怒りは、さまざまな要素によって生み出される感情のひとつです。
心理や内面に関心のある人たちは、怒りを感情の一種として捉えますし、現代では、事件や社会現象を「怒り」という観点から語ることもずいぶん増えたように感じます。
個人的な人間関係のトラブル、金銭の絡む事件、政治、経済、物価高騰や政策への反発、さらには犯罪の構図のなかにも、怒りという感情は深く根を張っています。
また、政治のように特定の構造をもつ領域では、一般の人には「怒りの表現」に見えても、その怒りの性質や扱われ方は、個人の感情とは異なることがあります。怒りや反発が、武力や地政学的事情、内乱や戦闘の核に働くことは、歴史のなかでも繰り返し見られてきました。
科学や物理の世界では感情表現そのものは扱いませんが、反発や相容れなさを示す現象に、俗語的に「嫌う」「反発する」といった言い方をすることがあります。
そう考えると、怒りや反発というものは、人間の心理だけに限られず、「相容れないものが生じる」という現象として、さまざまな階層に見られるのかもしれません。
大きな怒りの現象を見ると、個人にはどうにもできないもののように感じがちです。しかし、本質的には、私たちの日常のなかにある怒りや分断と、まったく別のものではないようにも思います。
今月は「マルチバース―多次元の人間関係編」のワークショップを行いました。
その後、参加者のおひとりであるAさんが、たまたまZoomセラピーのセッションの際に後日談を聞かせてくださいました。
Aさんは、夜中や朝方の眠りが浅い時間帯に、スピリットガイドのような存在と交流することがある方です。
そのAさんが、こんなお話をされました。
「いつもとは違う姿のガイドが現れたんです。新しいガイドなのか、それとも前のガイドさんはどこかに行ってしまったのか、少し困惑しました。でも、新しいガイドも柔らかい雰囲気で、とても心地よいエネルギーでした。これも、マルチバースの体験の影響なのでしょうか?」
そこでセッションのなかで、新しいガイドが現れた事情を簡易的に探ってみることになりました。
誘導の内容をごく簡単にまとめると、Aさんにとって、前のガイドも新しいガイドも、どちらもAさんが見ているガイドであり、Aさんとつながっている存在でした。ただし、いつものAさんの在り方とそのまま共生しているというより、必要に応じて関わる存在であり、前のガイドが新しいガイドを紹介してきた、という流れが見えてきました。
では、なぜ新しいガイドが現れたのか。
その背景には、Aさんのなかで最近、ある人や人々に対するわだかまりが薄れてきたことがあるようでした。
ここからは、Aさんの具体的な体験に関わる部分なので、要点のみを意訳してお伝えします。
Aさんのなかには、長らく密かに抱えていた怒りがありました。
しかし、その怒りから少しずつ解放されたことで、人や人間関係の見え方の段階が変わりつつあったのです。
ガイドの入れ替わりや、新しいガイドの登場という体験も、Aさんの現実認識の変化と無関係ではなさそうでした。
Aさんにとって「現実だ」と思っていた相手や対人関係が、より固定的なものではなく、ホログラムのように、現れたり消えたりする性質をもつものとして感じられ始めていたのです。
強い怒りや相手への執着によって固定されていた「相手」や「相手への怒り」が、疑いなく存在する確固たるものから、もっと流動的で、投影のような性質をもつものへと変わっていく。そのような認識の移行が起きていたようです。
体験のあと、Aさんはこうおっしゃいました。
「それほど強い怒りを人に向けることはありません。でも、嫌な気分になったり、逃げたい気持ちになったりして、意識を相手に向けてしまっていました」
これはとても示唆的な言葉だと思います。
怒りや嫌な気分は、「自分」と「相手」という分断を強めます。そして、分断が強まるほど、私たちは相手を強い感情や思い込みによって判断し、批判しやすくなります。

個人的な人間関係でも、感情やマインドが強く働くと、普段以上に「分ける要素」が気になり始めます。経歴、年齢、立場、評判など、本来なら一部に過ぎないものが、その人全体を決める印のように感じられてしまうことがあります。
また、管理された組織では、表向きには感情が働きにくいように見えても、実際には感情を表に出さないまま、家に帰ってから分断する意識が強まり、悩み続けているケースは少なくありません。
さらに民族や地政学の規模になると、力、民族、宗教、歴史など、個人意識を超えた層で働く集団感情や分断意識が、地球規模で投影・展開されているようにも見えます。
とはいえ、世界規模のことはひとまず脇に置くとして、少なくとも個人ベースや身近な人間関係においては、怒りや、それに類する感情そのものを無理に回避しなくてもよいと私は感じています。
怒らないようにしようとすると、かえって怒りが鬱積することも多いからです。
では、どうしていけばよいのでしょうか。
方法はいろいろありますが、ここでは二つ挙げてみます。
ひとつは、良いでも悪いでもない感覚のなかで、なんとなく心地よくいられるモードに戻ることです。
リラックスや気分転換など、ほんの少しでもよいのです。
無理にすごくポジティブになったり、明るくなったりするところを目指さなくてよいと思います。
そこを目指しすぎると、かえって現実とのギャップで落ち込んでしまうことがあるからです。
もうひとつは、感情やマインドにとらわれない何か、あるいは目の前にあることに深く集中する方法です。
怒りや嫌な感情に意識が引き込まれると、嫌な感覚のホログラムをさらに具現化するために、多くのエネルギーを注いでしまいます。
それならば、そのエネルギーを、自分にとってもっと大切なこと、有益なことに使ったほうがよい、ということです。
ワークショップのなかでは、ドラマ化している人間関係を解放するワークも行いました。
ドラマには、強い感情や、関係性やシナリオを固定する力があります。

過去のドラマを引きずることで、実際には今の関係ではないものを、いまも自分の内側で上映し続けているような場合には、このようなワークは有効です。
宇宙の次元と精神宇宙の次元には、部分的に類似する概念があるように思われます。
もちろん、その全貌は未知であり、ここで述べていることも現代段階でのひとつの推測です。
けれども、より高い次元、あるいは拡張した視点からは、より低い次元で起きていることを理解したり定義したりしやすくなります。
その逆は、なかなか難しいものです。
相手や人間関係という交わりも、いつもの次元とは別の次元から見てみると、新しい認識や発見が生まれます。
ただし、その認識や気づきが、すぐに現実の悩みを「解決」するとは限りません。
むしろ、悩みや苦しさがどういう仕組みで成り立っているのかを理解する通り道を経て、少しずつ解放されていくのだと思います。
「解決」という言葉は、悪いものを正す、改善する、という意味合いを帯びやすいものです。
けれど、次元という観点から見れば、それぞれの状態には、その次元なりの理があり、ある意味では自然なことでもあります。
だからこそ、エネルギー領域や意識の高い領域での手法では、「解決」よりも「解放」というニュアンスのほうが自然に選ばれるのかもしれません。
怒りは、人間らしさを構成する感情のひとつです。
しかし同時に、人が本来もっている有能さや力を発揮するうえで、ブレーキにもなり得ます。
人のパワーが、怒りによって分断されてしまうのは、やはりもったいないことのように感じます。




















