ライトワーカー=LIGHT WORKER
光の人、光のエネルギーを持って生まれている人たちです。ヒーラーやエネルギーワーカーのなかでは、しばしば使われる言葉です。社会における職業と同じように、もっと大きな次元の宇宙における仕事(ミッション=使命、役割)です。
もちろん、社会でも特定の職業についたり、会社勤めやアルバイトなどをしているかもしれません。無職や職業的の肩書きはないライトワーカーもいます。
ヒーラーに限らず、広い意味での癒し、治療、導き(光で導くようなイメージのリーダーシップも含む)、普通に愛や生命力を発しているような役割や働きをしている人たちは、ライトワーカーたちです。
LIGHTは「明かり」だけでなく、軽いという意味がありますが、軽いエネルギーをもっていますので、ふわふわして捉えどころがない性質もあります。
肉体をもって重力のある地球に住んでいるためか、終始ライトワーカーの本質を全開にして生きているとは限りません。光が消えていたり、重たくなっているライトワーカーもいるでしょう。
さて、あなたには、ライトワーカーでしょうか?
ライトワーカーが多いほど、地球には争いや戦い(戦争)は無くなっていくでしょう。
特に戦争を連想するような、戦いには意義や価値を感じず、苦しくなりますから、①なんとかして救おうとするか、②関心をもたないところに去ってしまうでしょう。
この前者①と後者②は、ライトワーカーに大きな違いがあります。
争いや戦い、それらに伴う悲しみや苦痛に対して、もしあなたがライトワーカーなら(または潜在的にライトワーカーである可能性が高い)どう反応するでしょう?
そもそも、ライトワーカーよりもエネルギーの密である(より、可視化、物質的領域に近い)存在であっても、ライトワーカーと同じように、争いや戦いに悲しみや苦痛を感じる人はとても多いのです。この悲しみや苦痛に対して、どう反応するかによって、ライトワーカーかどうかの違いがあります。
争いや戦い(葛藤や心の内紛、競争など、不安定なものも含みます)に対して、
(1) 思うとおりにコントロールしようとする力が強い。
(2)争いや戦いを鎮めるために、戦う。
(3) 争いや戦い、平和の否定に対して、怒りや憤りの感情を抱く。
(4) いつの間にか、争いや戦いに参戦している。
などの反応をする人たちは、ライトワーカーではないようです。
ヒーローやヒーロー物の物語を想像していただくと、ライトワーカーで「敵」と戦うヒーローと、ヒーローになりたがっている者との違いに気づくと思います。
広く庶民に人気のあるヒーローたちは、その物語のなかで(1)〜(4)のエピソードを演じながら、多くのファンを惹きつける「光」を発するライトワーカーにも育っている、と見てとれるかもしれません。
物語やアニメのヒーローに限らず、リアルな人で活躍するヒーローたちはたくさんいらっしゃいますね。
ライトワーカーの役割を担っていても、その修業や研磨の段階で、このような経験をする人(魂)もいるでしょう。たとえば、自分から離れた間接的なことに対してはライトワーカーであっても、ごく身近な相手や自分自身の内紛に対してはライトを消してしまうことがあります。
②関心をもたないところに去ってしまうライトワーカーは、自分の光と共鳴する世界に存在しています。多少の光の鈍ったような暗い状況は、ライトワーカーのもつ光によって、淀を取り除き明るい、軽くしてしまいます。
ライトワーカーの存在を求めていないところ、ライトワーカーの活動する時期でないときには、共存を交えないという具合です。ライトワーカーの意識的な意志というより、自然の調和がそうさせるものです。
なお、ライトワーカーか、ライトワーカーではないかは優劣を競うものではなく、それぞれの役割が異なる、といった具合に捉えていただくとよいでしょう。それぞれが存在することで、均衡をとっているものです。
ライトワーカーが問題を問題視すると・・・
