怪我や痛みを伴う症状について、スピリチュアルな観点からの意味についてご質問をいただくことがあります。今はさまざまな身体の症状、部位における意味のようなものは広く公開されているようです。
(どれが本当なのか、どれを解釈したらいいのかについては、別のコラムの機会に譲るとし・・・)
怪我といっても、次のようなときに、特に意味づけを求めることが多いようです。
① 不本意な怪我。意外性のあるタイミング。
② 比較的順調にうまくいっているときに、怪我をした。
③ 身に覚えがあることが、カタチ(怪我)となって現れたように思うとき。
④ 何かのサインかも?メッセージのような怪我。
⑤ いつも◯◯を怪我する・・・など怪我にパターンがある。
Nさんは停滞期を抜けたような感覚から、いくつか新しいスタートをきったばかりで怪我に遭遇。ご自分で怪我をするときの意味をネットでお調べになり、
Nさん「転ぶ、怪我をするというのはよく、一般的にはその道ではないという意味でネットには出ています。ケースバイケースで意味が変わると思いますが、運気が変わる前の出来事としての意味も耳にしたことがあります・・・」
そうかもしれないし、そうでもないかもしれないのですが、ご自分でも迷いや葛藤があるとか、ちょうど転機を意識していたタイミングなら、これは当てはまるかもしれませんね。
怪我の場合は、すでに体に物理的に作用が及んでいますから、ご自分の迷いや葛藤や転機の兆しが、カタチとして現れたことになります。また、これは自分への納得、解釈、時には言い訳にもなります(笑)Nさんがご自分で調べてことに納得していればわざわざご質問されないはずです…. ということは、Nさんにはしっくりこない意味なのかもしれません。
ともあれ、この怪我を通して、Nさん自身に向き合うという大きな意味を得ているようです。
Nさん「・・・長らく着手してこなかった絵や子供の頃からの夢の犬を飼うことを現実にする準備を始めた矢先、ド派手に転倒・・・右手首を打撲してしまう次第でした・・・チャレンジをし始めたばかりの出鼻をくじかれたカタチになり・・・・ストップの意味なのか、人の痛みを知ることなのか、ただの不注意なのか?」
怪我の種類やシチュエーションは違うにしても、手鼻をくじかれるような怪我、時に外部の問題に遭遇するクライアントさん、皆様方は少なくないと思います。
ご自分も、今そんな状況でしたら、ご自分のケースで参考にされてみてください。
Nさんの場合は、①や少し②の要素にも当てはまりそうです。
王道ですが、怪我や問題(トラブル)は、そこに意識や関心を丁寧に向けてあげることが、理解、納得、回復、新たな知恵を促します。これは人それぞれ異なりますので、外に正解や意味を求めることは、あまり必要ありません。うまく外の情報を参考にしながら、自分なりの応えや知恵を内側から引き出せるならよいのですが、少しばかりの慣れとコツが要ります。
Nさんは、確か内観やセラピーのご経験があるので、その怪我の部位や、痛みなどの感覚を感じるところと、内観で対話をしてみるのがオススメです(対話の方法は、どこかのコラムにご紹介したことがありますが、気になったらリクエストをください。コラム最後に、オーディオセラピーはピックアップしておきます。)
治すことや、怪我をしたことを後悔するのが目的ではありません。ただ話を聞いてみる、感じる、共感する、といったスタンスです。怪我のタイミングによっては、早く治そうとか、早く治って何かをしなければ、という姿勢が負担になります。何より怪我をしたことが災いで、悪いことだ、という考えから上に上がる(達観する)ことが肝要です。怪我の程度によるでしょ!と言われそうですが、この世に怪我というものが存在することを認める、といった具合です。
しかし、症状や痛みが活況のときは、その症状や痛み自体がメッセージです。対話中に眠ってしまったり「対話したけれどよくわからない」となるかもしれません。そんなときは、休息、栄養、必要な治療をしましょう。この段階では、頭を使うことは、かえって「気が散り(エネルギーの分散)」ストレスになります。適切な治療を受けることが間接的な対話になります。だから、怪我をしたことを受け入れて無理に対話するのはナンセンスで、対話したいと心から思ったときに向き合いましょう。いやいや苦痛ながらやっても、自分自身はやっぱり偽れません(笑)
