総称して「死んだ後は大丈夫」ということのようです。
もしも、ご自身が直面していたり、周りで身体的な死に関わる事態が起こっているタイミングなら、受け止めがそれぞれでしょうから、少し達観できる気分のときに、さらっとお読みいただければ・・・というコラムです。
日本語として「大丈夫」というのは、便利で使いやすいですね。
日常遣いでも、深刻な状況でも、場にゆとりを創ります。
ときには、「大丈夫」と言われて、その裏付けが気になり、むしろ不安になる方はいらっしゃいますが。
ともあれ、含みを伴う「大丈夫」ですが、この「死んだ後は大丈夫」は、明るい陽光がさすような穏やかでナチュラルな「大丈夫」という印象です。
「大丈夫な世界」があるなら、こんな感じかなぁ、という大丈夫さです。
その「大丈夫な世界」に寄れば、確かに人間が言うところの「死」はあり、そこからは身体を持つ次元には戻れないようです。
事故や急病で起こり得る幽体離脱やせん妄をみる状態は「生」の状態で起こっている現象。
普段の問いかけで、終活や、いつか迎える自分や家族などの死について、何かの折に考えたり、人と話すことがあるでしょう。生死についてなんぞやと研究する人もたくさんいらっしゃいます。
子供さんによっては「長生きできますか?」とか、ケンカなんかで「死んじゃえ」のような言葉をぶつけることがあるかもしれません。
肉体に持って生きているときは、死そのものより、死に方や、死に伴うであろう苦痛などや、死による別れや遺す物事についてのほうが、苦悶するテーマなのかもしれません。
純粋に死にまつわる恐怖が強い人もいます。
なお、カードの死「Death」は、変容(Transformation)の象徴です。
肉体の死とは、包括的な生命の一区切りや、一部を切り取った現象のようです。
肉体が生の象徴である人間から時間の尺を解釈するなら、長さ(寿命)や反復性(転生など)として理解されやすいものです。
肉体の寿命の前後や、肉体という部分以外がある、ということです。
現代人が一般に時間を認識するのは、解釈の選択肢のひとつです。
人類が憶測/推測可能な認識では、肉体の死という現象は、直線的な時系列ではなく、一部分のようなフェーズである可能性があります。
ごく稀に、並行宇宙に複数の人生で生きていることを、ガチで認識している方がおられます。
たとえば、
「ペルーで暮らしている自分の魂(意識)の一部の◯◯君は、今、インドに居る私に[連絡]してきて・・」という会話を、フツウに話たりします。
この[連絡]はメールやメッセージや電話ではなく、意識網の通信のことが多く、たまに日常使う通信手段や人を介する手段により、起こっています。
これは、16年くらい前に、インドで開催されたPast Life Regression Therapy(過去世退行セラピー)のカンファレンスで、食事中に出席者の女性が話していた会話です。
今思えば、このカンファレンスでは、過去世どころではなく、複数の意識と繋がっていることを通常のコミュニケーションと同期している人たちに、しばしば出会いました。
多次元文明を同期している人は、今の地球の地図上の土地と重ねて、ときにはパワーの強い方の多次元文明の影響を強く受けながら、今の身体のある行動を取っているようでした。
話を戻しますが、
肉体による生死に限定したところのみで意識が働くという解釈では、想像力や仮説、感知すら起こらないであろう領域があるわけです。
そうすると、肉体における「死んだ後」は、肉体的に生きている側の身からイメージしても、大きなものに包まれるような「大丈夫」を感じるのではないでしょうか。
幸い、ファンタジー、芸術、宗教上の言い伝え、SFエンタテイメントはこの領域を表現として展開してきています。
遠くない先には、仮想現実を肉体を通して実感することで、大きく生存の方法や意義が動きそうな気もします。
なぜコラムにこのトピックを挙げたかと申しますと、