どんなに良い役割のものでも、終始100%良い働きをするものではありません。有益なものが、使いようのよってはむしろ迷惑や害になるように。
地球におけるライトワーカーたちも、持ち前のライトを発揮できず、バグるときがあります。
それは、「問題」を極端に問題視してしまうときです。
概ね、ライトワーカー自身の問題が強く影響し、周りに光や希望をもたらすどころではなくなっていることが多いようです。
そして、「問題」そのものを、より「問題化」して、それをなんとかしなければと、戦うように救う活動を始めます。助けるはずの行動や考えが、戦いになってしまい、さらに辛くなっていきます。
これは密度の濃い、地球上ではしばしば人類が行なっているプロセスです。平和に明るくなる前に、一悶着、ときには大々的な戦いのエピソードが展開します。
社会におけるキャリア、職業、お人柄もまさにライトワーカーであるRさん。
ご自身でも心がけよく、また精神的、エネルギー的に健やかであるよう努めていらっしゃいます。ご家族や身内にありがちな様々な問題は、ライトワーカーとして、一般の人に比べたら格段に明るいエネルギーを周囲にもたらしていらっしゃいました。
Rさんご自身、いわゆる人生の大代にいたり、ご自身の人としての課題が出てきてもいました。それは仕事の定年や、子供たちの成長、家族の病気などなどです。
これらの“一般的”にある得る課題は、ライトワーカーであるRさんにとっては、よりヘビー(重たく、暗く、狭い)なエネルギーです。
特に最近は、最愛のパートナー(奥様)が体調をわるくし怪我を負ってしまいました。
Rさん「今までうちの家族はいろいろな問題を乗り越えてきました。これまでも妻の性質からみて心配していましたが、今回という今回は、本当に大丈夫でしょうか?」
具体的には治療やケアについての問題ですが、パートナーに対する愛がゆえに大きな心配の種に化しているようでした。
Rさんに限らず、極端に家族のことを心配して止まないときは、ご本人自身が意識的にも無意識的にも問題を抱えていらっしゃるときです。しかも、中長期的に。よって、自分のこと以上に愛する人のことは楽観視できません。むしろ万一を想像すると恐くなります。
幸い、Rさん自身がライトワーカーということもあり、非常にエネルギーが読みやすいため、奥様のケアについて拝見することが簡単にすみました。
一方、RさんはRさんに集中してテコ入れをしたり、刷新するようなテーマが潜んでいるようでした。
ライトワーカーには、「光」というだけあって、しばしばこまめな充電や、さらに明るい光を発するバッテリー容量を増設する必要があります。
効率性を優先する、ライティング・エコノミー(省エネルギーで稼動する)も一案です。
ライトワーカーは、エネルギー的に軽量なため、調子にのると頑張りすぎてしまい(笑)そのことに気がつきにくいのも特徴です。そんなときは、自動的に波動が共鳴し、周りが「問題」と思わせる踏み切りを用意するようです。
Rさんが、もし常々エネルギーワーカー全開であるなら、人情的にも社会的にも活躍が止まらないでしょう。しかし、たびたびご家族や今回のようなパートナーの一件があり、実はご自身にとっての立ち返りや充電になっているようです。
ちなみに宗教や、癒し・エネルギーワーク(ヒーリング)・修行を生業とする組織やグループにいる場合は、社会の公共の仕事に比べて「使命」「貢献」を全面に発すると、波動が乱れることがあります。
本来は異なる次元における働き、努め、ミッションであるため(天に雇われているようなものか?)、世俗の使命や貢献に限定されると、情や金銭などの欲と均衡を取るのが難しいものです。ここについては、また別の心得やシステムが肝要です。
というわけで、ライトワーカーについて、とあるケースからご紹介してみました。
ライトワーカーはニューエイジの頃から広く浸透しましたが、最近知った方も、ご自分の気質と人生の特徴から「自分はライトワーカー」の要素が強いかも?と感じたら、何か参考にされてみてください。