役割を分担したり交換する関係から、お互いのそれらを融合すると、関係性の次元が上がるかもしれません。
さて、家庭内、職場などで、どのような「役割」がありますか?
肩書きのようにカチッとしたものでなくても、誰かと生活や仕事や活動を行っているなら「役割」、担当、自分の仕事(やること)があると思います。
いつの間にか、その役割、担当、仕事、によって、本来の人間関係、相手に対する感情や態度、ときには上下関係などにも影響が出てくるようです。
たとえば家族やパートナー。
やってくれるはずの仕事や役割を思ったようにやってくれないうちに、感情や態度が悪化し、ついには不信感が募って別れ話を想像したり、などもあり得ます。
自分のほうはちゃんと役割や仕事をこなしているのに、ほかの人が任されているはずの役割や担当をやっていなければ、機嫌もわるくなりますよね。
職場や仕事関係では、役割に対して評価や昇給があります。役割が定まっていて「やるのが普通」「やっていないとおかしい」というような、場の空気が決めるものもあるでしょう。
家庭やプライベート、明確な価値や対価で計られる仕事や職場など、いずれも役割を決めることで、無駄やトラブルを回避する目的があります。
決めていなければ、毎回混乱しますし、責任や義務が果たせません。そもそも、その人でなければ務まらない役割もあるでしょう。
しかも、つい近年までは、特に性別による明らかな役割が定着していました。
たとえば、男性/女性がやること。これは夫/妻がやること。先輩/後輩がやらないと下剋上だ、などなど。
これまでは、お互いに愛情や協力体制がうまく通じていて、大変な時期でも家庭内の切り盛りは、なんとか乗りこなしていたKさんご夫婦。
しかし、勤務先が忙しくなったり、家族が増えて住環境が変わり、また年齢的な移ろいや世の中全体のシフトからか、家の中や家族の折り合いが、わちゃわちゃとなってきたそうです。
Kさん「突然、高額な買物をしてきたり、不可抗力とはいえ事故が起こったり。想定外のトラブルが起こっていて、さすがにこのままでよいのか不安です。
どうなっちゃうの!って。
それで前よりも凄い喧嘩ばかりしていて・・・別れる!離婚だ!!という言葉まで飛び出してます。これは、さすがに子供たちへの影響も心配で・・・・」
しばしば、むかしから「夫婦げんかは犬も喰わない」という諺のとおり、実際のところは、カウンセリングやセラピーの観点から拝見しても、Kさんご夫婦の絆や関係そのものに問題はないとわかりやすいケースでした。
それよりも、Kさん方のそれぞれの「役割」、日常生活や家族間の「担当」(私はこれをやる、あなたはこういうことをやる)を、これまでのスタイルから進化させることが肝要だと感じました。
定期的・不定期的に人事替えのある職場と違い、同じメンバーで同じ構造の家庭や、固定型の職場では、「役割」を微調整したり、工夫することで、マンネリや停滞を解消したり、トラブルや問題が好転するケースがよくあります。
Kさんのように、どこの家族や家庭内とは、それぞれの年齢、それにともなう体調や行動、家の外での活動(学校・会社など)、個人的な人間関係、アクティビティもろもろの影響が起こっています。
そのため、ほかは流動的であるのに、「役割」がマンネリや固定化していると、それらを動かすようなことが発生するのかもしれません。
問題や「変なこと!」が起こるときは、それによって何かをシェイクしようとしています。けして本質的にわるいことではないものです。
Kさんと、オンライン越しにご主人もSkypeセッションに合流されたので、それぞれのエネルギーから、おうちの課題を拝見してみました。
すると、キッチンでの料理の光景とともに、ご主人がKさんの調理にフュージョン(融合)する画像が出てきました。
実際のところは、ご主人は仕事がお忙しく、料理をすることは殆どなく、休日だけ料理を代わりにすることも難しいようです。
ただ、料理に部分的に参加しているような印象です。昭和以前の時代のように、男性は台所に入るべからず的な風潮や、邪魔されるような苛立ちはないようです。大げさでなく手を貸すようなイメージでした。
ポイントは「役割」を代えるようなことではなく、融合する関わりです。
役割があって、それを交換するようなやり方は、以前は望ましい協力や理解を示してきました。現在になって、ようやくフツウに理解されて、社会や家庭に定着している段階かもしれません。
そこでうまくいっているときはOKです。
Kさんも、育児や、ゆとりのあるときには役割を分担したり、協力できてきました。
融合する関わりとは、なるべく基本のところを示すなら、
まずは、「役割」「担当」を外したところで、「人間」「◯◯さん」「存在」としての価値を尊重します。そこから、それぞれの役割や、担当や、ラベル(こういう人だなど)を必要であれば見出します。
本来、物事を円滑に早く要領よく運ぶためにつけた「役割」、担当、ラベルなどがあることで、家庭内など、本来、分離して関わる必要のないところに、見えない仕切りのようなものを形成してしまったようです。
すると、この仕切りはストレスや隔たりとして、お互いの自由なエネルギーの流れを阻んでしまいます。
役割や担当は物理的なやりとりですが、融合はエネルギーや気のレベルで通っています。
先のKさんのケースでは、融合することで、家の中の関係、やることが、より臨機応変に、一部分だけをサポートしたり、一緒にやってみたり、その時々のやり方や選択肢が増えていくようでした。
融合する間柄では、「これはこうでなければならない」「私は/あなたは、こうあるべき」というものが介在しません。
融合は、お互い、それぞれの人を尊重し大切に思いつつ、お互いや全体という境界性のまったくない次元が一体になっています。
言葉にすれば、「あなた」「わたし」「わたしたち」です。
さらに「わたしたち」が、人類やあらゆる存在にまで融合すると「ワンネス」「ザ・宇宙」ですね! 笑
最後に、融合する波長での関係では、相手は(または自分も)ほぼ、こちらが意図したとおりに働いてくれます。(笑)
そして、あなたのほうも、相手から思われたとおりに、気前よく難なく協力します。
自分を優先していいのか、相手や役割を優先するのかを、いちいち思案せず、むしろちょうどよい具合に運ぶでそう。
へんに気を回し、気を遣ったり、相手の本心や思惑を気にすることは起こりません。なぜなら、“わかる”からです。