August 2023
こんにちは。志麻の 今月のメッセージ です。
メッセージは、文字と音声でお届けしています。音声でお聞きくださるときは、音声バーの再生ボタンをクリックなさってください。
※ [4:20] 〈不完全な中に完璧さを観る〉誘導ワーク♪
おかげさまで下半期リーディングは、今年ならでのポジティブな特徴を発見することができました。
たまたまクライアントさんたちの傾向がそうだったのかもしれませんが、概ねの様子を投影していると感じています。
数年前に比べて、俄然、ご自身で過去の問題から自由になっていることを実感している方が多いようです。
むしろ、これから初めての何かが起こりそうな、漠然とは楽しみだけれど、どうなるのか気になるという心境を伺いました。
もちろん、ご自身や家族、仕事、世の中の物事についての懸念があるにしても、それらに振り回されず、「なるようになる」
「流れを信じていこう」
「根拠はないけれど大丈夫だろう」
というエネルギーに落ちついているご様子です。
ところで、言葉や思考は、ご自身の状態を表すエネルギーとは、必ずしも一致していません。
言葉や思考から強い影響を受けていても、実態は安定して穏やかなこともよくあります。
潜在意識は認識しているため、わざわざ、言葉や思考でわかろう、知ろうとする必要はないものの、人類の進化を促す知性の領域では、理解することは重要です。
常に世の中には、たくさんの問題や、理想に反して不完全なものごとが後をたちません。
長きにわたり、解決をみない、さらに悪化していくような難題を抱えています。
社会や世界の問題であれ、ご自分自身の問題であれ、どのような不完全な課題があるでしょうか?
完全や完璧を目指すことは、モチベーションや、プロセスであることが多いようです。
到達するところは、思い描いているような完璧さや解決ではないものです。
つまり、不完全や、問題が満載に思える状況は、大きく広い、あるいは異なる次元からみれば、不完全や問題ではないわけです。
完璧や解決に囚われすぎてしまうほど、そこには恐れや危機感が強まり、望まない戦いや争いを生み出し、遠まわりになってしまうことがよくあります。
個人レベルで、日頃から完璧さという壁をフレクシブルにしておくと、実際に問題や不具合なものごとに遭遇した際に、肝心な点に気が付きやすくもなるでしょう。
たとえば、よくある例えは、症状や病気になってしまったとき、完治や解消することが問題解決や完璧ではないようです。
意見の食い違いや仕事のトラブルなどは、本質的な完璧なものに繋がるプロセスである可能性があります。
では、ここから、今、ご自身が、完璧ではない、とか、問題である、と思っているテーマについて、誘導を聴きながらワークを行なってみましょう。
瞑想やイメージワーク、軽いヒプノセラピーの感覚でやっていきましょう。
[4:20頃]
しばらく寛いで体験のできそうな場所に移動してください。
周りに邪魔されないようであれば、どこでも大丈夫です。
完璧さ、不完全な状態にあるテーマは決まっていますか?
心理的、人生にまつわること、家族の問題、トラウマ、はたまた夏休みの予定など、ことの大小は問いません。
いくつもあるのなら、一度にひとつのテーマをやっていきます。
決まったら、目を閉じてください。
では、心の目でこれからイメージを見たり、想像上の作業をします。
自分の前に、きれいな白い紙があります。
色が白であれば、紙の素材や大きさは問いません。
和紙でも、便箋でも、模造紙やキャンバスのような大きな紙でもOKです。
この紙に、あなたが完璧を求めていることについて、あなたの文字で書いていきます。
単語だけでも、関連する感情や状況を説明文にしてもよいでしょう。
そもそも何が完璧な状態かわからないなら、不完全な状態や問題のままを書きましょう。
肝心なことは、ご自分に正直であることです。
どうぞ。
書き上がりましたか?
あなたは、そのまま書き上げた紙を眺めていてください。
すると、上から清らかな雨のような雫が、紙に向かって降ってきます。
屋外であれば、聖水の雨かもしれません。屋内にいるなら、異なる次元から降り注いでいる水のエネルギーかもしれません。
徐々に、あなたが書いた文字が清らかな水によって消えていくでしょう。
書いた紙も一緒に消えていくでしょう。
その変容を、ただ、自然に任せて眺めていてください。
やがて、完全に消えると、あなたに用意された、不完全な中に観る完璧な何か・・・・が現れてきます。
そのような場面、感覚、気づきのようなひらめきや、メッセージかもしれません。
オープンマインドで受け取っていきましょう。
(☆ ご自身の体験が続いている場合は、ここで音声を止めてください)
では、ご自分のタイミングで、目を開けて体験から戻ってきてください。
いかがでしたか?
今の体験だけではわからないこともあります。
その場合は、日常のなかで暫くしてから、それについてわかること、気づきがあるかもしれません。
本質的な完璧なところへと導かれるでしょう。