インターネットを頻繁に使ったり、活発にSNSをやっていれば・・・ネット検索は当たり前すぎる日常、という方が多いと思います。大手のグーグルやヤフー検索に限らず、それぞれのSNS特有の検索方法があります。スマホやPCなどの端末、ネット通信が快適あれば、大変便利です。
「インターネットを利用している人口の93%超えが検索サービスを利用している」という総務省のデータがあるそうです。
ところで、今に始まったことではありませんが、透視カウンセリングでご相談をいただくクライアントさんの多くは、特にご自身で「ネットでいろいろ調べて・・・よくわからなくなってしまった」という方や、「いろいろな情報があり、(ご自分の問題や悩みなどについて)間違ってしまったら怖いと思い」というケースが多いように思います。
それだけご自分でなんとかしようと、真面目で責任感がお強いとも言えます。
今どきですから、ネットの情報ばかりでは信じきれない、ネット情報には怪しいものや嘘もある、自分に当てはまるとは限らない、ということもご存じです。これもネットからの知識かもしれませんね?
クライアントさんは、ご自身の悩みや問題について知りたい、解決したり、正しい情報や答えを探していらっしゃいます。そもそもそこから検索を始めて探してきたわけですから。
そして、ネットでは定かでないので、ご本人の価値観と趣向から「じゃ、透視ではわかるかな?」「何か手がかりやヒントを得たい」という、真面目な姿勢でいらっしゃいます。
「この問題についてどうしたらいいのか」「何が正しいのかわからないので、知りたい」というご相談のうち、「この問題」に限定している場合は、いわゆる質問に対するヒントや答え(あるいは選択肢としての「応え」)を透視の情報としてお伝えすることができます。
ところが、
① ご本人の恐れや不安が強くなっている。
② どの可能性やヒントや答えにも、納得しない。
③ ネットやその他の調べに対して、出てきた情報や答えからさらに決めかねる。さらに迷い続けたり、さまざまな言い訳や気掛かりが発生する。
という場合があります。
一時的なこともあれば、どんな悩みや問題にもこれらが逡巡する傾向の方もいらっしゃいます。
このような場合、問題や悩みについて「どうしたらいいのか」「正しいことがわからない」のではなく、自分自身の感覚、感情、本心がピンとわからない、というサインです。
ご自分が実感し知りたいのは、検索にいれるワードや内容ではなく、ご自分自身の「感覚」です。「わかる」という感覚です。
すると、「この感覚はどうやったらわかりますか?どうしたらいいですか?」と次の質問を返す方が多いです。
頭では、わからないことに対する解答がわかるはずだ!と思い込んでいますので、まずこれは不要です。解答を知りたがっているのは、実は表向きの錯覚でもあります。「わかる」「決められる」という感覚を求めているのです。
歯の治療で歯科医をあたり、あちらこちらでネガティブな体験が増えてしまったKさん。身体のどこでも困りますが、意外に歯のトラブルは体調全般だけでなく心理的にもダメージを与えます。治療方法や歯科医院に対して、どこなら安心できるのか、決めて兼ねていらっしゃいました。
Kさん「Aの歯医者さんは、ネットで調べて治療方法とは違っていて・・・Bの歯医者さんは通うのが大変で・・・」
Kさん自身の体験としてトホホな状態は拝見しました。そこで、先生方や治療の様子などを拝見し、特に医療的な心配はなく、Kさんが好ましいと思う方を選べる自由にあることをお伝えしました。
しかし、その後も、少しKさんは不安な気持ちや今まであった経験を誰かに言うことで少し静めるようなご様子でした。
そもそも、なぜKさんが決めかねているのか、すっとスムーズに歯の治療を進めていけないのかを視てみることにしました。
実際、Kさんも「これから先に進めために、一番必要なことを知りたい」という目的でセッションにお越しでしたから・・・
すると、「感性を磨くこと、自分の感覚を感じること」と出てきました。
状況にもよりますが、先行きがわからないことが不安なとき、先行きがわかることで安心できると考えるときは、Kさんに限らず、自分の感覚がうまく発揮できていないときや、自分の感覚に自信がもてないとき、症状を含め調子がよくないとき、です。
もう少し具体的な例をあげたいと思います。
「美味しいおにぎりはどこで食べれるか?」と悩んでいるとします。検索などで探すモードが続きすぎると、どのおにぎりが本当に美味しいのかわからなくなっていきます。実際に食べにいっても期待外れだったり、おにぎりは美味しくても他にしっくりこないことが起こるかもしれません。
自分の「感覚」や感性の感度をあげると、自分で美味しいおにぎりに行き当たります。それは、身近な人がおにぎりの話題をしていて、「自分も食べてみたい!」と素直に思えるかもしれません。評判で美味しいかどうかより、自分のセンサーがちゃんと美味しいおにぎりまで導くように。
そして、なにより、自分で味がわかります・・・たぶん。
これは、単純な例ですが。
検索することや検索情報の正誤性の問題ではなく、どうやらこれはあなたのアプローチのバランスが鍵になっていると思われます。
検索など、外部からの情報を受身に受動的に自分に入れるという方向性が増えてくると、徐々に入ってくる情報量にアップアップしていきます。この比率が増えると、「自分である」自分の感覚が鈍ってくるようです。
自分から発信する、行動する、自発的にやるといった能動的な比率をバランスよくもつと、こちらはリアルな実体験になり、感覚や感度が磨かれます。もちろん、こればかりでも視野が狭くなったり、自分の感覚ばかりに振り回される事になる可能性はあります。
ご自分にとってのバランス、加減が大事と思われます。
習慣や慢性的な行動で、ネットサーフィンが多くなりすぎると、やはり、「自分でわからなくなる」という傾向になります。それは調べ物についてわからないのではなく、自分の感覚がわからない、という(ちょっとまどろこしいですが)反応かもしれません。
「自分でわからないからネットで調べよう」と惰性で検索する前に、本当は調べなくても気にならないことは、しばらく放っておくなどの行動を選択してみるのも、感覚、感性の自発性を促すでしょう。