②のように、調子がよいとき、順調なときの怪我は、それが調子が良い状態のプロセスという場合がしばしばあります。途中でお休みや不都合を経験することで、さらに高みをめざすという具合です。自分の意志や計画では、そこまでアレンジはできませんが、無意識に状況や周囲との調和のなかで起こる現象です。
よく筋トレやスポーツなどで、毎日キツイ練習をすれば伸びるものではない、と言いますね。休息日を入れたり、またあえて体を休ませて、ゆっくり本を読んだり違うことをやるなかで精神が充実したり、日頃のトレーニングや生活を見直すということが必要であったりします。
つまり総合的な展開を養っているような、怪我(時には病気や奇病なども)です。
先のNさんは、まだ行動することに慣れていないのもあるのでしょうが、何かをやれば何かが起こるのは至極自然なことです。意味に興味を持ちすぎず、怪我したことを一旦は出来事、経験として、あるがまま受け止めるのもアリです。
本来、経験そのものには意味はありません。意味を持たせるのが人間の特性のひとつだからです。
③ の身に覚えがあることが怪我になるときは、自分でも怪我することにより、もっと不快、苦痛で避けたいようなことがあるときです。その抵抗や、何かに思いを取られて不注意であることから、怪我に至るようです。これは意味を確認する前に、自覚していることが多いようです。身から出た錆だけれど、あえて怪我を通して、流れを止めて見つめる時間なのかもしれません。
心理的に深刻ではないが、自分でも無理が募っていると感じている、無茶を承知でガムシャラなとき、などにも、結局は大切な本体(自分)を守るための自動制御装置が働いたと考えられます。
まるで何かのサインかのように受け取る怪我の④は、後から思い返せば気付くことです。後からでも気付くことで、自分が何者かに守られているような感覚や、正気の自分はわかっていたことを理解することができます。
悪いことをしていることに慣れっこになっていたら、手に大きな怪我を負うとか。
行きたくない、辞めたいと思っていた職場に無理して通っていたら足を怪我する、などは、潜在的な自己暗示の可能性があります。つまり、かなりわかりやすいレベルで自分が引き起こした現象と言えるでしょう。
怪我にもパターンがあって、⑤のように、よく怪我をする場所、周期的にやってしまう怪我の種類などです。私事で恐縮ですが、私は怪我をするときは左側ばかりだと気づいたことがあります。後々、左半身のほうが鈍かったとわかり、体幹トレーニングや左側を意識するようにしたら特にパターンは無くなりました。
怪我の部分と対話をする(意識・エネルギーを向ける)と、怪我という現象に限定しない気づきや発見があります。そして、必ずや、その怪我をすることに利得、恩恵があることがわかります。逆にいえば、それらを見つけて気付くことで、エネルギーが流れ、マイナスに感じていた怪我にプラスのエネルギーが通り、治りや回復が早くなります。
病気と比べて、怪我(外傷)は目につきます。怪我をしたあなた自身の関心、親しい人(親身であってほしい人)の関心=つまりエネルギーを求めているようです。知らない人でも通りがかりにふっと気を留めるかもしれません。入院や通院となれば、かなり注力します。そういうアテンションを求めている性質があります。
だから、おっちょこちょいで小さい怪我をしやすい人は、それだけ頻繁に自分に意識を集中するよう促されているのかもしれませんね。子供の頃などは、「気をつけなさい!」などと叱られたり、促されたことはありませんか。
また、頑張り屋が当たり前で、甘えられないタチの人も、怪我を通してエネルギーの比重を調整しているようです。
怪我に限らず、精神・スピリチュアルな繋がりを観察するようになると・・・怪我を未然に防げるとは限りませんが、いわゆる「怪我の功名」に気づきやすくなります。災い転じて発見すること、恵として受け取れるプラスαに遭遇するでしょう。
なお、病院での怪我の治療では、意味は問われません。意味を問わないところでの応急処置や、我慢できない苦痛をとるのが人体に優先すべきときですからね。
以下、オーディオセラピーから痛み、諸症状に関するタイトルをピックアップしておきます。ご参考まで!
痛みや痛みに匹敵する症状との対話。
一時的に緩和するケースが多々ありますが、痛み止めや痛みを消す目的ではありません。
文字どおり病気や症状と内観による対話をします。
(治療を目的とするものではありません)
怪我に限らず、エネルギーレベルのセルフヒーリング