「イライラ」という言葉は日本語の中でも優れた表現だと、個人的に感じます。イライラする、イライラを解消したい、イライラして人や物に当たる自分が嫌だ・・・など、イライラな感情や感覚から、気分や状況がわるくなることがあるでしょう。特別で特殊なイライラもあります。一方、日常的に微弱なイライラを積み重ねている「イライラ習慣」を持っている人が多いかもしれません。
イライラは、個々人、状況により具体的な感情や、そこにいたるエピソードが異なります。憤りや怒り系、悲しみや嘆き、諦め、切なさ・侘しさ・虚しさ、疲労や消耗、水分や栄養の枯渇などが、イライラの下地にあります。何気に水分や潤いが身体的、精神的に枯渇すると、心が乾くといった具合になります。
蓄積したイライラは爆発力のある怒りや事故に至る可能性があります。
ネガティブな思考と結びつくと、慢性的な体調不良、だるさ、頭痛などになります。
イライラは比較的感知されやすいエネルギー電波ですので、他者や生き物(植物)にも拡散させたり、通信障害を起こすほどのこともあります。
ただ、平和的な?イライラは、あなたの癒そうとしたり、周りの共感や理解を求めて起こる性質があります。
イライラはそういう現象。お天気でいえばイライラ天気(黒雲が出たり、雷がゴロゴロといった具合)の空模様です。それをどう扱うか、どう捉えるかで、かなり意味や働きが変わります。
ただ、みなさんが社会や人間関係の強いコミュニティでは、通りいっぺんの捉え方をしますので、イライラはネガティブな反応です。そして、イライラを嫌煙すると、ときには人のイライラのとばっちりを受けたり、直接関係ない人の八つ当たりを受けてしまうかもしれません。
イライラは、なぜイライラしているのか、少しゆとりを持って観察し、感じてあげると、鎮まります。自分自身のイライラも、身近な人が「なんかイライラしているなぁ」、というときも同じです。後者は少しマニアックなので、家族や信頼している人のイライラを観察するに留めたほうが無難ですね。
通常は、イライラの電波から離れたほうが、お互いの為です。離れたり無視しても相手を傷つけません、むしろゆとりという空間をもたらします。
もし、あなたにヒーリングのスキルがあれば、サクッとふわっとイライラを落ち着かせるエネルギーを送ってあげても良いです。ごくたまに、カフェなどで近い席に、イライラやイライラから派生したエネルギーを発している人(赤ちゃんも多い)がいるとき、私はヒーリングの実験をします。すると、その人はそこから立ち去ってしまうことが多いです。赤ちゃんであれば、お母さんがそれに気づいて連れて帰ってしまう、などですね。これは「気のせい」かもしれません(笑)が、効果はあります。
セラピーやカウンセリング中に、「イライラを人からぶつけられる」「八つ当たりをされる」、とクライアントが話題にするケースはあります。家族や、反抗期のお子さんがイライラしている、職場の臨席の人がイライラしながら仕事をしている(テレワークでこの事態は緩和したかもしれませんが)、まったくの他人だけど近所にイライラしている人がいる、などなど。
このことがメインでご相談するほどではないのでしょう。その時々、ケースバイケースで状況は微妙に変わります。心理的には、イライラの原因を示すものは書籍やネットで調べることができるますので….
