歴史を遡ると、処刑を一般の目に晒すという風習が遺されています。
日本の時代劇に登場する罪人、戦国時代の敵国の首晒し、中世のヨーロッパや革命期の混沌とした社会、
君主の力を示す意味でも生身の人間の処罰が群衆に公開されていたようです。
宗教や信念における力により、規範に反したり罰に匹敵すれば、命を殺めることが珍しくない残酷な歴史は、本やドキュメンタリーなどどこかで見聞きしていると思います。
スピリチュアルな世界では、しばしば、「魔女狩りの時代に過去世があり、その魂の傷を引き継いでいる」とおっしゃる方も多いようです。メタファとしても、そのような想念につながったまま、今を生きているという訳です。
公開処刑は、小規模になれば、たとえば、学校の中や外から遮断された構造のグループ内でも起こり得ます。
この背景には、見せしめ、恐れ、支配(コントロール)、ヒエラルキー(階層構造)、鬱積した怒りや不満の発散、ネガティブな余興、特に歴史上にみる規模では、革命や構造変革の兆し(その兆しの時期が長期化することも)に繋がっています。
今の時代、特に日本では、公開処刑の儀式は行われていないし、関係ないだろう、と思われます。
しかし、その想念は、多くの人のマインドのマトリックスに投影されているのかもしれません。
Zさんは、まったく公開処刑とは関係ないところから、セッションを受けにいらっしゃいました。
主訴は、体調のことです。
Zさん「手の腱鞘炎と、指の曲がりはわるくなり困っています。病院の整形にいくと、年齢からくるホルモンバランスが原因だろうと言われました。痛み止めをもらって、あまり効いていない気がしますが。これ以上ひどくなったら注射や手術があると、ネットなどで調べると出てきます。年のせいとはいっても、なるべく休みように、手を使わないようにすると楽なので、頑張りすぎも原因だと思います」
昨今は、体調不良や病気になると、スピリチュアル系の解釈が気になる方が増えており、
Zさん「スピ系の話を読むと、手なので、コントロールや支配のテーマがあるらしいのですが、ちょっとよくわかりません」
とのこと。繋がりはあるかもしれませんが、直接的にはわかり難いですね。
メタライフセラピーでは、「現実」と信じているマトリックスから移行することで、構造やからくりに気がつく助けになることが多くあります。
早速、Zさんの自覚症状の出ている手の痛みや症状にダイレクトに関係しているところへ、潜在意識下で移行してもらいました。そこは過去世の一場面のようです。
☆ 以下、少々グロい展開ですのでご注意ください m(_ _)m
Zさん「白い服を着せられて、手を切り落とされて・・・だんだん血の気が引けて・・・群衆の声が聞こえたり、犬が吠えている。こわくはない、早く終わってほしい。
娘か息子か、子どもたちのことをどうにかしなくちゃと思っているけど、どうしたらいいかわからない。それが辛い。
首に縄が掛けられてる」
体験後に、体験を遡って状況を伺ってみると、
Zさん「(過去世の自分)盗んだとか、罪を犯したわけではなく、そういうこと(公開処刑)が週に何回か、よくある光景だった印象です。だから、自分にもそういう日が来たんだと諦めていたみたいでしたよ。
最近、あまりに手が痛いので〈こんな手はいらない〉と呟いていたので、本気ではないですが。この過去世とつながっていて不思議でした」
と、ご自身の体験を反芻すると、またそこに気づきもあるようですね。
その後、Zさん別の体験やリーディングを通して、
Zさん「どうにかしようもないことや、そのまま放っておいてよいものに、勝手に責任や義務を感じて、どうにかしようとしている自分の性格に、腱鞘炎や手の使いすぎは関係している気がしました。夜寝てても、夜中や朝方にふっと目が覚めると、手や肩にもの凄く力が入っているんですよ!」
と、身をもって頑張りすぎな状態だったことを、認識されたようです。
Zさんのとある過去世の体験から、公開処刑という、日頃は馴染みの薄いワードが出てきました。
100年余りの間に、人類は人命を尊ぶことを学びつつあることで、生身の体験が形状を大きく変容していることは明らかです。
現在も、地球上の多くの地域では、生身の戦争は物理的な武力体制をもって続いています。一方、すでに、戦いや闘志は、ルールのあるゲームの世界、経済、スポーツなどに変換しています。
ちなみに、スーパーマンがスーパーガールと共演する映画では、宇宙人同士の戦争は、完全にポットの中でゲーム戦を展開しており、負けても宇宙人自身の命はあります。
そして、現在は、公開処刑の本質は、ネット上、Web2.0レベルの極端な誹謗中傷や、メンタルや心情に向けた処刑じみたものに変換しているのかもしれません。
単なる考察です。
ただ、公開処刑の本質から、意識を離すことで、
「どうにかしようもないことや、そのまま放っておいてよいものに、勝手に責任や義務を感じて、どうにかしようとする」ことをやめるようになるでしょう。
つまり、公開処刑を見聞することと、何か得体のわからないものにコントロールされ、自分も何かをコントロールしようとする葛藤から自由になります。
公開処刑の想念は、とあるマトリックスには強く在るようです。