「人間関係」を扱うトピックは非常に広く、その基本と呼べる類はあまたあるものです。
人との関わりによって生きている現代の私たちの処世術や、人生のベースになるからかもしれません。
今週は人間関係のご相談について目立ちましたので、シンプルな人間関係の土台を一つご紹介させていただこくと思います。
老若男女問わず、身内か他人か、プライベートかビジネスか、、、それらの括りなく基本となるものです。
(毎度、話の観点が飛びますがご了承ください↓)
「相手をリスペクト」する
リスペクトは、日本語にすると「尊敬」「尊重」ですが、後者は日常的に使うと少々堅苦しく感じます。
昨今のリスペクトの言い回しの方が、多くの方にとって、なんとなく、楽に相手や関係性の波動を上げて、尊重できるように思います…いかがでしょう。
意味合いとしては、相手の存在そのものを、自分の知っているであろう相手のイメージや思いこみは一旦脇に置いて、尊重する、受け入れる、認める、というニュアンスです。
初対面や、仕事など公の関わりであっても、普段どおり自然体にしていると、こちらの態度は無意識に相手に対して、失礼なものを発してしまうこと(人)が結構あります。
マナーや気遣いで体面を整えることができない、感覚的なところで起こるものです。
一般的には、雰囲気、初対面なら第一印象、「そんな気がした」という、不確実な領域の伝搬情報です。
なぜそのように、無意識に伝播するのか?
よくあるのは、人から見られていないところであれ、日頃からバタバタ忙しいとか、負担や不満を抱えていることが慢性化していると、相手や周りにもその同じモードでオートマチックに発していますからです。
そもそも自分のことをリスペクトするゆとりがないのですから。
リスペクトのようなエネルギーは、もちろん、マナー、言葉遣いや態度でも表現できますが、むしろ非言語の領域のものの方が、正直に伝播しやすいのです。
逆に、皆さまも、相手が自分をリスペクトしているのか、邪険にしているのか・・・感じ取ることが多々おありでしょうか?
それほど「相手からのリスペクトを求めていないよ」と言うフランクな人であっても、フランク(気まま、自由)さの中にもリスペクト流儀があるでしょう。
例えば、そっとしておいてもらえる、〜らしさを受け入れてくれる、ラフに接してくる、などなど。
尊敬や尊重というと、丁重な意味やイメージが強いですが、リスペクトは、配慮する、価値を認める、大切に思う、よろしくと伝える、などの資質を含んでいます。
モノも大事に扱わなければ、壊れたり、モノ持ちが悪いように、相手や関係をリスペクトしないと、徐々にうまくいかない方向になります。
モノと人(生き物、ペットなども含め)の違いは、感情や思考という表現の有無でしょうか。
モノ(物質)とて、量子物理(さながらマイクロ物理)の肉眼に見えないレベルで、感情や思考に匹敵する反応が起こっているに違いありません。
精神世界に関心や興味の深い方は、やはりモノや人に対して、相応にリスペクトされているものです。
ところが、自分は相手を、リスペクトしているつもりが、こちらの自我や情によるパターンに擦り変えてしまうことが、しばしばあります。しばしば、どころか、結構多いかもしれません。
自分側の価値基準によって、関係が長い相手や、家族身内、友人に対しては、つい今までの経緯を踏まえて判断しやすくなりますね。
すると、こちらは相手を思いやってリスペクトしているつもりが、相手の方は、とても不快になったり、反発するような態度を取ることがあります。
既に独立したお子さん家族の事情が経済的に厳しく、度々、支援をしてあげることが増えてしんどいとおっしゃるKさま。
Kさま「(子供さんから)毎月支払が足りないと言い、借りれるお金がもう無いとも言ってきます。毎月、○○円ですが援助をし… (必要な)差し入れなどしてきました。私にも限界がありどうしたら良いでしょうか?」
