アディクション(Addiction)は、中毒、常用、嗜癖、依存などの意味です。心理的問題として扱うならこれらを総称して「アディクション」と呼ぶほうが、ニュアンス的にしっくりきます。たとえば、中毒はアルコール中毒、薬物中毒など人体や行動に悪影響があります。悪癖や趣味にハマることもレベルによっては深刻です。
一方、他人に迷惑をかけたり、心身によろしくはないけれど、キャパの範囲内のアディクションは、多くの人が持っています。
飲酒・喫煙、砂糖、脂質、など体に取り込む飲食物については、セラピーやカウンセリングの場面でもご相談があります。これらのアディクションがメインのお悩みでなくても、「そういえば、少し気になっている問題」は、ご自分の本質的な課題を非常によく物語っています。具体的なケースは後半にご紹介しますね。
アディクションには、人間関係や情に依存する、ハマる、中毒になる、なども大変よくあります。これらはむしろ医療的治療より、セラピー寄りの現象です。本物のアディクションは、自分が中毒関係や依存を起こしていることに自覚がありません。むしろ良かれと思ってやっています。少し自覚している方の場合は、自己投影やイメージの部分で問題を見ていますから、自分の側のあり方を変えれば、相手や状況はとてもスムーズに早く好転します。深刻の人間関係の中毒や依存では、物理的な問題にまで発展しており、問題化した先は、お金、他者を巻き込む、周囲や社会の一部に迷惑をかける、などに及びます。
アディクションの事例は、皆様の周りにも見聞きして推測がつくと思います。ご自分自身に当てはまることこともあったでしょうか?!
アディクションには、大きく分けて2種類あります。
① 物質的なアディクション
アルコール、ニコチン、糖分、脂質、薬、麻薬やヘロインなどの幻覚性の薬物。飲食物に含まれている、特定の成分と結びついています。中毒になった成分と代替的なモノが合えば、そちらに交換されることもあります。
これらを止める・・・というレベルは難しく、改善、回復、するには、特別な治療やトレーニングなど物理的な方策が必要になります。生活を隔離したり、そのモノを断つような環境、多少の心理的なサポートなどが望まれます。
② 行動的(習慣的)なアディクション
買物依存、ギャンブル、過食、特定のハマっている習慣、など。過食症などと病名がつかずとも、甘い物、スナック菓子、アルコールなどを止められない・・・といった習慣はこちらです。体質によってはアルコールやニコチンと物質的なアディクションにあるようですが、スパッと禁煙や禁酒ができてしまう人は、行動的なアディクションだったと言えます。
関わりのエネルギーの波動(同調する波動にあればこそ関わるという意味で)の法則からして、①の状態は物理的な対処が優先されます。完全に健康的に断つことができるとすれば、それまでの生活、環境、主な活動は大きく変化する期間が必要です。そして、元の生活、環境、活動に戻ると、アディクションも戻る確率が高くなります。変化する時期の期間に、アディクションを必要としない生き方にシフトすると、うまくいきます。時期や程度によりますが、不可能ではありません。文字通り「生まれかわる」観点が肝要です。
②のアディクションを止めたい、「行動変容」したいという方は、とかくメンタルやスピリチュアルに関心のあるタイプに多いようです。①より根本や本質優位であることは気づいています。アディクションそのものは軽度で、むしろご自身のほうが深刻に受け止めていたり、前向きに改善できたらよいのに、と考えています。
あるいは、自分ではなく家族、お子さんなどが「好きな◯◯ばかりやって、夫がいつも散らかしっぱなしです」「いい加減、息子のゲーム中毒をなんとかしないと」と行動のアディクションに現わすこともあります。
ほかにも、「常に気になっている」「いつか変えられたらいいけれど、ほかのこともあれこれ忙しく」「そして、今日もいつもの行動だった(飲み過ぎ、食べ過ぎ、書い過ぎ、etc)」のパターンは多いかもしれませんね。
〈アディクションの原因〉
①も②も、中毒・依存・常用のきっかけや、累積しているものは、気分の落ち込み、ストレス、怒り、自分にとってストレス性の強い感情、などです。それらにエピソードや関与する出来事、さらに時間の経過が相まって、継続していきます。この状態はとても辛いです。自覚しているかどうかは別にして、自分が思っている以上に、また無意識に気づいていない以上に、自分のキャパを越えています。すると、それらを取り除くために、癒すために、解放するために、アディクションの物質や行動と関わります。
近年ではスマホ(ネット、アプリ、ゲーム)がここにも関与していそうですね。
〈深刻なアディクションなのか?〉
子どもの(最近は大人も?)ゲームばっかやってる!現象は、本当に深刻はアディクションなのか、悪癖程度のものなのか、身近では判断が難しいと思います。止めてほしいわけでしょうからね(笑)
また、特に女性からは「今日も食べ過ぎた!」「気がついたらポテチ袋が空になっていた(後から気づく)」「毎晩ワインを1本あける」と聞くことがあります。笑い話であり、実は深刻なのかな・・・と伺い見えます。深刻なアディクションになる物質・習慣・行動には、「アディクションの原因」を満たすものだけでなく、もう一つの役割があります。
それはご褒美です。
