「アカシックレコード」というレコード会社ではありません・・・念の為。
70年代のニューエイジの頃から、アカシックレコードブームが湧き起こり、チャネリングやスプーン曲げで著名なユリ・ゲラー氏の超能力などの流れで勢いづいていた記憶があります。
ブームといっても、それ系が好きな人たちの間で(近年でいうオタク)、フツウの人からはオカルト扱いだったかもしれませんね。
アカシックレコードの概念は意外に定着しており、概念の歴史は長いのです。
アカシックは何語かといえば、インドの古語、サンスクリット語。「チャクラ」と同様、少しミステリアスな響きに聞こえます。
「虚空」という意味で、古代のインド思想(哲学)に起因します。「虚空」とは、すべてのものが存在するところであり、また何も妨げるものがないところ、でもあります。アカシックには全宇宙のあらゆる「情報」が記録、記憶されています。
レコードは、記録という意味ですね。懐かしい円盤型の音楽レコードも記録媒体です。
アカシックの領域では、地球上の地上波のように、わかること/わからないこと の概念は機能ないでしょう。現代でいう、宇宙規模のクラウド情報があり、ネット検索するかのようにアカシックに繋がれば「わかる」という具合です。
ネット検索と似ているのは、その情報を私物化するようなことがないように、アカシックの記録は、ある意味みんなのもの。本を貸し出ししない国会図書館のようなイメージです。日本の国会図書館には全国のすべての本があるそうですから。
むしろ、何を検索し、その情報を活用するのかというユーザー姿勢が問われるように、アカシックレコードの読み手の姿勢のほうがよほど肝心要です。
ところで、「インターネット」と精神世界の構造がよく引き合いに出るのは、「インターネット」の語源がインドがルーツの仏教の祖「バラモン教」の神様のおひとり「インドラ」だから、という説があります。インドラは日本では帝釈天です。このインドラが住んでいた宮殿に珠玉の網が張り巡らされていて、珠玉の情報が伝播するような様相から、インターネット概念に繋がっているそうです。
補足が長くなりましたが、アカシックレコードは、万物のクラウド図書館のイメージであり、そこに触れることは大変豊かであり(私物化を超越した豊かさ)、分離という貧しさから解放されています。もっとも、貧も豊かさの一部かもしれませんが。
今年のゴールデンウィーク「GWタイムトラベル」で「あなたの中の不思議を旅する」ひとつの体験に「アカシックレコード」があります。あらゆる繋がりの観点では、ワンネスの領域です。
物理的には、ワンネスもアカシックレコードも、身体があるここに在り。同じ空間・場にアカシックレコードもワンネスもありますが、その繋がりがなければ、まったく気づかないし、感じないし、存在さえしないも同然です。
想像しやすいところでは、
「スマホあるよ、PCあるよ」
しかし、
「ネットに繋がってない!」「パスワードわからない」「○○通信入らないところにいる」
などの状態と同じです。
そもそも、インターネットに繋がっていろいろ情報をやり取りしたり、コミュニケーションができる概念を知らなかったり、知っていても億劫だとか、怖い、面倒だ、という感覚でしたら、たぶん関わらないでしょう。特に必要性さえ感じないかもしれません。
アカシックレコード、ワンネス、チャネリングなどの領域も然りです。
だから、「そのものを知るまでは、知ることができない」という禅問答のようなことですが、知るきっかけ、かかわるきっかけがあるなら、そこから新しい意識の扉が拓くことになるでしょう。
アカシックレコードを読む・視る・感じるなどの体験は人それぞれです。顔や指紋が異なるように、さらに、同じ「あなた」でも全く同じ情報とは遭遇しないでしょう。同じ本を読んでも、同じ映画を観ても、こちら側の状態や感覚は、生きている限り全く同じ日がないようなものですね。
ある程度、このような精神意識体験のある方は、アカシックレコードに触れることは、ふだんの体験よりもビビッド(鮮明、リアル)で、高速に情報や体験が変化する印象があるでしょう。
また、「次はこれを見ましょう」という筋書きを聞く少し前に、まるで予見したように先に情報が入ってくる、予め「わかる」ような秒単位の早さを感じることがあります。
ハッキリ言葉やメッセージのような認識のときはむしろ稀で、抽象的なものから感じとる場合がよくあります。曖昧だけど、そのことが気にならないし、信じるも疑うもなく、「わかる感覚」です。
だからこそ、チャネリング同様にアカシックレコードを見るときは、自分自身のマインドが知りたがっていることはかえって難しくなります。普段の思考や解釈が、純粋な体験を妨げることは安易に起こります。
アカシックレコードで読んだもの、体験を、ぜひふだんに再現し有益に活用したいと思うでしょう。しかし、その思いが強いと、むしろアカシックレコードを見れない、というジレンマが起こります。
また、アカシックレコードの体験は、普段の意識に戻ると非常に記憶に留まりにくいのです。まるで朝起きた瞬間に、ほんの前まで見ていた夢が霧のごとく消えていくように。
それは、自然なことで、それだけ私たちの意識は、自動的に身体の機能やモードによってチャネルを切り替えているからです。
意識的に切り替える必要があったら、きっとトラブルの頻度が上がることでしょう。ふだんの生活で、アカシックレコードのモードがオンのままであるなら、他者との関わりやコミュニケーションは奇妙なものになりがちです。まるで習慣や文化が異なる異国に行き、気まずくなるようなものです。
ただし、アカシックレコードを見たり読んできた体験は、自然にしておくほど、実生活で調子がくるっているもの、困っていること、問題や課題を直し調整します。
狭くなり偏った意識、行動、人生諸々を、広げて、俯瞰し、潜在能力をもっと発揮するように促すからです。
アカシックレコードを読むポイントは、「自我に偏った考え方、生き方から放れている」「目先の何かを優先しすぎていない」ことです。
すると、正解や何か望ましい結果を得るたまに知りたい、情報を読みたい、という、深層の自己制限と恐れから自由になるでしょう。
(正解や結果にばかりとらわれること=視野や可能性を狭めるという意味で制限になる。実態のない恐れから、正解や結果ありきにになる、など。)