感情的な辛さや苦しさを伴う悩みや、モヤモヤとして思うようにならないときは、「責める」というステート(状態)が優勢になっているかもしれません。
この「責める」は、私たちの無意識レベルで、わりと頻繁に起こっている感情のベクトルです。
「責める」矛先が明確な誰か、事象、エピソードのこともあれば、漠然と毎日「責める」モードに過ごしていることも多いようです。
ご自身では、自他に対して責めた態度をとっているとは気がついておらず、むしろ、「なぜイライラするのだろう」「ストレスを感じやすい」「いやなことばかりある」と考えがちです。
無意識レベルに起こることは、主語や主体が簡単にすり替わります。
そのため、ある特定のことを責めながら、別の複数のことにも同様に反応しやすくなります。
そのなかには、自分自身に矛先を向けて自暴自棄や自己憐憫にうつろぐような不安定な状態になりがちです。
とかく、他人や、ネットなどで不特定多数の人々が何かを「責める」ような態度と、自分の「責める」は違ったものだと考えるものの、他人や世論が何かを責めたり、炎上、突っかかっている態度が気になるときは、潜在的な「責める」気質が起動しているようです。
「責める」ことで原因や真相を明らかにしようとしたり、物事を整理しようとする部分もありますが、この「責める」という方策は、あまりうまくいきません。
なぜなら、「責める」には、結構複雑に絡み合った、重たい性質の感情が重しのように働いているからです。
よくある感情エネルギーは、怒り、憤り、恨み、悲しみ、ほかにも小説家なら特有の表現をしそうな独自の感情のひだにハマるものとなるでしょう。
「責める」きっかけや対象が、他人や自分自身であっても、主語・主体は目に視えないレベルでは何者、何事にもすり替わりますので、その対象に向けて、複数の感情が納得したがります。
「責める」状態が長期化し、しかもそこから足を洗うつもりはないと決意してしまうと、多くの場合はスピリチュアルや精神世界で扱う範疇から、社会的な論理だった方法ややり方にシフトしていきます。
この段階になると、「責める」は「攻める」に移行していくようです。
ふつうの考えでは、ほぼ絶対に、そもそもの何かによって辛く感じ、「責める」に至っていると考えますが、そういうレベルのものは案外限定されており、多くは「責める」に起因する感情、考え方、態度によって辛さを増している可能性が高いものです。
前向きに力強く何かを進めることを「せめていきましょう!」と言いますが、原動力や生き甲斐としてエネルギーを変換することもよくあります。
「責める」は確かにストレス負荷が高く、自他ともに消耗し、疲れやすくなります。
現在「責めてます」進行中の人物が近くにいる場合は、それなりに境界線を引いておかないと、疲れるものです。
「責める」エネルギーが関与するお仕事や役割に就いている場合、たとえその対応に手腕があり慣れていても、気付かぬレベルで負荷を受けているでしょう。
そもそも、「責める」側の意識は、「責める」ことで、安心、平和、納得、決着などを手にいれたいと考えています。この「責める」ルート自体は、ある種のプロセスです。
もともと、その方の経験、環境、気質、魂のルーツなどにも依りますので、しんどいと思いつつ、つい「責める」という性分のある方は、ときどき、休戦や休憩を一息いれるとよいでしょう。
心、魂(精神)、身体は、肉体をもって生きている間は相互に繋がり連動しています。「責める」エネルギーが心や感情で収まらなくなると、肉体や物質領域にも投影します。
また、最初は特定の何かを「責める」ことから始まっていても、ほどなく、自分自身や大切なものにも「責める」は伝播します。
この段階になったら、「責める」ことがルーティンになってしまっています。
いつもり疲れていたり、睡眠不足、栄養不良、喉が渇いている、人混みでうるさいところにいる、といったことでも、「責める」スイッチが入りがちです。
逆にいえば、これらを改善し、満たしてあげると、一過性の「責める」ストレスから解放されるでしょう。
ちなみに「むしろ、自分はわるくないのに、周りから責められることが多い」という方や、
Mさん「ある程度人が集まると、いつも自分が責任取らされる立場になります」
などの場合は、パターンとなっているようです。しつこいものなら“カルマだ”と言われるかもしれませんね。
その場合、
ご自分が「責められる」シーンに直接関係のないところで、日頃から、ご自身を優先し、大切に扱ってあげることで、少しずつ、周りからこちらへのエネルギーが変容する可能性があります。
ときには、無自覚に、ご自分で自分を責めたり、ダメだな、といった自責癖があるのかもしれません。
Mさんのケースでは、幼稚園にいた頃の体験も影響していたようです。
Mさんの小さい頃、幼稚園のなかでもおとなしくて、心のなかで思っていることを言葉で伝えられない状況がでてきました。
そのときの内容が….というよりも、思いを伝えられないことを自責してしまっていることが、後々になって「いつも自分が責任を取らされる」ことに繋がっていたようです。
なお、ほかにもさまざまな起因はあるのでしょうが、セラピーや透視などで出てくる原因は、決定的なものではなく、今のMさんにとって受けいれやすく、昇華しやすいエピソードがヒーリングを起こしてくれるものです。
「責める」「責められる」から解放されると、原因や起因を探るときに、二元論的な思考から離れ、全体を観察しやくなります。
すると、責めるも責めないもない、より納得、合点がゆく、平和的な何かにいきつくようです。
また、他者の「責める」態度、ニュースや噂などについても、より広い意識からそれぞれの見解や立場を受け入れたり、関与せずに見守るといったスタンスをとれるでしょう。