何かを「達成したからご褒美だ!」「がまんしてやり終えた!」「今日は特別な日!」そんなときに、ストレスや感情をなだめるときと同じ物質(飲食物など)、行動、習慣でご褒美にするとしたら、あなたがアディクションになっているそれらです。
アディクションは、ネガティブな状態をごまかし、補填するための物質や行動は、中毒・常用・嗜癖ではありません。ご褒美などむしろ満たされているような状況、さらに常にその物質や行動がないとやっていられない・・・となると、結構・・・アディクションです。
特に①の物質のなかでも、自分の意志を殺いだり、自分の本来の感覚や意識を止めるような薬物は、その体験時間が長いほど、どんなときにも必要なマスコットになります。(辛くても、悲しくても、嬉しくても、フツウのときも・・・いつも)
〈アディクションの本質〉
一般的な思考のロジックでは、原因がわかれば解決できる(解決が近い)とか、原因と(解決に向かうための)結果はひとつの線上にあり、結びついていることが多いと思います。原因を知ると少し安心したり、納得したり、方向性が見えるような気になります。原因と結果が単純に解決に繋がる物事はたくさんありますが、いつまでたっても解決しない物事も、大変たくさんあります。それは、原因と解決のロジックは、限定的な一部のことしか加えておらず、不確実要素や曖昧なものを削除しているからです。限られたところで、なんとかしようとしている、制限や限度のあるなかで最大限な結果を導く構造です。
原因と、解決に通じる結果は、実は同じです。正確には、本質が同じ=同質です。つまり、アディクションを止めようと思って止めている状態と、アディクションを起こしている状態は、同質です。物理的なシーンは、やっているか、やっていないか、違って見えるのですが、ね。
アディクションの本質は、厳しい制約、キツイ限界、というマインドの状態です。
制約とは「制限や条件をつけて自由に活動させないこと」
限界とは「その状態を持ち堪えることのできるギリギリのところ。二つの物の間を境界で区切ること」by 国語辞書
制約と限界が優位な思考、価値観がマインドを占めて生きていると、なんらかのアディクションになります。特に自分のマインドだけでなく、物理的に関わる周りの人々、社会、世界からの制約や限界が強いほど、深刻になります。アディクションに慣れっこになり、法的に触れない物質や行動であれば、周りにもアディクションがあることを正当化します。
擬似的なアディクションの場合は、ストレスや感情の解放のときのみか、ご褒美的なときのどちらか、または軽度に両方を為すでしょう。周りからの制限や制約を強要されていなければ、自分の意識レベルで気づき、改善できる可能性は高いです。
アディクションのテーマがたまたまタイムトラベルセラピー®のセッションで現れたNさん。
Nさん「(過去世のなかで)自分の手下(部下)に裏切られたせいで、すべて自分が見張り采配を振っていて。信頼したいが、裏切られるかもしれないジレンマ。重要なことを決めるストレスと不安が強い・・・
ひとりで赤紫の実をずーと、ひたすら食べてます。甘酸っぱい、好きだけど、イライラして食べたり。袋にいれて持ち歩いて食べている場面が出てきます」
過去世のNさんは、この赤紫の実のアディクションだったのかもしれません(笑)
Nさん「実を食べながら、ひとり事でしゃべっているのか、この実に話しかけているのか?好物なんだけどストレスみたいな」
この実が心境を投影していそうです。そして、体験を進めて、その過去世から今世を俯瞰すると
Nさん「(過去世は)自分に厳しくしすぎていた。いつも水が溢れそうで怖かった(表面張力で盛り上がった水がこぼれそうになるイメージが見えるとのこと)。(今世は)もっと楽しんだらいい。厳しくしたからうまくゆくもんじゃない・・・・」
体験の中のNさんから気づきがあったようです。
努力、鍛錬、勤勉などに伴うpositiveな制限、制約、忍耐、厳しさとは異なり、ストレスや無理や不自然で目的からずれている制限、制約、頑張りなどは、自分自身に対する健康的な節度がとれなくなります。
無理をしていることで、自分らしくいられなくなり、正気の自分なら筋の通らない物質や行動になびいてしまうのでしょう。
物理的に周囲や周りの人間関係からプレッシャー、制限や制約を強いられていると感じているようなら、自分の内側にそのような観念、価値観、自分に対する強要、過去のエピソードを引きずっている(大事に抱いている)ことがあるか、チェックしてみましょう。
人それぞれですが、
制限や制約となる何かしらから「自由」になりたい、解放されたいことがあります。しかし、自由にはなれない、解放されはしない、と信じているとアディクションが続きます。でも、この「自由」は、見つけたら自由になれます(笑)
構造の解説や事例が長くなりましたが、
アディクションの本質を見つければ、対処なり止めることができます。すると、なぜかとても世界は広く見えてきます。狭い世界や限られたルールや価値観から、自由になるからでしょう。
アディクションが気になり、止めたいと思う方は、真摯に「何から自由になりたいのか?解放されたいのか」「制限や制約にしているものは何か?」自問するとわかるかもしれません。制限や制約にさせている自分自身のこだわりの意識がアディクションと結びついています。
コラムP.S.
セッションの後に伺ったら、Nさんは「ドライフルーツ、いつも何か持ってますよ。カシスとか、ブルーベリー、最近デーツ も食べてますかねぇ」とのこと!前世の好きな食べ物あるあるです(笑)