「想像力を使って、自分を怖がらせるようなものを思いつく」というシュールなテーマを挙げてみたいと思います。
「怖い」といっても、オカルト映画、地震、戦争、犯罪など、広く浸透する「怖い」ものは、時の社会構造や人類の歴史とともに連動しており、大衆の認識や知性が変容することで「怖れ」のニュアンスやステージが変わります。
なかには商業的なマーケット手法や、メディア情報の影響で増幅する性質の「怖れ」があります。それらによって、想像力が広がり、怖れの現実味を増すことはよくあります。
「怖れ」の本質は同じなのですが、個々人の心のなかに秘めているような「怖れ」は、社会のそれらに比べれば、個人の想像力による小さなレベルです。
過去のコラムで「怖れそのものは実態がない」というテーマをご紹介させていただきましたが、個人レベルなら、実態がないという真実を思い出しやすいかもしれません。
「⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎が怖い」と感じるとき、「怖い」「怖がらされている」⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎には実態がなく、想像的ということです。
想像的な「怖い」が作用している間は、やはり「⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎が怖いです」のですが、作用を解くと、素の「⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎」が認識できるため、どうすればよいのか、現実的におのずとわかるようです。
「怖い」という感情や感覚のエネルギーが好む状態、性質の領域があり、そこにはまっていると、さまざまなものが「怖い」に結びつきやすいものです。
たとえば、さきほど、例に挙げた「オカルト映画、地震、戦争、犯罪・・・」と共通する状態です。
暗い、狭い、わからない、足元が不安定、憎しみ、怒り、力の誤用、駆け引き、死を連想する、等でしょうか。
子どもたちや、今の大人たちが子どもだった頃に、一度は怖がるものが「おばけ」「幽霊」「暗いところ」があります。
つい最近でも、2、3歳から小学校低学年くらいまでのお子さんがいらっしゃる親御さん方が、
「子どもと出かけると(どこどこに)お化けがいる、って言うんですよ。実家に連れて帰ったときにも、見えるらしいのです」
「ゆうれいがいるから、(どこどこに)行かない」
「私が注意しはじめると、(なになにが)怖いと言って話を逸らそうしてるみたいで」
などと、半信半疑ながらお話しされていました。
透視やスピリチュアル系のセッションのさいしゅうは、そのような話を聞かれる方はとても多いです。
実は、子どもたちに限らないのですが、大人でも想像力の豊かなタイプの人たちが、ある種の想像力と、彼ら・彼女たちの状態が結びつくと、「自分をこわがらせるようなもの」について想像力を駆使しはじめるようです。
おばけや幽霊は、子どもたちにはポップな存在ですが、大人がよく駆使する想像力は、「将来」「お金について」「仕事のさきゆき」「特定の想像力と結びつくもの」などです。
「わるい霊的な存在やあやつり」「誰かが怨念を送ってくる」などもたまにあります。
そのような想像や「怖れ」がわるいという話ではありません。現象や反応です。
その「怖れ」は、自分のとある状態や身近な状況などを表しているサインのようなものです。
「なんとかせい」という具合に。そして、多くは、その「怖さ」を感じている対象ではないことが起因しているようです。
ざっくり言うなれば、なんらかがご自身にとって、「健やかではない」と言えます。
実際に、健康面の不調や不具合によって、いろいろなものが「怖く」感じる、不快感や不満に受け取ってしまうことが多々あります。
児童心理学などでは、ある年齢層の子どもたちが怖がったり(おばけに限らず)、物理的に見えないものが視える・聴こえる・感じる、というときは、孤独や、家族のなかの不協和音によって、反応している、などと考えられます。
たしかに想像力がより豊かな時期は、大人たちの喧嘩や不仲からくるエネルギーが、想像力によって怖さを具現化することに長けているようです。
一般的には、ざっくり大人のほうが、気持ちや感情を切り替えたり、人とコミュニケーショをとることで、緩和することに慣れていますが….現代は、年齢問わず、誰でも「怖さ」に身構えて生きている可能性はあるかもしれません。
なお、「想像」と似ていますが、「創造」のほうはクリエイティブであり感性が働いています。怖れや悲しいなどのエネルギーが強いと、むしろ「創造」は難しくなります。
「想像」はマインドに繋がりがちであり、「創造」はハートセンターに繋がっているとき活発です。
想像力を駆使してまでも、自分を怖がらせるときの特徴、状況をいくつか挙げてみたいと思います。
人それぞれ、怖れの認識もそれぞれでしょう。ご自身のケースで参考になるものがあれば。
● ある種の寂しさ、虚しさ、孤立感がある。
ある種の・・・というのは、ご本人にとってそう感じる、という意味合いです。他人からみたら、そうは思われなかったり、自分の良識では寂しいとか孤立感を感じる理由がないと考えるかもしれません。
● 秘密、誰にも言えない。
本当に言ってはいけないのか?は別にして、これもご本人にとって「いや、ふつう他人にはいえない」「家族とは仲はよいけれど、言えたものではない」「言いたくない、知られたくない」というニュアンスです。
● 誰にもわかってもらえないだろう。
上記の2つに被りますが、疎外感、まわりと相入れない状況を感じているようです。
いわゆる自閉や引きこもりの状況でなくても、ふつうに社会/学校生活をまわしながら、地味に自分の殻に引きこもっているケースもよくあります。
● 自分自身の軸から離れている。
特定の人たち、漠然とした他人全体から、否定されたくない、ジャッジされそう、といったざっくりした人の目を気にすることが増えると「怖れ」を基準に判断するようになります。
具体的な何かについての「怖れ」と、周りの目を伴う「怖れ」がセットになるようです。
1日、日々の人生のなかでそういう状態が続くにつれて、慢性的に怖いものを想像し始めます。
自分のことを常に外から見るようになり「自分の意識が外に抜けている」などと言います。
「怖い」の程度や対象によりますが、初期的なもの、比較的自分でどうにかできそうな方法を2つ挙げてみたいと思います。
◎ 良好なコミュニケーション
人が得意な人、苦手なタイプがいらっしゃると思いますが….
明るい、広がりがある、お互いのジャッジがないコミュニケーションは「怖れ」を払拭します。
直接的な関わりでなく、何かを介して(学び、アクティビティ、食事、鑑賞 etc)のコミュニケーションは、「怖い」のエネルギーが昇華しやすくなるでしょう。
動物、植物、自然、空気、場所(旅)、音楽、創作物など、対象が人以外のコミュニケーションも、「怖さ」の気が晴れやすいようです。
◎ 良質な休息、睡眠、栄養
「怖い」に関連するエネルギーは、比重が重たいです。怖れが強いと、心身が疲れ、体が重たくなります。
休息、良質な睡眠(寝具、寝室の改善)、バランスのとれた栄養、滋養など。これを整えることでグラウンディングしやすくなり、デフォルトのエネルギーが明るくなります。
たまに「怖さ」から逃れるように、寝てばかりいる、眠くて仕方ない、という方もいらっしゃいますね。
「怖れ」の対象はいろいろあるかもしれませんが、なにかしらご参考になれば幸いです!
☆ 夢のなかで怖いものをみる「悪夢」は、そこで「怖さ」に関連するものを吐き出しています。寝覚めはよくないかもしれませんが実質的には問題ないようです。
☆☆ 大人になって「怖い」と感じるものは、ご自身が子どもの頃に「怖い」と認識したもののエッセンスと繋がりがああるかもしれません。