プライバシーを守ること、個人情報が漏れないことなどに、気遣うことは増えていらっしゃいますか?
ふだん遣いでは、「プライバシー」と「個人情報」を一緒くたに留意しているかもしれませんが、それぞれの焦点は少し異なります。
「プライバシー」とは、『他人の干渉を許さない、各個人の私生活上の自由』(by 総務省)と考えられており、「個人情報」は個人を特定する情報になります。
プライバシーの露呈から個人情報が割り出されることを懸念すると、ネット社会では、この両者は密接な印象を与えます。
仕事、活動、環境などにも左右されますが、特にプライバシーや個人情報の安全が心配になるときは、プライバシーや個人情報とは別に、本当に守りたいものや主張したことがうまく為されていない可能性があります。
スピリチュアルな領域では、プライバシーや個人情報という用語や言葉では、論じられることはないでしょう。
その代わり、エネルギー(気)や霊的な存在、雰囲気、気配、想念等の影響や侵入を懸念しすぎる態度になります。
プライバシー、個人情報、霊的なエネルギー、いずれも自他との境界において、本質は同じです。
自分のテリトリーと思しきを整えておく、健全な境界をお互いに尊重する、などが肝要です。
同じ人であっても、社会的な関わりの部分では、プライバシーや個人情報を守ることが非常に気になり、霊的な領域では自由に解放される感覚に安らぎや平和を求めることもあるでしょう。
逆に、プライバシーや個人情報は無頓着で、エネルギーや他人の想念には、非常に反応するタイプの方も結構いらっしゃいます。
また、ある一時期に限り、異常にプライバシー、個人情報、人の想念などにストレスを感じてしまう、というケースもあります。気を張って注意しなければならないことにも疲れます。
いずれも、ガッチリ守ろうとして守りきれる保証があるわけではなく、むしろオープンでも、安全で良心的に守られるほうが、本来自然なのかもしれません。
プライバシーが見えても素通りしてくれたり、個人情報が知れても悪用されず、エネルギーや想念を送受信しても友好的に働く・・・という具合です。
このあと、対処のヒントを2つほどご紹介してみたいと思います。
※(ITやネット対策の話ではありません・・・念のため)
1つ目は、周りの目や、他人のプライバシーや情報(存在)を優先しすぎて、自信が持てなくなっている可能性があります。
自信は、文字通り「自分を信じる」ことですので、自信に見合う能力や魅力の有無は一切問われません。
今年の、2024年対象のイヤーリーディング(甲辰)のなかで、辰ならではの故事「逆鱗に触れる」に関係するリーディングがあります。
「虎の尾を踏む」と同様の意味で、竜の顔下には逆さに生えた鱗があり、これらに触れると激しく怒ることに由来しています。強そうな人、目上の人を激怒させるという例えです。
Uさんは、近年、何人かの「逆鱗に触れない」ように怯えて、「自分が小さく」なったと感じていました。
そのことと、ご自身が周りからどう思われているのか、自分のプライベートに関すること、過去の出来事、年齢などを知られまいと、緊張する習慣が繋がっているようなのです。
リーディング中に視えた画像は、小学校生時代のUさんが、辰の逆鱗を引っ張って逃げ切るほど無邪気でした。その対比は、「気付きの促し」なのかもしれません。
必要以上の気遣い、何かのきっかけで相手や何かに萎縮するラベルをつけてしまうと、自分を守る象徴として、プライバシーや個人情報、はたまたエネルギー領域への侵入に対して警戒してしまうようです。
(ちなみに、エネルギー領域において想念などを侵入されやすいという人は、実は自分のほうも周りに気を送っている場合が多く、そのことを理解していないため、侵入され続けることがあります。)
2つ目は、プライバシーは、煩わしさや面倒くさいことから身を引きたい衝動とも関連しているようです。
いわゆる生活圏のプライバシーと、エネルギー的なプライバシー(人の意識に入ってきたり、エネルギーや想念を送ってくる現象)ともに共通しています。
煩わしさや面倒くさいなかで、生活する時間が増えてくると、不思議とそれを助長するような人、状況、情報が集まってくるようです。まるで、冬の静電気のようですね。
ここで、煩わしく、面倒くさく感じることがいけない訳ではありません。むしろ、それを感じているご本人に大事なことを認識させようとするサイン、兆しと考えてよいでしょう。
真面目な方は、「煩わしい、迷惑、うっとうしいなんて思ったら、罪悪感を感じる」と考えるようですが、それはすでに、「あなたの心」がお疲れなのかもしれません。
疲労や消耗、不自然という意味での無理(理にかなっていない)によって、「煩わしい」という感情や心理的サインに至っています。
何より、「煩わしい」などと感じさせる対象は、プライバシーに直接は関連していない、何か別の存在や事象のことが多いです。
たとえば「この人の発言や行動がプライバシーを侵害してきた」と見えたり、感じたとき、本当に自分が守りたい、安全でいたいことが、別にあるものです。
それが「あぁ、そうか」とわかると、そのプライバシー侵害者や状況から解放されていきます。
逆に目前のものだけを回避できても、本当に煩わされたくない大切なものがわかるまで、リピート出現する可能性は高いでしょう。
一方、個人情報は、ご自身の社会的なアイデンティティを象徴しています。
大切なものではありますが、自分のアイデンティティや身近な役割について、束縛、制限、型に嵌めなくてはいけないようなことがあるのかもしれません。
さらに、個人情報のような「名前、住所、経歴などのデータ」以外に、ご本人にとって大切なものを求めている可能性があります。
時代や状況とともに、プライバシーや個人情報などの役割は変化していくかもしれません。パスワードやIDは、昔の家の鍵ですね。
ともあれ恐れや不安などの要素が意味を持つ三次元の領域での扱いは、今後も議論されそうです。
・・・・と、論ずるほどわかりにくくなったかもしれませんが、何かご参考になれば幸いです!