Kさまのお子さんの問題は毎月のこととのことで、「気持ちが下がってしまいます」と。
特にお金が関わる人間関係は、とてもわかりやすい構造サンプルです。共依存を起こしやすくなります。
お金を貸したり、出す時に、それ(この場合、お金に換算するエネルギー)と対等なやりとりが明確であるほど、お互いをリスペクトしたことになります。
例えば、子供にただお小遣いをあげるよりも、お手伝いをしたり、何か約束したご褒美としてお小遣いをあげる方が、子供と親(自分)の存在をリスペクトしたことになります。
成人したお子さん、友人知人、かつてお世話になった人・・・などが「お金を貸して!」とやって来たら、明らかな対等な取引がないまま貸してしまう、そこで関係のバランスが崩れてしまいます。
情(情け)や感情が入ると難しく感じられますが、曖昧にしたり馴れ合いになるにつれ、お互いのリスペクトが薄らぎ、相手もこちらをリスペクトしないような態度を返してきます。
しばしば「貸したお金は返ってこない」と言われるのは、リスペクトのない反応と言えそうです。
また、「貸したお金は返ってこないから、貸すならあげたものと思え」と言う説も一般的です。
知人が困って頼って来たので、あげるつもりで貸した、というAさま。
Aさま「返してもらおうと思っていなかったので、それで良いんですが、、、でもそれっきりになりましたね。時々(貸した相手は)どうしているか思い出します」
ある部分では助けにはなることができたと思われますが、当時リスペクトの均衡を取るのが難しかったのかもしれません。
リスペクトには、相手を信頼することも大いに含まれます。
この信頼は、多くの人が基準にしている、「相手を信用(Believe)できるか?」「こちらを騙さないか?」の方ではありません。相手が「人としてしっかりしているか?」という、信頼 (Trust や Credit)の方です。
相手(家族、他人、援助を頼んできた人など)が、その人としてなんとかやっていくであろう、と言う信頼を優先するなら、こちらが無理をしたり、わだかまりを感じるような関わりはしないで済むでしょう。
何かをしないと、「こちらが悪い人になってしまうのではないか」「相手が困ることでこちらにもその影響が及ぶのではないか?」という、無意識な自我(自分側の都合)により、相手を関わってしまうと、それは相手へのリスペクトを欠くことになります。
そこまで、普通はお相手の方は認識していないでしょうが、エネルギー(本質)の成り行きとしては、期待に沿えない反応が返ってきます。
それでは、「何をしたら or しなかったら・・・リスペクトになるのか」とお考えになるかもしれません。
肝心なところは、ご自身の真意や意図にかかっています。
同じことをしてもorしなくても、ご自身の真意や意図によって、相手や状況に起こる作用はさまざまとなります。
例えば、リスペクトしているフリ...という猫かぶりをしても...この“猫”に費やすエネルギーやストレスはロスになり、本質から大きく離れてしまいます。本末転倒、というものです。
ところで、NLP(神経言語プログラミング)のコミュニケーションスキルの中に「コミュニケーションの成果は、相手の反応にある」というものがあります。
こちらが気持ちの良いコミュニケーションかどうかではなく、相手の反応が良ければ(それがマイルールとは違っていても)うまくいっている、という説です。
とかく、自分の定番のコミュニケーションを、相手が反発したり、思うような反応でないのに繰り返してしまうものですね。
そんなつもりは毛頭ないはずですが、つい自己中(自我)から、良かれと思ってやってしまうコミュニケーションが多いのは、全く一般的です!
