心理学は学問的な側面から人のさまざまな感情について分類しています。先人の学者や、エンタメの世界でも、心理と感情をテーマにしたものが散見します。
シリーズ化した海外ドラマ [Lie To Me] では、犯罪者の心理を表情から巧みに読み取り、その感情や行動を予測し、犯人や容疑者自身さえも自覚していない真相心理をついています。
ディズニー映画の [ Inside Out ](邦名は「インサイド・ヘッド」)では、5つの感情たちのキャラクターが登場します。
いずれも、感情+エネルギーという表現は用いていませんが、その感情にはエネルギーを持っており「動かす」動力エネルギーを持っています。
ハマると抜けにくいドラマの展開には、だいたい登場人物の感情が伏線で視聴者を惹きつけています。なかでも「怒り」を抱えた登場人物は、ストーリーの中での存在感も強いです。
心理的な分類では、大きな5つの感情を、さらに細かく分類したものが知られています。ネットなどで調べてみても面白いですね。
特定の感情が強く、そこから関連のある感情に推移し、階層をなすこともあります。
みなさまは、どんな感情をご自身のなかで感じやすいでしょうか。
あまり感情を感じない、というタイプの方は、感情としてではないエネルギーで、ほかのもので認識されているでしょう。
今回取り上げる、「怒り」のエネルギーは感情のなかでも爆発的なパワーを持っています。
特に、物質的な次元の領域において、大いに活躍しています。
「怒り」はネガティブな印象をもたれますが、そのインパクトの衝撃により周囲から否定されるのかもしれません。
「怒り」の初動は目立ちますが、そこで昇華されないと、関連のある感情に変化していきます。
憤り、恨み、悲しみ、不信感、恐れなどは、内在化する怒りであり、妬みや攻撃といった外的な態度に向かうこともあります。
「怒り」を抱く当事者の苦しみゆえ「怒り」が明らかな言動にあわれると、周りはとばっちりを受けてしまいますね。強力なエネルギーのため、当事者も周りも抑え込めないし、発散した勢いで物理的な破壊も起こります。
以前もどこかのコラムに書きましたが、だいたい、事故に通じる前に、当事者や周辺に怒りのエネルギーが強く集まっています。
そういう意味で、シナリオとはいえ、ドラマのなかで運転しながら激しく口論していると(不注意もあり)事故のシーンになりますね。
(事故の原因が怒りのエネルギーによるものだけではありません・・・念の為)
本人はシラッとして起こった素ぶりを表に出さず、本人も感じないように我慢していても、物が壊れたり割れるようなときも、怒りに派生した、イライラ、不満などが関与している可能性があります。
感情には、人間関係や社会活動においては、ネガティブな感情、ポイティブな感情といったタグがつきます。文化的背景や倫理観も影響します。
一方では、感情そのものは、ディズニーの映画のようにキャラクターだと思ってみると、落ち着いてわかるようになります。
苦手な感情について、よく知ることで関わり方が変わるでしょう。その感情エネルギーの存在を尊重したり、関わり方によってエネルギーを変えることが可能になります。
感情が型になる前ほど、扱いは楽です!
(強い感情、怒りが形成されると、破壊、闇、病み等に通じますので・・・)
「怒り」「感情」について、今回は方向性について注目したいと思います。
「怒り」の向ける先、的、何に対して・・・です。
初動は、具体的な相手や対象がわかっていることが多いです。
特定の相手、態度、状況、思想、累積した何か・・・たぶん想像は簡単ですね。
短く終わる「怒り」もあれば、長期化し、代々引き継がれるほどの「怒り」もあります。(怨念、復讐劇などインパクト強な物語になる)
特に、この後者の「怒り」は、個人的に長期な「怒り」であれ、家系、民族、土地、時代感などからくる「怒り」であれ、長く怒りのエネルギーに関わるほど、当たり前に蔓延し、その怒りの矛先を〈ある方向〉に向けていきます。
それは、「自分自身」です。あるいは、特定の宗教や教義を超えたレベルの「神」です。
「自分自身」とは、ふだんの認識している「自分」と、いわゆる創造主が自分のなかにいる「自分」ともどもです。
どこかで「神様は自分のなかにいる」「創造主は自分のなかにある」といった、少々哲学めいたフレーズを見聞きしたことがあると思いますが、その感覚におけるものです。
すると、自分自身が何かに漠然と「怒り」のエネルギーを所有しているために、自分を苦しめたり、悲しめたり、傷ついてしまうとことが起こります。
表向きには、まるで特定の相手や、何かの悲劇や苦痛のある出来事や、過去や、トラウマなどに怒っているのだと認識するかもしれません。
個人のせいや個人領域を越えたところで、(いわゆる地球の惑星のグリッドにある)「怒り」の感情エネルギーにより、「自分のせい」「何かのせい」「誰かのせい」等と、苦しみや辛さの景色を外に眺めながら、その怒りを自分に向けてしまっているようです。
このパワフルで大きな集合意識は、戦争に繋がるような地球のグリッドにも在ると考えられます。
少しだけわかりやすい例になれば・・・ですが、
しばしば、半生において、わるい経験や事件などのショッキングなことがあると、顕在意識は、その出来事やトラウマによって、現在の自分は苦しいのだと考えられます。
それはそうなのですが、一方では、そういう経験をしてしまった自分自身を許せないという「怒り」が、ご自身を前に進めなくさせる要因になっています。
「これはこうでなくてはいけない」「こうあるべきだ」、という執着的な考え方も、何かについて許せないような、その人なりの「怒り」の影響を受けているのかもしれません。