この世には、社会という規範をはじめとして「矛盾」や相反する考えや状況が存在するのは当たり前であり、自然なことかもしれません。多くの諺に、逆の観点があるように。
例えば、
「善は急げ」⇔「急いては事を仕損ずる」
「好きこそ物の上手なれ」⇔「下手の横好き」 など。
自分自身の中に相反する考えや行動があるのは、人間らしいこと・・・かもしれません。つまり、自分でも辻褄が合わないことを言ったり、やったりする、という具合です。それが適度にバランスを取っているなら、ある意味OKです。
自己矛盾として、わかりやすい事例をあげると・・・
「元気になりたいと言いながら、不健康な習慣を続けている」
「金銭感覚に無頓着だが、将来お金がなくなったら・・・と不安に思う」
「仕事をしたくない・・・・でも、仕事がないと生きていけない」
「ダイエットに気をつけているのに、つい食べすぎてしまう」
このようなものは表面的にわかりやすく、自分でも百も承知なはず。ただ、思いに反して、自由意志が働かないとか、ストレスに負けてしまうといった具合です。さらに、この状況が続くと自信がなくなり「どうせムリだし」と投げやりになるかもしれません。
自己矛盾を続けていると、打たれ弱くなり、消耗し、外的(外敵)要素に抵抗力が弱まり、免疫力が落ちます。つまり、だんだん元気がなくなる・・・。
一方、少々トリッキーで、自分では自己矛盾に気づいていないパターンを挙げてみましょう。
「健康や美容に努めて、いろいろ努力し続けているのに、成果がない」
「節約しているし、家計簿をつけているのに、お金が貯まらない」
「忙しく仕事をしているのに、減給された」
「ダイエットに良いことをいろいろやっているのに、むしろ太った」
おそらく、これらの状態のとき、自分の隠れ矛盾に気づいていないと思われます。しかし、少し丁寧に、これまでやっていることをよく観察してみると、ボタンの掛け違いのような矛盾があるはずです。これらはストイックなタイプや努力家さんがうっかりやりがちなのです。
ケースバイケースですが、無意識に自己矛盾を起こすときは、良いとされるさまざまな情報や知識を取り込みすぎているときや、自分の本心・本意がズレてしまっているときです。ときには、過去や特定の出来事をきっかけにこだわっていることを、ずっと継承したままの場合もあります。
いまいちど、「今」なぜ、そうしたいのか?本当にしたいことと、しなければいけないと勘違いしていることの違いを見極める、などの精査が必要です。きっと、これまで頑張ってきたことは、本当は苦しかったり、我慢のうえに成り立っていたはずです。
自己矛盾は、何かや誰かのために、自分を少しねじ曲げてしまったり、些細だと思っていた妥協が、月日とともに広がり、それがそもそも何だったか覚えていない頃に、日常や人生の価値観を自己矛盾の上に形成しています。
先日、今後やってみたいことについてご相談したいとセッションにいらしたMさん。
「いつもいつも、今の仕事はいつまで続けられるだろうか、と心配してきていました。自分に本当は合わないことをやり続けているのはわかっていたんですが、よい生活は続けるには収入は必要だから。でも、コロナで無理矢理に在宅になったおかげか、働かなきゃいけないという考えがなくなって、少しずつ家の中を住みやすくしているうちに、ふっと、自分が『この仕事は合わない』と、勝手に自分が思い込んできていたのかな、と気づいたときがあったんです。なんでそう思ったのか、もう思い出せないのですが」
しばしば、仕事が変わると生活パターンが変わると言いますが、まさにその逆かもしれません。Mさんは、今までゆとりそのものがなかったことで、ご自身が自覚する以上に圧迫感を受けてきたのでしょう。その圧迫感が、仕事をしなければという思いとタブってキツく感じてきたのかもしれません。
自分自身の状況(ときには、体調や家族などとの関わりも)が窮屈でストレスがあると、それを何か別の適当なものに代償として感じることがあります。そうすると、余計に自分の思うとおりに出来なくなります。
「減量をずっとやってきているうちに、パタっと減らなくなりました。自粛でやはり運動量が減り代謝が落ちたのかもしれませんが、できるトレーニングは一応やっているんです。でも、今までと調子が違い、まるで自分の体から反発されているかのようです。確かに、ずっと減量を続けてくると減らなくなるし、空気を吸っても水を飲んでも太る、っていうのはあるんですが」
Nさんは、専門的な知識をベースにトレーニングや体重管理をしていらっしゃいます。体が思うとおりの減量に応えていないものの、いわゆる「身体とつながる」というチャネルはお持ちのはずです。そこで、ダイエット瞑想の要領で、Nさん自身に身体と対話をしてもらいました。
Nさん「体が何かに縛られてる。何かは、まったく見えない、透明な何かに縛られてる、という感覚だけある」
見えないけれど、わかるという感覚は、やはり何か存在しているのでしょう。そこで、誰が「何か」を縛りつけているのか聞いてもらいました。
Nさん「(即座に)ワタシ・・・です」
これは、身近であり、もっとも手強いですね。いろいろ誘導で聞いてもらうと、Nさん自身の真面目さ、ストイックさ、さらには既存の方法や過去に決めた理想に縛られてきたことが、Nさんをいっぱい、いっぱいにしていたようです。
Nさん「そういえば、始めた頃は楽しかったんですよ、きつくても楽しかった。そういう感覚が最近ないです。あと、極端になりすぎて、減量のためになっていないですね。あぁ、よく体に良いことをすると体にわるい、っていうのはコレですね(笑)」
Nさんの減量のテーマは、いつの間にか当たり前になっていた自己矛盾を見つけたようです。
ふつうに過ごしていても、いや、むしろ気をつけて真っ直ぐ?生きているつもりでも、自然に時計の時刻がズレるように、調整が必要になるものです。
もっとも、最近のデジタル時計は、GPS機能で自動調整されますね。GPSは複数の通信衛星から電波を受けて緯度経度、高度を割り出していますが、人間も意識調整を計るべく、受信アンテナを拡張する必要がアリ?かもしれません。
基本は、うまくゆかないときにはそれに気づいて、アンテナを広げておくと、遅かれ早かれ可能性やヒントをキャッチできるようです。
意識的、無意識にせよ、自己矛盾は葛藤やストレスを蓄積しますので、長期化しないほうがベターです。自己矛盾が板についてくるとだんだん自己不信が募ることから、体面を気にしすぎたり、周りの目や評価・評判ばかり気になりがちです。
結構、魂の免疫が落ちます(=自分がわからなくなる)。
「矛盾」の語源:「どんなものでも貫けない盾」と「どんなものでも貫ける矛」という中国の「韓非子」に書かれたお話が由来だそうです。つじつまが合わないことを意味する故事成語。