日本のカレンダーどおりに「お盆休み」(夏休み)を取っている方、通常モードの生活だけれど気分的に「お盆休み」を認識しているという方々には、この時期ならではの貴重な「お休み(安み)」を取ってみるとよいかもしれません。
お休み(以下「安み」)をとることで、文字どおり休息になり、落ち着き、元気を回復し、普段は気づかないことを発見したり、お安みをきっかけにご自身の方針を変えるきっかけになる可能性があります。
日常に追われ、生活習慣や周囲に流され、あるいは漠然と歳月を過ごしていると、切り替えるきっかけがなく、自力でブレーキをかけることがなくなります。世の中全般や、慣習・風習的な休暇やお休みモードの時期は、それがやりやすいものです。
お盆の期間(東京は暦上七月がお盆とのことです)、お仕事以外にも、また通常どおりお仕事などがある人でも、ご自分なりの安みを取るテーマ・モノについて、ご紹介してみようと思います。
タイトルに書いていますが、お盆休みに安めるものは「欲」です。
「欲」そのものは、身体・心・精神(魂)ともに宿る生命力です。精神世界や仏教などの教えでは、「欲」は難であると説かれますますが、そのときどき、またその加減に依るところがあります。
ふつうに(←ふつうの定義もさまざまですが、目安として)生きていると、だんだん「欲」は増してきます。使う必要のないような「欲」でも、一応欲張って抱いていたり、周りから進められた「欲」も確保しておいたりします。
また、過去には生命力やモチベーションとして闊達であった「欲」を、今や使う目的がないまま起動しているケースは多いもようです。
ちなみに、とかく物質や物質的な価値に相当する「物欲」と、心・精神的な「欲」は、それぞれの趣向により求める属性が変わります。が、本質は同じ「欲」です。
一生の人生において、「欲」の比重が重たくなると、おのずと軽量化するような働きが起こる傾向にあります。
人生(寿命)は長いもので、その中に、何度か顕著なフェーズがあるものです。体重のように、すぐ「欲」が重量オーバーになる人もいれば、「欲」が太りにくいタイプや太れない質のタイプもいます。
体型のごとく、単純に「欲」の傾向について、他人はとやかく言えませんが、感じるものはあるでしょう。
「欲」が重すぎると、体調はもとより、心や精神、あるいはそれらを投影して、周りの現象、人間関係、行動等に重さ、圧、不自然さなどが現れます。あんがい、症状、体調に兆候が出ることも多いのです。
どこか自分でも心や意識的な部分でうすうすわかっており、態度や気分としてしばしば「欲」の増量からくるストレス、無理、我慢、安らかでないものを感じているものです。ある度を越してくると、それが物理的・身体的現象に明覚になってきます。
ただ、「欲」が増量した結果に難が起こっても、特に欲深さを罰するような意図はないでしょうが、増量により自らのバランスが崩れてしまう結果のようです。そこまでして、自分自身に気づかせる方法を展開した、と受け止めてもよさそうです(自己回復のプロセスとして)。
ふつうの生活が過ごせているときは、日々、少し「欲」が増えたり、減ったり、安定したり・・・乱れたりといった微細な推移のなかで、うまく活きています。
日常レベルで、「欲」が増えすぎている?目安を感じるポイントを3つ挙げてみます。
① 身体・心・気が重たい
「いつもです」などという答えが聞こえてきそうです(笑)
全般的に少し日々の「欲」を下げてあげるとよいかもしれませんね。②に関連している可能性があります。
② 「やらなければいけない」などの義務感が強い
どうせやるにせよ、心のなかで「やらなきゃ!」「やらないといけないんだよなー」といった考え、気持ちをもって事にあたるのが習慣になっているとしたら、どこかのタイミングで、必要のない「欲」に基づいて活きるようになったのかもしれません。
たとえば、誰も気にしていないような世間体、特に期待されていないかもしれない勝手な重圧、自分で課してしまった役割、不要な習慣性、など。
③ のんびりできない、時間などに追われる
「欲」が増しすぎると、焦りや落ち着きのなさが出てきます。それが活発さの域を越えてしまうと、イライラしたり不満や不快感が増してきます。そこが、「欲」オーバーの閾値と思われます。
ほかにも細かい目安はありますが、欲張らず(笑)3つくらいに留めておきたいと思います。
お盆期間は、ここ10年余り「お盆ワークショップ(ご先祖様・魂を偲ぶ)」を開催させていただいており、気づけば、オンライン化して2年目です。
4〜5個の誘導ワークを体験していただきますが、その中で「ルーツモダリティ」(ご先祖様や血縁者を訪問する)や「魂の人と対話」するようなセッションがあります。
体験する皆様のほうは、ちゃんと身体に意識がある安全な状態で進めていきます。
ご対面する方、魂(霊的)の方と、言葉少なに対話をかわすのですが、正確には、言葉のようなイメージや意思疎通というレベルです。(言葉そのものは、霊的な感覚より波動が重たいものです)
ワークショップの後に感想をくださったSさんは、
「(曽祖父と思しき方から)〈ちゃんと休みなさい、寝なさい。ゆっくりしなさい〉という感じのことを受取りました。このところ、頑張ってやっていたことに失態を起こして凹んでいました。そのことについてどうしようか尋ねたんですが(略)」
とかく、達観した意識ともいえる、ご先祖様の観点からは、私欲を超越した要点をお伝えいただけるものです。
「対話の最後に寝心地のよさそうなクッションか、枕のようなものをもらったと思います。それを受け取ったときにすごく安らく感覚があり、安楽という文字が思い浮かびました。ワークショップの後に安楽について調べたところ『心身穏やかで満ちたりること』とわかりました。このところ余裕がなかった自分に気づくことができまして感謝したいと思います」
お盆(盂蘭盆会)は、仏教的から社会に浸透している慣習ですが、ご先祖様、故人に手をあわせること(合掌)は、安らかであらせられることを願う思いと、本来の合掌の意味でもある相手への敬意、調和の表現でもあるようです。
仏教に限らず、墓前やご先祖様にお参りをすることを推奨するスピリチュアルなススメがありますが、それはほかならぬご自分の和平やあらゆる生命を尊ぶ原点を意識するという意味で、結果的に運の向きが良いものになるためといえそうです。
〈番外〉
個人的には、お盆やお彼岸の時期は「霊膜」のようなものが薄いように感じております。霊的な往来が睡眠下の意識で起こる(夢に見る)、故人を思い出す、個々人が内観に意識を向けることが自然に受け入れやすいようです。