一般的に、浄化が必要だと感じるのは次の3つのタイミングかと思われます。
・気患いを受けた
やけに運がわるいことばかり起こる。特定の人物や環境と関わったことで急にネガティブになった。またそのことを感覚的に感じるとき。
・体の調子がわるい
少し調子がわるい程度のものから、原因不明な症状が出たとき。事故なども含む。
・転換期や年の節目
縁起や言い伝えもあるが、パワーや後押しがほしい。
これらに共通しているものは、
❶ 理由や原因がわからない。
❷ 自分の力や考えでは及ばない。どうにもならない。
❸ 恐れを感じる。
逆に浄化の必要がなく、概ね調子がよいときは、
① 納得いく自然な状態にある。または気にならない。
② 自分の裁量や自由がきく。
③ 愛がある(生命力がある。ハートがクリアでオープンなど)
これらは、あなた側の認識するもので、外側の事象がどういうものかは人それぞれです。しかし、私たちは目で物事を認識するインパクトを非常に強く受けているため、自分の認識が絶対的なものだと思い込んでしまいます。そして、望んでいないはずの状態にロックオンされてしまうようです。フリーズですね。
何についてフリーズしているかは、本質的な問題ではないものです。フリーズしていること、気が滞り、あたかも固まっている状態のほうに、実は「お困り」のようです。
フリーズの力が強いものとして、比較的多くに共通するのが「否定」です。生命力や自然の流れを「否定」と言った具合です。いわゆる肯定vs否定の否定ではなく、もっと根本的な「否定性」です。
まぁ、それも何かの役に立っているところは、見ようによってはあるのでしょうが、お勧めしがたい状態ですね。
先日、ワークショップ「浄化」で、5つの「否定」にまつわるものを浄化していきました。否定がカタチを変えて、たとえば、毒素、嫉妬、劣等感、怒り、嘘、などにエピソードをまじえて潜んでいるのですが、それらは、あなたの氣(エネルギー)の流れを止めたり、滞らせています。
それを川の流れのごとく流せばOKなのです。「否定」の渦中にいるときは、こだわりや思い込みの事情があり、そんな容易には手放せないと信じています。しかし、ひとたび氣(エネルギー)が流れはじめると、その心地よい感じのまま、自然に動きだします。まさに、不自然な状態から自然な切り替えが起こります。
これがいわゆる、「氣が晴れる」という現象です。
ワークショップ後のアンケートのご質問で・・・
Eさん「意識のなかのワークですが、途中で首をまわしたり、背すじをのばしたり、座り方をかえたりしたくなりました。なぜでしょう?」
とのこと。
これがエネルギー(氣)が動いている、という現象です。特に身体を普段からよく動かしている、体感に敏感な方は、自然に動きだし、少し驚くと思います。人によっては体が温かくなったり、関節がやわらかく曲がる、筋肉や凝りがほぐれる、といった明らかな身体反応を実感します。
「朝から頭痛がひどかったのですが、軽くなりました」という感想も氣が動き、晴れて、血流がよくなるなど身体的な動きに繋がっています。
一方、氣に対する反応が柔軟になり、感度が上がると、逆に調子がわるくなったときにも反応が早く気づきます。Eさんや上記のような体質・気質の方は、逆に緊張感やストレスを感じる環境や物事にしばらく従事すると、だんだん体が凝ってきたり呼吸が浅くなるなど、わかりやすい身体変化を感じ始めるでしょう。
そのままにしているなら、手をこまねくばかりです。自分で調子を整えるやり方、習慣をいくつか持っておくとよいでしょう。何かのせいにして責めたり、理由や原因探しに関心がいきすぎると、結局さらに消耗して氣が曇って、暗くなり、意識が狭まり、ハートが閉じていきます。しんどくなりますからね。
自分の好きなやり方、簡単で気軽にやれないと続きません。浄化や気晴らしになる何かを、日頃からいくつかピックアップしておくと、ご自分で氣を切り替え、セルフ浄化ができるでしょう。
それだけでは、すぐに気落ちして「浄化求む!」になりやすい方は、氣を鍛える、氣を磨くことを促されているようです。つまり、ご自分を鍛錬したり、磨くような行動、取り組みが必須、というわけです。それは行為や何かをやるから・・・が肝要なのではなく、そういう体験を通して、自分を知り深く関わり、誠実でリアルな「経験」になるからです。浄化も兼ねた次のステージです。
氣が怠けてだらけたり、氣が病むようなことは誠に厄介です。
浄化というと内観や魂の世界でおなじみの言い方ですが、常々、世界のあらゆるところで、様々な人たちが浄化を体現する行動や活動を起こしています。その本質にはさまざまな「否定」があり、なんとか浄化しようというアクションなのかもしれません。2020年ただ今も、さまざまな浄化が現れているようです。