「悶々とする」経験はありますか?
不安や心配事を考えて辛い気持ちになり、どちらかと言えば、ひとりで鬱々と苦悩し精神的にしんどい状態です。
悶々は、門の中に心が置かれた文字です。
落ち込んで自信をなくすこともあれば、憤懣し、誰かや何かを責め始めるかもしれません。
悶々とすると、ポジティブな心身の状態には思えないでしょう。だから、そういう状態に浸ると、その苦しさから早く抜け出すために慌てることがあります。
たとえば、セラピーやヒーリング、カウンセリング等も、悶々とした状態から救われる可能性があるひとつの方法です。
ただし、それが短期スパンで必要になるとき、ぶり返すようなときは、①セラピー等が合っていない。あるいは、② 悶々とする成長期 の可能性があります。
セラピーが合っていないときは、セラピー直後にご自身で違和感があるでしょう。
一方、成長期〜変容期や発酵期と呼んだほうが、的を得ていると思いますが〜の場合は、ご自身にとって大事な経験を経ているために、時間やプロセスを要する時期に置かれていることが多いのです。
悶々とするところから、一刻も早く脱出したいとは思います。
確かに、比較的早急に脱却できるものもあります。しかし、ご自身の人生の尺のなかでは、手間取るフェーズを踏むことだってあるものです。
気安めに聞こえるでしょうが、あとからみれば「遠回りが、一番近道」というような悶々とする時期を経ていたとわかることもあるでしょう。
悶々とする状況にある方は、ひとつのことだけでそうなっておらず、複数の込み入った事情などにとらわれている可能性もあります。
何より、思うようにならない、自分の努力や、行動だけでは難しい。あるいは誰かの何かを背負わされているような状況なのかもしれません。公的な場、職場でも発生します。
ここで、「悶々とする」状態に関係する3つの対策を挙げてみたいと思います。
いずれか何かのヒントになれば幸いです。
① 悶々とする原因や対象が、物理的にわかっている場合
ご相談で伺うことが多いのは、仕事、人間関係(家族や身近な人、友人、何気ない知人、利害関係がありそうな人たち etc)、経済事情、体調などに関連する悶々です。
悩むことと、きちんと考えてみることの区別が曖昧な場合が多いようです。
すでに精神が疲れてしまい、的確な答えや自分の意志を引き出すほどのエネルギーが不足している方が多いように感じます。
考え抜くことに怠慢なわけではなく、「もうどうしたらいいのだろう・・・」と絶望する思いや、救われたいという意欲が錯綜しています。
これも、後々になれば成長や変容の一環と言えるでしょう。
しかし、自覚できる糧とするには、何かひとつ、小さなことでも、自分自身ができることをやってみる、考えてみる(気付きなど)と、好転の兆しをつかみやすくなります。
また、人それぞれの状況は異なりますが、相当数の現代人はこの経験の最中にいますので、「自分だけが苦しいのだ」という思いから心を解放するだけでも、展開の視野が広がるでしょう。
② よく悶々とする
強く思い悩むわけではないのですが、些細なことで、すぐ悶々としやすい、というタイプです。
何かにつけ気になる、悶々とした人と話すと自分も悶々となる、常に何かを気にしている、物事の先行きを案ずる、人のことが気になる などなど。
それが日常のデフォルトになると、時間や体力を相当消耗しているはずです。疲れやすかったり、常に時間に追われているかもしれません。
もし、ヒーリングやエネルギーワークをされている方なら、いわゆる「波動が下がりやすい」という自覚があるかもしれません。
このようなケースは、気(気分、調子、波動)を晴れやかにしてしまうと、簡単に悶々を解消することができます。反応が早く、ただし、それを維持しにくいという傾向があります。
つまり、常々悶々としている内容は、ご自身にとって特定の意味を持つほどの影響を与えていないはずです。
さて、どこに成長のテーマがあるのでしょう?
ご自身の生活に、快適で規則正しいリズムをもつことや、事の大小を問わず日々に目的をもって過ごすと、悶々とするエネルギー波動よりも意識を高め続けられるようです。
ご自身によって、生活や状態、意志、意図を自立的に調整することで、周りの影響を無碍に受け取りません。そんな悶々とせず暮らす日常にあるときは、きっと何か成長させてくれるものに取り組んでいらっしゃるはずなのです。
③ 人生の岐路、人生の目的や生きがいについて悶々とすることもあるでしょう。
ご自身でも、それが先々の成長や変身(身の振り方という意味で)に通じるような自覚があるかもしれません。
このような人生の課題と丁寧に向き合えるときと、正解と呼ぶべき人生の進路や目的地を求めることにとらわれて苦悩するときがあります。
特に後者は、身体の思春期(自覚のある方は)の生理的なイライラと近しい苛立ちや不安を感じるものかもしれません。
一般的に、若い頃の社会が提示する進路や進学と、個々人のライフステージで経験する進路や人生の目的探しは、ニュアンスが異なります。
どちらも、成長プロセスです。厳しい道やハズレの方向へ進んでしまうのも、プロセスなのかもしれません。
ここで、ほかの2つと異なり、③の悶々とする(成長)時期をスムーズに移行する方法を、ひとつご紹介してみたいと思います。
ほかの2つの悶々状態に比べて、自分次第な要素が多いものです。
実際には家族、環境、事情諸々あるとしても、ご自身にとっての人生と捉えている時点で、実は自由度が高いはずです。
③のように、人生について悶々とするときは、いわゆる「人生を俯瞰する」方法があります。
ご自身の過去や現状はともかく、「今の自分」の人生を上から見下ろすように眺めます。見下す(みくだす)のではなく。
このとき、過去や未来の人生軸は殆ど不要です。
「人生を俯瞰する」ことがイメージしずらい、どうやるの?と思うかもしれません。
❶ 屋外の公園や、ひとりで立ち止まっていて怪しまれないところに行きましょう。ベンチや心地よい石のヘリなどに座ってもよいでしょう。
❷ 両足を肩幅ほどに開いて姿勢良く立ちます。ベンチなどであれば、姿勢よく座ります。
目を閉じて、深呼吸をしながら、『意識』を頭頂部の百会から上に引き上げ、数メートル上から自分を見下ろします(イメージします)。
単に創造する、という感覚でもOKです。
❸ 自分自身を頭頂部の上から俯瞰する意識から、今度は、立っている(ベンチ等に座っている)あなた自身の前に、『これから進むにふさわしい道』をイメージで用意します。荘厳な街路、賑やかで楽しい町中の道、自然豊かな小道、あなたが好きな道、斬新な道、ハイテクな道、等々です。
❹ その道を丁寧に観察し、イメージのなかで眺めたり、雰囲気を味わいます。
だんだん悶々とした不安や重たい気持ちが晴れていきます。そして、現実レベルでも、あなたの人生の路を発見しやすく、進みやすくなります。
悶々とした気持ちや重たいエネルギーが晴れたら、スッキリと目をあけて体験から戻りましょう。
人生の現実は、あんがい気の持ちようで、追い風や引き風を起こすものです。
悶々が軽量化すれば幸いです!