ある程度ふだん使いでも「トラウマ」という言葉が浸透しています。トラウマは過去の出来事や、ある出来事をどう解釈し意味を持たせるかによって、今後の人生に影響を及ぼします。
治療が必要なほどの「トラウマ」(PTSD)となれば深刻ですが、それほどでないまでも、トラウマを抱えながら、ときどき関連のある出来事によりトラウマスイッチが入り過ごしている人が少なくないようです。
トラウマは、生命の危機や物理的に恐ろしい体験に起因するもの(事故、災害、戦争、暴力)、人間関係に起因するもの、ほかにも虐待や性的暴力などの慢性的などが挙げられます。
今回ここでは、人間関係に起因する心傷的なテーマについて書いてみたいと思います。
文字どおり、心の傷、感情の抑圧や歪曲が長引くと、人と深く、広く関わることが苦手になります。
恐怖や嫌悪感に至る深刻な状況になる場合もあれば、生活や社会性においてそれほど深刻でないものの、真綿で絞められるような地味な苦しさを抱える場合もあります。
後者の場合は、特定の人や状況に対しては露骨にトラウマの影響を露わにしますが、それ以外では更に傷を深めないように表面上はむしろ立ち回るのが上手ですので、慢性的、長期化する傾向にあるようです。
特に親子関係や、親子関係から持ち越して他者との愛情関係で再燃するトラウマは、セラピーのテーマにしばしば登場します。
セラピーは、心/メンタル/マインドにアプローチしますので、ご自身が問題を自覚していることが多いのです。
ちなみに、エネルギー情報(霊的な情報とも言う)を読むようなリーディングでは、ご自身はこれらの問題に向き合う心/メンタル/マインドより、少し高いところに意識があるせいか、今さらどうこうしようとか、解決しようという思いは希薄に感じられます。
とはいえ、リーディング中にも、ご本人にとって改めて気づくタイミングであるなら、親子関係、トラウマに関する情報が出てまいります。
Sさんの左足裏のチャクラをリーディングすると
「将来、自分の人生はこんな感じだろうと思っていた漠然とした将来から、別の世界に行くことになるかもしれないですね」という潜在的な可能性を示す情報が出てきました。
下半期リーディングですが、必ずしも今年中とは限りません。具体的な行動や現象には至らずとも、人間関係なのか、環境なのか、何らか自分の今の生き様の外側にいくことになる可能性がある、ということでしょう。
Sさん「そう聞くのは嬉しいですが・・・自分の両親がいる限り、自分は思うまま生きられないのではないかと思うんです」
とのこと。
数年前にはかなりご両親との精神的な確執を感じており、この1、2年はだいぶ払拭され適度な距離を保ちつつも自然に関われるようになったはずなのですが。
Sさん「私は、やっぱり親との間にトラウマがあると思いますし、当時、『女は・・・こうしておけばいい』と言われたことがすごく影響していて。そこからまったく自由に飛び出せるとは思えないです」
今でこそ生活も精神的にも自律されていますが、自由意志となると親子関係の情のフックが引っかかってしまうようです。
Sさんのように、地味に親子関係の愛情のトラウマをもっている方は、適度な距離や境界線を持ちながらも、親御さんに対する孝行と思える行動をとり続けているようです。
やはり高齢になれば年齢や体調や、その先のことを気にかけて、別件として御相談などされます。もちろんそこには、親御さんの進退は、自分自身(子供側)に影響があるからという自我もありますが、やはり愛情(情が勝る場合も)は感じられます
情は、切るにきれないものです。
Sさんのように、両親や、特に女性の場合は母親の強い愛情を受けてきた背景が、かえって不愉快さなどの制限に通じるエネルギーをつくるケースはよくあります。
その愛情は、たとえば、大人になってから、
「自分の親に対して何かしなければならない」(義務感・責務)
「親の思いや言うことをきかなければならない」(聞いているふりするも含め)
「上司、会社、常識に従うべきだ」(親から転嫁した存在です)
などと理性を使います。
母親や両親は、たとえば当時(または今でも)言葉で「こうなってほしい」「こうしなさい」と言ったとしても、それは「子供が幸せになって欲しい」「親の価値観に従ったほうが子供の為だから」という願いからの発信がほとんどです。しかし、意識しないと、つい愛情と欲のエネルギーが押し付けがましくなりがちです。
大方、親御さんのほうは、そんなつもりや自覚さえもなく、何かに対して一生懸命なのでしょうが。
とはいえ、もはや、賢明な意味でオトナ対応するほうが平穏なはずです。
指示的な言葉や押し付けがましいエネルギーに感じたものは、極端に偏った思い込みや歪な姿をした「愛情の原型」だけもらっておけばよいのかもしれません。
子供のこちら側が、たとえ変形したとはいえ「愛情の原型」だからと理解していると、親からの影響は安全なものに変わっていく傾向にあります。
愛ではなく、愛情という、情の絡まった愛のために苦しみや葛藤や誤解が伴います。
このようなことは、自分が親になったから気づくとは限らず、またすこし形を変えて子供にやっているケースはとても多いように感じます。
Sさんの受けてきた情を取り除いたときの「愛情の原型」そのものは非常にパワフルです。