コラムでは、敢えてエネルギー(氣)の観点からお伝えしたいと思います。それはひとつだけ。
イライラしている人、イライラしている時というのは、自分のスペース、テリトリー、空間、状況に対して、フラストレーション(不満・ストレス)を感じています。他人の見立てでなく、当人にとってソノ状況は、自分のエリアをなんらかによって侵害されていると感じています。だから、イライラを感じて発している人の側に近づいて、エネルギー領域に入ってしまうと、巻き込まれたり、あらぬものをぶつけられるという具合です。
皮肉なことに、イライラしていることで余計に周りの気を引いてしまいます。イライラに気づいた人が返してくる反応や言動、存在に対して、イライラしている人は声を荒げたりぶつかってくるかもしれません。
特に「最近、子供がイライラしていて・・・」とおっしゃる親御さんは、放っておいてよいのか、かまった方がいいのか迷われることでしょう。概ねは近づきすぎると、かえって「こっちに来るな!」やシカト(無視)といった態度を返してくることが多いようです。そのへんのさじ加減は難しいですが、特に成長期や自我の捉え方が変わる時期には、自分の自立の領域を広げていくため、幼い頃よりは、物理的・精神的に離れていて宜しいようです。
距離や空間を物理的・精神的に広げることは、現象や状態です。ですから離れてしまうことを心配したり、不安がる必要はほとんどありません。むしろ、信頼関係があるほど、距離や関わりは自由になっていくでしょう。
他人でも関係のある人、職場関係でも同じく、適度なテリトリーが確保できるとよいですね。イライラはエネルギーですから、物理的な距離は取れているけれど、「あの人は大丈夫かしら?」と自分の気(エネルギー)を飛ばして相手のことをエネルギーレベルで覗きにいくのはNGです。そういうことに、イライラしている人、イライラしているときは、センシティブ(敏感×繊細×微細、といった具合)ですから。
・・・とここまで今日のコラムを書いているときに、最近Skypeでカウンセリングを受けられたKさんからメッセージが入っていました。イライラから、次の感情に出てしまった段階のようですが….
Kさん「・・・(略)子どもの足を叩いてしまいました。自分がにくくて、それでも笑ってくれる子どもの笑顔が辛いです。まさか自分が感情的になるなんて、ショックです。・・・最近、自分は何のために生きているんだろうと・・・・(略)」
イライラも、感情も、自分が生きていることを思い出すための、現代人に備わった機能です。魂があればこそ、です。魂(本質)がなければ、この感情は、身体を介して伝えることはできません。少し脱線しますが、人工知能(AI)と人間の完全なる違いは、感情があるか、ないか、です。
自分を思い出させるために、また自分のことを思い出されたので、Kさんは「自分は何のために生きているんだろう」とお考えになったのでしょうね。生きる意味を問うことは、自分の価値を見つける、再認識するときです。「何のために」の正解や応えやヒントは、スピリチュアルなセラピーで取り上げられますが、実は「有るといえば無いし、無いといえば有るし」です(←これは、その時々次第ということで)。おそらく、魂にとって、「何のために生きているのか」としばらく考えたり、時に自分探しの旅に出かけたり、少し落ち込んだり、迷ったりするような、そういうところが大事なのかもしれません。つまり、自分と一緒に居てあげる、寄り添ってあげることが必要そうです。
Kさんの場合は、この半年心身ともに忙しく緊張感のある経験をされていて、小さなお子さんの子育てにもいっぱいでしたので、それを受け止めてゆとりを持つのが大事なようですね。
ちなみに、子どもは、概ね親のそういう事情や気持ちを受け止めることを含めて、子どもとしてやってきていますので、たまに叩く程度であれば大丈夫でしょう。それが習慣になってしまうと厳しいものですが。また子どもさんの性質によっては、できるだけ感情や本音を出さないように気を遣ってしまう親御さんに対してのほうが、感覚や感情を感じられず退屈してしまうことがあります。感情を隠しすぎて、不要な境界線を引いてしまうことがあります。
自分以外の人、物事、仕事、エピソードにキャパを越えて関わりすぎると、自覚するイライラやストレス、無意識なイライラから発生する奇怪な行動や迷惑行為などに現れます。そうなる前に、あるいは兆候があるところで対処しましょう。
王道ですが、自然のあるところや、自分が自然体でナチュラルにいられるところ(人工的な場所やマニアックな趣味かもしれません)で時間を過ごすとよいでしょう。
人混みや渋滞などでイライラのスイッチが入るなどの物理的な要因、心の幼さやプライドの高さなどの心理的な要因、また共依存の課題があれば人のイライラに巻き込まれる可能性はあります。ただ、イライラはなんらかの兆候で、強いインパクトの手前です。前出の、黒雲やゴロゴロ雷がなっているお天気の状態でしたね。この段階で気づき、なんらかの対応をすれば大事は防げそうです。
ちなみ、AIが進化したら感情を持つようになり、人類と闘う!・・・というのがSFの映画・海外ドラマ・小説の展開です。未だわからない世界ですが、その展開になる前にAIも人類も高い知性に進化していて欲しいですね。