通称「シネコン」と呼ばれるシネマ・コンプレックス。
最近、映画館で映画を観ないなぁ、という方々も「シネコン」の上映映画を大型複合施設の中で見かけたりしていると思います。
シネコンに一度は足を運んだことがあるかもしれませんね。
『シネマコンプレックスとは、6~18程度の劇場(スクリーン)を持つ映画館のこと』です。
さて、私たちの意識は、このシネコンのように同時に複数の映画やドラマが上映状態であるのかもしれません。
たとえとして、シネコンで、目当てのひとつの映画を観ている間、ほかの劇場スクリーンで上映中の映画は観てはいないわけです。
予告やポスターから連想する程度のインフォメーションはあるでしょうが。
映画に没入して観ている間、その映像・サウンド・ストーリー、さまざまな要素から、たくさんの感情や思考が湧き上がってくるでしょう。そして、無意識に身体的に反応したり、映画というフィクションの中においてリアルな新しい自分の経験を備蓄していきます。
ときには、映画鑑賞を休暇やデートのアイテムとして選ばれたのであれば、現実の体験とも交錯するでしょう。
私たちの脳・意識は、そのあたりの現実空間(肉体の存在する)と、想像、フィクション、感情等によってうまれる妄想などの区別を、概ねはうまく処理し、整理してくれています。
それらに優劣もありません。
シネマコンプレックスにおける「映画」の話との関連は、後述しますね。
ところで、数時間の映画に比べて、人生となると、時間の尺、登場人物、ストーリーはもっとコンプレックス(複雑)に込み入っていきます。
そのなかで、基本的に全く同じ話や状態は再現しません。
通常、生活しているときの時間は一方方向に流れていて(昨日→今日→明日)、カレンダーの日付が戻ることはないと信じていますが、映画のなかの回想シーンや、時空モノのSF映画のように、人生のシネマこそ、時間や場所や人との関わりは非常に複雑です。
映画と人生の着眼点の同じところは、そのときの主人公・フォーカスされている人物たちの視点や観点でストーリーが展開されるという、一応の枠組みがあります。
(まれに、主人公Aと、関わりのある人物Bの両方から同じ物語を描く映画もありますが)
短時間のZoomセッションで、メインのご相談事のついでに…のお話です。
コロナ禍明けの夏休みを前倒しし、久しぶりに故郷の実家を訪れたところ、滞在の後半には、昔よく感じていた思いが込みあげてきたそうです。
Sさん「実家に帰ると、ふだんは忘れていることを、関係ないのに思い出してしまいます。あぁ、また同じだな、と。そう感じ始めたら、そろそろおいとまするタイミングなのでしょうか?嫌な気持ちのまま帰りたくないですし…」
とはいえ、年を重ねてきた親御さんの心配や、親戚の義理立てから、義務感はありつつも、できれば気持ちよく関わりたいのかもしれません。
拝見してみると、Sさんの場合、いわゆる「シネコン」の複数の劇場スクリーンを鑑賞しているイメージが出てきました。メインの上映映画を見ながら、複数の映画を幻影のようにチョロチョロとご覧になっている様子です。
Sさん「そうですよ、シネコンではないですが、家のテレビでアマプラ(ネット映画)やNetFlixのドラマや映画を、掛け持ちで観るんです。夫から、おまえはおかしい!と言われますけど(笑)最後まで見終わる前に、別のドラマや映画を観たりしますね。しばらくして前のものを観て・・・」
それでもストーリーが混乱せず、記憶しているのは素晴らしいです!
確かに、連続のドラマやシリーズ映画を観ると、前回のものと繋がりますので納得できます。
さて、この透視で出てきた情報が、Sさんの実家訪問とどう関係があるのか?
映画やドラマの内容や、それぞれのランダムな繋がりが問題ではなく、
また、映画、ドラマ、シネコンとも関係なく、
・・・自分の居場所がないこと。
というワードが出てきました。
ハシゴ観をする習慣そのものがよい、わるいというわけでもありません。
Sさんの場合、ご自身にとっての「自分の落ち着く居場所、居心地がない」という、実家にいらした頃の家庭の様子や関係性と繋がりがあるようです。
Sさん「よく親や先生から、おまえは落ち着きがない、と怒られていました!でも、正直、居るとこがないじゃん!って思ってましたけど(笑)」
いろいろ家や時代の事情はあるもので、起因を責められるものではありませんが、ある時期に、落ち着いたり、安心できる場所や状況にいられない経験が強く影響すると、大人になっても、自分でどう落ち着いて安心してよいのか、よくわからなくなる傾向にあります。
現実生活は落ち着ける、居心地のよさそうな境遇や立場であっても、内側の感覚としてご本人は不安定さや不安などを感じやすいようです。
すると、今、ここで起こることを、時間や場所を適当に浮遊して関連づけたり、過去の出来事や感情をランダムに持ち出して、今の景色に投影し、観察するようになりがちです。
昔行った場所へ行ったり、昔会った人に出会うとき、ふぃに、さまざまな当時のエピソードや関連情報が被ってきます。
すると、この構造において、対峙する相手や場所が反応し、より当時のエピソードを膨らましたり脚色するように感じてしまうでしょう。
このような習慣や性分は、なかなか後から直しにくいものですが、一旦、「そうかも」と知性の部分で理解し、日頃からご自身の居場所、時間、状況を安心し、落ち着けるように心がけてゆくと、徐々に、雑多な投影から解放されます。
すると、過去の場所、人物、実家?、以前も似たようなことがあった経験に遭遇しても、「今は、今」と自然に関われていくでしょう。
たとえ、以前嫌なことがあった人と再び関わるとしても、自分も相手も、当時のことを気にせず、影響を受けずにいられるでしょう。
本来、私たちの意識は関連あるものを結びつけてくれるという機能があります。が、アンバランスに働くと、自分自身の意識であるのに少々厄介ですね。
というわけでSさんのシネコンの画像から、意識つながりのエピソードをご紹介させていただきました。
何かしら、実家や過去から帰省・帰還された際、役立つものがあれば幸いです。