セルフイメージとは、自分に対する印象や、自分はどんな人間だと思っているか、という意味です。そして、かねてよりこのセルフイメージを高めたり、思うようなセルフイメージに変えよう!という方法や自己啓発が流行りました。今も、まだあると思います。
マインドやメンタルの観点から、セルフイメージを捉えると妥当な方法ですし、実際にセルフイメージを変えてみると周囲の反応も呼応します。セルフイメージは、物理的に人と関わる上では、なかなか影響があります。自己評価、自己認識とも同じ意味です。
マインドやメンタルとは似て非なる精神・魂の観点では、このセルフイメージは、より本質から捉えます。ざっくりいえば、SMAP!の歌にもあったオンリー・ワン!な発想です。それを実感したときには、もはやセルフイメージを意識する意味すらあまりありません。もっと自由な領域だからといえます。
ランチタイム瞑想体験で「パワーナップ・安眠コクーン」に参加されたRさん。誘導の途中で難しいことがあったそうです。ちなみにコクーンとは繭型をしたエネルギー領域です。自らが創ることができる安眠のゾーンです。
「コクーンのイメージ画像が事前に見れたので出来ると思ったけれど、その中に入って…となると、なかなかイメージするのは簡単では有りませんでした。自分が中に居ると言うよりコクーンの中に人がいるのを外側から見る、と言うイメージでした。
まだ頭(マインド)で考える癖から抜け出せていません」
おそらく、「自分自身で在る」よりも「客観的に見ている自分」の視点だったのですね。普段は、在る程度客観的に自分を見る・知る観点は有効です。しかし、この場合の状態は、自分であって自分の中に居ない(不在)といった具合です。これが具体的にどんな現象を示すか、いくつか例を挙げますね。
・自分の考えとして思考しているつもりが、周囲の人たちや一般的な考えに寄っている。
・当たり前の判断や行動をとっているつもりが、無意識に誰かの判断や行動基準を元にしている。
・自分の率直な感覚より、周りの感覚に従がうほうが心地よい。または安心だと思う。
・周りから評価されるであろうことを、自分の願いや目標にしがちで、またそのことになかなか気づかない。
・セリフイメージは周りから認めらることが重要だ。
などです。これらの傾向では、自分自身との辻褄がだんだん合わなくなります。
そして、常にどこか先に理想や追い求めるものがある状態が続きます。
このようなセラピーや瞑想誘導の体験で発見するのは、わるいものではありません。むしろ、本人の潜在意識はふだんの状態をそのまま教えてくれた格好です。そこにお気づきになったRさんは、今まで漠然と感じていた違和感や矛盾について、やがて紐解いていくようになるでしょう。
「参加後に気になったのは、瞑想後の私の声が少し違うように聞こえました。これが本来の私の声質なのかと感じました。出来ないと思っているマインドと並行して身体には変化があったと思います」
しっかり身体はレスポンスしてくれていますね!特に声質、声のエネルギーは、自己表現を現します。自己表現とは、まさに「私はこうです!」という表現です。
たまに「自分の本当の声を知りたいです」と言うクライアントさんがいらっしゃいます。本当の声は、その方が自分らしさに磨きをかけて生きているときに発揮されるようです。必ずしもすべてにおいて調和が取れているとは限りませんが、魂を体現している要素が「自分の本当の声」として出てきます。
さて、魂(自分の核)を身体の中の軸にしておく方法、心がけとして、2つご紹介しておきます。
① 周りに対して気を取られる、どう思われているか気にする、周りの期待や指示によって言動を取る等の比率よりも、自分であれる時間や経験を増やすこと。
→ 楽しく感じること、いわゆるワクワクしたり、元気になるような時間や体験ですね。「楽しいことばかりやっていていいの?」「好きなことしてばかりで罪悪感がある」「ワクワクすることがない」そんなふうに語り出すのが、納得したがりのマインドの声かもしれませんね。ワクワク、楽しくなると、それらは言い訳であったことに気付くでしょう。
② 呼吸、身体運動。
→ 魂の入れ物として大切な身体のメンテナンスは必須です。呼吸や運動は気を整え、持ち前の自分の価値や魅力を高めていきます。それが、結果的に自分でセルフイメージを作ろうとしなくて、おのずと体現しているようになります。
①、②とも、自分の中に自分の存在を感じる、自分であることに繋がる基本的なことです。
ところで、自分のマインド(頭)が優位になりがちなものとして、現在は人との主な関わりの場になったSNSの影響はいなません。手軽に関われるぶん、自分である境界が気づかぬまに曖昧になります。さらに、自分の中に他人のエネルギーを取り込みやすくなり、それにも気づきにくいのです。他人の言動で、自分の感情が強く反応したり、自分の中の批判や不満を他人に対して向けていても、麻痺してわかりずらいようです。
まとめますと、セルフイメージそのものに、より高いとか、より優位なものがあるわけではないと思われます。それは相対的なものではなく、自分が決めるからです。セルフイメージは文字通りかなり主観的です。その決める自分が自分自身に不在では、よくわからなくなって当然かもしれません。