それらがあってこそ、これまでのSさんの人生は概ねうまくいっています。他者や社会における自立心は養われており、好きなことややりたいことを、時に葛藤がありながらも果たしてきています。
このような(ご自身にとっての)トラウマを抱えているという人は、濃い愛をうけたことによって、ご自身としては苦しみながらも、比較的物事を成功し、順調に進めている人生を送っていることが多いようです。
トラウマは「自分が思うように生きられない」と感じているときに、特に強い影響を及ばしてきます。
何より、先のSさんの場合は、今の段階で引き出された親子のエピソードからくるトラウマは、もはや「あなた」のものではないようでした。
かつてトラウマとしてあったものですが、今の時代の集合意識に周波数を合わせて共鳴したものと感じられました。いわゆる風の時代の特徴として、かつて土台にあったさまざまな差別的なもの、ハラスメントが改めて露呈し、多くの人々による葛藤意識が蔓延している模様ですから。
ときに、自分の選択する意識が曖昧であるとき、集合意識に気を取られ同調することがあります。
皮肉ではないものの、トラウマは早く解決・解消・完了すればよいものだ、とは言えないようです。それはトラウマを抱えているご本人にとっても、またそのサポートをするセラピストなどの治療家にとってもです。
今から17年くらい前のケースになりますが、お母様が「娘が悩んでいて」という切り出しで、娘さんと一緒にセラピーにいらっしゃいました。そのとき、娘さんはヒプノセラピーを受けられて、体験の中では彼女の問題は楽になりました。
ところが、翌々日になり再びお母様からお電話で「娘がなにか言いたいことがあるようで、私にはよくわからないのですが」と言ったご連絡がありました。
電話を引き継ぎ、お嬢さんの話を伺ってみると、(要約)「私は長い間、母とのことで苦しんできて、私が苦しんできたんだということを母に反省してもらいたい。セラピーで悩んでいたことことは楽になったけれど、私が苦しんできた時間はもっと長かった・・・」ことです。
悩みの根底に、母親との依存的な愛情からの自律の課題があったようです。
ちなみに、ご家族や親しい方々が連れ立ってセラピーを受けられるときは、連絡をしてきた方のほうが、問題の起因になっていることが多く、セッションに同席することを希望するケースでは、一緒に聞いている方のほうが潜在的なテーマを持っていらっしゃるようです。
だからといって、相応のタイミングがくるまでは、そこに触れることはしませんが。
先に娘さんは、ひとつの悩みが楽になったところで、次の課題が浮上してきました。
昔から潜在意識は、玉ねぎの皮にたとえられ、一枚問題が剥ければ、また次の問題が出てくる・・・(その間に涙も出る)という具合です。
当時は私も、ヒプノ・ソリューション(Solution)という看板とあって、早く解決する!ことが良いに違いないと勤しんでいました(笑)結局、娘さんには「時間をかけてゆっくりでよいのですよ〜」とお伝えした記憶があります。
だからといって、いつまでも引きずっていても埒があかないとか、余計に苦しくなるだけ、というフェーズがあります。
そのタイミングで、トラウマを経験したことをご本人が自然に受け入れられ、そして次に向かえるなら理想的です。
あるいは、次に向かいたいところ(情熱をともなう目標、新しい生き方をしたいと思わせるなにか、など)が見え始めたときに、トラウマを抱えてきた人生を徐々にフェイドアウトしていくとも言えるでしょう。
ただ、トラウマの渦中にいる時には、本当にご本人はまわりにわかってもらえず辛いものです。
また、わかってもらうことももはや諦めているかもしれません。
トラウマを通過し終えたときに、腑に落ちるものがあり、心/マインド/メンタルを超えて感覚的に腑に落ちる実感を伴うでしょう。
トラウマを抜ける終盤の段階で、無意識にして難関なのは、トラウマそのものや、トラウマ的な出来事に関わる人などから解放されることではありません。「トラウマの経験をしてしまった自分の人生」そのものを許す、受け入れる(受容)、肯定する(認める、尊ぶ)ことです。
そこを通過しないと、何かの弾みやきっかけで、終わったはずと思っていたトラウマが幻想として出てきます。
それは、トラウマそのものや思い出ではなく幻想です。不自由な状態や思うとおりにいかないと自信がなくなると、その意識がプロジェクタのように、トラウマの幻想を投影します。
「自分の人生は、これでよし!」と、かつてのトラウマ、失敗、過ちなどそのものを包括するワンネスの意識で認められると、トラウマの低い波動から差障りを受けないでしょう。
けして事なかれば主義ではなく、むしろすべての事象を「事」としてみなせるから、囚われる必要がなくなるのです。
トラウマはときには、脳や視神経のダメージによって、意志や思考うんぬんでどうにもならないこともあります。
かと思えば、ひょんなことで解除されることもあり・・・少なくとも、「トラウマとは」と決めつけず丁寧に優しく接するなかで、それがトラウマそのものを受け止めることになり、エネルギーがシフトするようです。
何かヒントになる部分があれば幸いです。