さて、相手をリスペクトするようになると、相手の反応に対してリスペクトするような関わり方を、こちらが自然に出せるようになります。
あいにく、相手の言葉による要望や、こちらが相手を思い計ってあげることは、必ずしも状況において正しいとは限りません。
とりわけ家族、近しい関係、人情的な人付き合いをする人たちには、相手の言うなりになることが、相手をリスペクトすることにならないことはよくあります。
「わがままを言ってくる」わけですから、わがままを聞いてあげるのが優しさではないし、わがままを聞いてあげることは、相手に一目を置いていない、ことになります。
リスペクトのある関わり方
リスペクトのある関わりについて、方法やハウツーを述べるのは、本来からすると外しなのですが、流れ的に8つほど挙げておきたいと思います。
シンプルで簡単ですが・・・真意は深いので難しく感じるかも。
① まず、相手をそのまま・・・受け留めること。
あるがまま・・と言うスタンスですね。
マインドフルネスや瞑想の浸透で知っている方、実践している方が多いのではないでしょうか。
② ジャッジしない。
あるがままから派生します。
感じたり、考えることは自由ですが、そこから相手や状況を責めるような展開に持っていくとジャッジ(批判、批評)になります。
落ち着いて、穏やかに「へぇ、そうなんだね」と中立に受け止める、そして感情などで引っ張られそうになったら、受け流せるようなところに意識があります。
③ 相手の言動をネガティブやポジティブに振り分けない。
ネガティブよりはポジティブな方が良いでしょう!と考えがちですが、このリスペクトの波動領域では、ネガティブもポジティブも、結局、同じパレット上にあります。
少しややこしくなるかもしれませんが、
波動を下げる領域(形を形成する)では、この振り分けは大きな違いや真逆に認識され、その意味を果たします。
しかし、波動が上がると、ネガティブもポジティブも同じ世界観になります。戦争に対して、平和を唱えてまた戦争をしている・・・といった構造が見えてくる世界観です。
話を戻しますと、相手をリスペクトすることで、いわゆるネガティブなものを感じても、それを否定せずにおくと・・・なんとなんと、収まるところにおさまる働きが起こり始めます!
④ まず自分をリスペクト。
日々、人生において、他人や状況に合わせた役割を長くやり続けていると、相手をリスペクトする感覚が鈍くなります。
良かれと思って、相手をリスペクトしたはずの態度がチグハグになったりします。
何があるがままか・・・わからなくなってしまうでしょう。
そんな時は、自分の方の価値をリスペクトしましょう。
最初は、「自己中でいいのかな」と、自我やワガママと、自分軸の違いに戸惑うかもしれませんが、実践してみると似て非なるものと、実感できます。
多くの場合、自分を大切にする姿勢や心がけは、相手と自分(人間関係)の健全な境界や、親密さ、ハーモニーを整えていきます。
⑤ 人間関係のハウツーにとらわれない。
このセクションの冒頭に書いたように、方法やハウツーはサポート的なものです。確かに方法やハウツーは役に立つのですが、これが主張しすぎると、肝心なものをすっかり忘れてしまうのです。
良い関係や問題のない相手を求めすぎて、そもそもの繋がりや大切なものを見失わないようにしたいですね。
⑥ 相手から見たら?・・・お互いを対等に。
人間関係に悩んだり、良い対人関係を望んだり、内観、精神宇宙(スピリチュアル)寄りの方々が、ついうっかりわすれがちな興味深い現象があります。
相手や状況を、自分の思いやイメージの中に取り込んで、はまりこんでしまうと、相手の側にも独立した人生や生活や展開があるのを忘れて、自分が全てを掌握しなければならないような、責任感を持ってしまう傾向にあります。
スピリチュアル・エゴと呼んだりもします。
言葉にすると大袈裟ですが(笑)、このモードの方は、常に誰かについての状況を、ほぼ無意識に問題化してしまい、疲れるようです。
平和な社会における基本(日本憲法)、お互いに対等であることは、内面においても然りです。
⑦ 結局、いろいろ全部あっていい。
冒頭のKさまのように、子供や家族など親近者との長期的なことは、今までも改善の努力をされたこともあるでしょう。
どのような時期、出来事も、それぞれ必然で相応のバリューがあり、全部あってこそのお繋がりのようなものを受け止めてみると、楽になるかもしれません。
全てを由とする、全てをリスペクトする、といった境地めいたところでしょうか。
⑧ 愛・・・ですね。
つらつらと挙げてみましたが、人間関係や、特定の人とのことで悩まれたり、問題を抱えているようなとき、リスペクトの観点をご参考にしていただけたら幸いです。