「五蓋(ごがい)の教え」は仏経のなかのひとつの心の教えと言われます。
「心穏やかに過ごすには、心に蓋(ふた)をしている五つの煩悩を外しなさい」
心に蓋をするものによって、他ならぬ自分自身の心が不自由な状態であり、外に見る世界や関わる物ごとに常々不快な思いを抱くようになるでしょう。それが物理的に影響を及ぼし、さまざまな経験が辛いものになりがちです。本来は平和なはずの状況や、自然に任せておいてよいものに波風を感じ、不自由な結末を予測してかかるかもしれません。
とかく、活きることが難しい時期は、魂の路から逸れているか、魂を鍛えるための路を歩んでいるときのようです。鍛えるための路にいるときは、自分でもそれをどこかで認識していて、忍耐が優っています。一方、魂の路から逸れているときは、徐々に周りだけでなく自分にも嘘をつきはじめたり、正直でいられなくなっていきます。さらに魂の路から逸れているときは、活きる難しさや苦痛を周りのせいにしてしまい、イライラしたり不満を抱え、ますます心にゆとりがなくなります。心穏やかではないでしょう。
とかく、外側に起こる出来事や(自分以外の)他人によって経験がもたらされ、その影響を受けると考えがちです。でも、自分の心に余計な蓋がなく、穏やかであると、外側の出来事や他人との経験にたいして、臨機応変に、お互いに都合よくアレンジするゆとりがあります。
蓋がなく窮屈でないために、楽です。蓋がたくさんあり窮屈であると、それが「困る」状態を感じさせます。昔、国語の時間に習いましたが「木が四角に囲まれて→困る」と書くそうですから。
なぜ、蓋が5つなのか?教えの数にも何やら意味がありそうです。東洋思想は氣に関しても5つの分類が多いようです。
五蓋の教えは、五つでもお腹がいっぱいになるような内容です。
五蓋とは
● 欲望、貪欲、渇欲、わるい心の象徴
● 瞋恚、悪意、憎しみ、怒り、貧相な自分の象徴
● 惛沈睡眠、倦怠、眠気、不健康、不摂生な自己
● 愚痴、疑いの心、卑しい気持ち
● 掉挙悪作、心の浮動、後悔、甘え、我執
瞋恚(しんい)とは、自分の心に逆らうものを憎んだり怒ること。受け入れられないことに対してつい憤慨したり、こちらを正当化しようと躍起になることなども当てはまります。「そんなつもりはない」…つもりでも、自分の思い通りに相手や状況をコントロールしていると、何かと怒りたくなり、言うとおりにいかない!と怒り出すかもしれません。
惛沈睡眠(こんじんすいみん)は、心が不活発になり眠くなること。これは、心理の面白いところで、心が不活発に感度が落ちると睡眠不足でなくても睡魔がおこります。やる気がでない、先延ばしにする、何かとネガティブになりがちなときも、寝起きが悪いとか夜更かしをするなど、不健康な睡眠になります。
掉挙悪作(じょうこおさ)は、心が昂り頭に血が上ること。それが問題行動に表れ、大事になる人もいます。急にではなく、身近な周りの人たちは気付き、注意を促していても、それに気づけないのが残念です。魔が差すとか、仏の顔も3度まで、という具合に、どこか甘えや浮かれた気持ちがあるときでもあるようです。
我執(がしゅう)は、我を通すこと。我(エゴ)は、自立の表れですが、エゴによって自らをハードにするものです。ほどほどの我はよしとして、我執となると頑固で融通がきかなくなります。
色五の鬼とは
「春分大吉」のワークショップでご紹介しましたが、節分の豆まきに登場する「色五の鬼」が五蓋の教えを象徴しています。
【赤鬼】欲望、貪欲、渇欲、わるい心の象徴
【青鬼】瞋恚、悪意、憎しみ、怒り、貧相な自分の象徴
【緑鬼】惛沈睡眠、倦怠、眠気、不健康、不摂生な自己
【黒鬼】愚痴、疑いの心、卑しい気持ち
【黄鬼(または白鬼)】掉挙悪作、心の浮動、後悔、甘え、我執
さて、あなたは何色の鬼退治が必要そうですか?
ちなみにワークショップでは、緑鬼が人気で健康志向な参加者の方が多かったようです。赤鬼、青鬼は昔話に登場するように、わかりやすい勧善懲悪の象徴ですね。
程度の違いはあれば、あなたは五蓋のどの蓋をはずせそうでしょう?