つい最近、朝方に、いわゆる5次元文明(昔、徳間書店の5次元文庫シリーズがあった世界)のグリッドに繋がったのか、エジプト文明の暮らしぶりが、現在のエジプトのピラミッド群と時空空間の異なるホログラムのように視えまして・・・
「あら、今もそこでお暮らしなんですね〜」という印象を受けました。
なるほど、世界中の多くの人々が「エジプトのパワー」を感じたり、財宝盗難や発掘などの魅惑を続けさせる熱量があるはずですね。
ちなみに、歴史で習ったエジプト時代から、時間的にノンストップで暮らしているようです(笑)
相当の錬金術か何かで、文明を次元変換したのでしょうね。
エジプト古代文明の専門家の方がいらしたら….(笑)
この朝方のタイミングでは、もう詳しくは忘れましたが、レムリア時代は、エジプトのような暮らしぶりには視えないものの、いろいろ知っている(叡智がある)のは明らかでした。
身体に意識が強く戻ると忘れるという(汗)
次元の違いにより、ハッキリと留めておけないのでしょうね。
エジプトはすごく遺したがっている、継承と繁栄のパワーと黄金色が強い印象でした。
レムリアは知性が高くクールですが、叡智の先に「愛」の本質があるところまで到達されたようでして、たぶんですが、人類は想像できない「愛」の領域かも、と感じました。
確か、レムリアで感じたような?うろ覚えでありますが、
「死に方」は、関係ないということでした。
医学的に使う表現の「死因」(死に方によって、肉体の中でミクロな細胞やDNAなどに及ぼす)は関係するということでした。
何に対して関係する/関係しない・・かは、意識全体、通称「生命エネルギー」全体です。
意識全体、「生命エネルギー」は、肉体を持つ一個人を含むホールネス(全体)です。
「死因」とは波動の変化なので、その波動情報が、意識全体に記録される、という影響のようです。
(例:おおきな事故で亡くなった方が、窒息による細胞エネルギーの変化なのか、脳の損傷で神経に致命傷が起こったのか、など)
人々の感情、思い、思考は、生命エネルギーのレベルには直接影響しないようです。
なるほど、念、雑念、想念、情など、量子エネルギーからしたら、デカすぎる分子ですものね。
以上、わたしの朝の夢のお話でした。
以前、前世療法にとても興味を持たれた方々がいらっしゃったのを、思い出したました。
おひとりは、漫画を描いていらっしゃる漫画家さん、
もうひとりは若くして他界した伯父さんに共感したきっかけで、魂の世界に興味を持っていました。
漫画家さんは、さすがにクリエイティブな才があり、たくさんご自分の前世を体験していかれました。
そして、「今日の前世は、・・・晩年は老衰で穏やかに心地よく。平和でした」と、漫画のストーリー創りには、物足りないとばかり、「次回はアタリの前世を体験したいです」と帰られる方でした(笑)
後者の方は、非常に体感が強く、戦場で最期を迎える前世を複数もっておられました。
切られたり、撃たれたりの衝撃を相当感じており、前世体験後にお声をかけるまで、こちらに戻るのに少し時間を要する方でした。
今のMetaのVR体験なら、知覚モードセンサー搭載の必要がありますが。
セラピーの側面で、前世療法はそこで一生や死を認識するため、今この人生を生きることを鮮明にしたり、生死の尺のなかでおこる感情やトラウマのドラマを整理する目的があります。
非常に創造的です。
「死んだ後は大丈夫」から、話が展開しましたが、それによって、日頃の意識的、無意識的に決めてかかっている「大丈夫じゃない」不安や懸念などを、かなり払拭できるように感じます。
何が起こったから・・・こういうものは「大丈夫かどうか」から
→ご自身が心地よいものを創造するスタンス になります。
毎日が「大丈夫だし」「安心していこう」「大丈夫でありがたい」などという常態であると、本当に大丈夫が腑に落ちてくるでしょう。
それなりに、毎日善い日、ハッピーデーです(^^)
だから、「死んだ後は大丈夫」です・・・なんか知らんけど。(※ Osaka風)