある状態です。
たとえば、誰かが一緒に作業を手伝ってくれなくても、一声かけてくれたり、がんばってやっていることに応援してくれるだけで力を得ますね。それと同じです。霊の見守りはかなりパワフルです。
Mさんもですが、この枕元に立たれている状態は・・・通俗的な言い方ですが、運気が良いときです。確かにMさんはお忙しながらも、絶好調な下半期の勢いであろう、という印象です。
なお、「運気がよい」とは、一般的に連想するような世俗的なラッキーとは一線を画すことはよくあります。
たとえば、方向転換、自分を見つめ直す、転機、本人のためとなる試練などをもたらされる、などです。運気は巡っていますので、あなたの次のフェーズへと促す、などもあります。試練や、先行きのわからない転機がきても、見守られていますので、ほぼほぼ大丈夫です!
枕元か足元か?
「足元に立たれたときは、なにか恨みがあるのだ!」などの伝説はありますが、定かではありません。
もし、夜中に目覚めて足元に霊体(幽霊)を視たとしたら、それはあなたが心身疲れているときです。疲れているときは、憑かれます。ダジャレではなく、本当にこちらのエネルギーが弱くなっていますので、足を引っ張られます。怖がり逃げるというより、まず自分の足元、身辺をちゃんと整える、情を祓うなどすると、霊の禍いは影響してきません。
ちなみに、別のケースで「なぜ枕元に立つのか?」を尋ねてみたところ・・・(そういう慣わしだから。語りかけているから。)というお返事?らしきものを伺ったことがあります。
枕元、のほかに「夢枕」という情緒のある表現があり、こちらのほうが的を得た言い方かもしれません。
霊的な意識は、私たち(ほぼ健康な肉体をもって生きている)が寝ているときや、仮眠でもうつらうつらしているような意識下でコンタクトしやすいのです。夢を見ている状態が一番ナチュラルゾーンです。
私たちがふつうに起きて生活し、仕事や活動をしているとき、ふつうの人は横に霊体がお越しになっても気がつきません。音は賑やかで騒がしく、気配を感じません。稀にざわざわっと感じさせられるくらいでしょうか(笑)。物理的に物を見ることが優先される時間帯です。
Iさん「うちの弟が入院したとき『初めて(亡くなった)お母さんの夢を見たよ』と言っていました」
とのことですが、弟さんが心身安める状態の意識に、心配されたお母様はコンタクトしやすかったのでしょう。疲れた肉体は波動が重たいので、良心的な霊的存在は気づいてもらいにくいようです。また、弟さんは入院中とのことで肉体よりもアストラル体(肉体より波動の軽い霊体)が感度が上がっていたのも背景にあるでしょう。
先のMさんは、ふだんから、なんとなくお母様のことを家族としてお考えになり、気にかけていらっしゃるのでしょう。その思いに呼応するような現象(幻想)として、お母様の姿が枕元にいらしたのかもしれません。
それにしても、ちゃんと約束をはたされて、なんともお茶目なお母様です。
幸いな霊的現象
身体をもって生きている人生では、やはり元気で活発なときほど、社交的で人との関わりからパワーをもらいます。
もちろん性分や好みとして、人付き合いを好まない、苦手、知り合い少ない、友達いない、という方々は非常に多くいらっしゃいますが、そのような方々が元気で活発なときは、なにか別のものごとで“社交的””熱心に関わりがある”はずです。
今どきでは、直接人とまったく合わないけれど、チャットゲームや特定されない人だったらめちゃくちゃ社交的な方も多いです。植物や動物、芸術、創作などに転嫁される人も多いです。
そして、良識のある霊体と多く関わるとき、関わりのある方は、やはりとても元気でパワフルです。
平易にいえば、「気がよい」という具合です。
ただし、いずれの対象であっても、元気で活発な状態が続き、偏りが起こりはじめているときが注意です。
社交的で人付き合いから元気をもらっていても、それが過度になると消耗したり、何か別のストレスが発生しバランスをくずしがちです。散財や飲食過多などなど。
霊的な存在も同様です。霊的な存在と枕元などで交流が多い時期(だいたい一時的です)は、むしろ日中は自信をもって活動、行動するとバランスよく、心身、霊的に健やかです。霊や意識系に傾倒しすぎると、グラウンディングしにくくなる人もいらっしゃいます。また、想念と現実が混在する、人と自分の線引きが曖昧になるなど、よくあるあるです。
子供たちや動物は視えている
これもあるあるですね!
セッションに、このような霊的な話になりますと、
「◯◯ちゃん(自分のお子さん)が、じぃじ!!(お祖父様?)と突然叫んだりするんです」
「末っ子が、『いるよ、いるよ』(たぶん霊体の方)、って言ってるんですよね。誰かと話しているみたいで」
などという目撃情報を伺います。
飼っているペットちゃんが、じーっとあらぬ方向を見ている、という話はよくあることです。
そんなわけで、私のほうはリーディング情報の確認を取らせていただいております。(笑)
*霊的な話しをするとき(書くとき)、不思議と主語や目的語は抜けやすくなるのが特徴です。
不思議ではなく、このような現象は自分が主語であり目的語です。自分の意識下で起こっている現象でもあり、それを無意識に認識しているため、話たり書いたりする際に「誰が/何が」「誰を/何を」を落としやすくなるようです。
もっとも、物質的な生活圏で関わる人、物についても、自分のプロジェクタ(投影機)ごしに観ているものです。しかも、みんなで!?