「共依存」は人間関係において、よく見聞きする状態です。お互いを依存する対象として関係を築いています。
2人だけの共依存関係、3人以上の共依存関係、さらにグループや集団、組織どうしの共依存も成立します。
本質は同じで、お互いや相互が存在することで、自己が成り立ちます。また共依存という構造が自己のアイデンティティにもなります。
共依存による問題や困った現象は、数多挙げることができます。
今や、知る人にはよく知られた「共依存」ですが、ご自身がその渦中にいるとわかっていても、共依存関係を断ち切れず困っていたり、共依存の構造からの抜け出し方がわからず悩んでいる場合が少なくありません。
一度は共依存が収束しても、また別の人との関わりで、共依存が再燃した、というケースもあります。
親戚関係で悩むことの多かったBさんが、久しぶりに「身内のことで・・・」とセッションを申し込まれました。
Bさん「このところ、親戚関係が落ち着き、私も安心して自分の活動に専念していたんですが。夏頃から・・・・・・(略)なことがありまして。それで話を聞いているうちに、何かしてあげないと、と思いました。でも、何をしてあげたらいいのか、うちの夫もとても心配しているんですが・・・」
とのこと。
共依存の定義はさておき、ケースバイケースですので、Bさんのご親戚のほうを視させていただくと、
「他所の家のこと」という、割り切った状況として、受け取りました。
身内や親族であれ、仲良しの友人であれ、それはその「おうち」のこと、という健全な境界線、といった具合です。
Bさんは、思いやりから心配されていたのでしょうが、もともとBさんの課題でもあった「自分自身にもっと焦点をあてる」点を思い出させているかのようでした。
というのも、Bさんご自身のリーディングをしてみると、
「あら、あら来年はどんどん新しい仕事や関係が広がって、ご自分の力を発揮する流れ」
のように感じられたからです。
このようなタイミングで、まさに無意識の領域では、二の足を踏むような現象を引き寄せることがあります。
それはひとつの安全弁でもあるのでしょうが、Bさんが余計にご親戚を気にかけてしまったことと、関連がありそうです。
「共依存」は、周囲の基準や反応によって、自分の価値や存在意義を判断するものです。
自覚のある方、無意識の方、それぞれおられます。
多くの場合、もともとは、自分の思うとおりに価値を見出す機会を歪められてしまった経緯が影響します。
いつの間にか、他者の基準や反応によって、自己の振る舞いを身につけて生きるようになった流れがあります。
すると、自分だけでは、自分を信頼できません。誰かや何かに依存していく癖がつきます。
一方、共依存を受ける側も、相手と役回りを変えながら、同じ本質を持っています。
ついつい「困っている相手を助けてあげなければならない」と、健全な境界線を越えて心配しすぎたり、世話焼になったり、そんなつもりがないうちに相手や状況を救うためにコントロールします。
そうすることで、無意識に自己の価値を見出そうとしているようです。
共依存関係は、どちらもとても疲れます。
長引くと、それで関係が壊れたり、縁を切るような事態になりかねませんが、そこまで進展するのが、健全な状態(共依存を終える)に通じるプロセスなのかもしれません。
うっかり「共依存」にハマっていないか、気が付くポイントがあります。
・実は相手(関係)が面倒。
・義務になっている。
・倫理や多少の偽善がある。
・とても疲れる、消耗する。
・なんだか最近貧しくなってきた(いろいろな意味で)。
二者の人間関係では、恋人どうし、家族の中で特定の二者(母娘などが多いが、現在はさまざま)、介入しすぎる友人知人関係、など。懇意な取引先など、情やお金が絡むケースもあります。
三者の依存関係での王道は、家族における三者です。
父親、母親、子供です。一人っ子に限らず、子供のうちの一人が3人目になることもあれば、祖母、母、子、などバリエーションはさまさまあります。
三者の共依存では、「加害者」「被害者」「救済者(加害者と被害者の間にに入る人)」の役回りを、順繰りに回します。どの役割も辛いです。
直接ドラマ的な関係者がいないとしても、「共依存」をエネルギーレベルで認識すると、意外に影響を受けていることがあります。
それは、共依存的な集合意識、考え方や行動に従っている要因です。
エネルギーであれば、個々の人に限定されません。共依存のエネルギーをクリアにする、流す、解放するなどすれば、放れることが可能です。
共依存から解放されると、自分を信頼できるようになります。
信頼するために、むやみに疑い、葛藤する必要がなくなります。
「そうは言ってもわるい人が騙しにくるかもしれない!」と思う方がおられるでしょうが(笑)
エネルギーはその氣に呼応されなけなければ回避します。あるいは、騙されるという入り口から展開し、面白く賢明な状況に繋がっていくでしょう。結果オーライになります。
なぜなら、よそにエネルギーを向け過ぎず、自分に焦点を当てることで、うまくものごとが運ぶのが自然だからです。
自分に焦点を当てることは、いわゆる自己中(わがまま)ではなく、むしろ、周りの人々とのバランスを整えていくものになります。
そういえば、子育てのなかで、ある年齢になると子供のやることを信じてあげることで、自立心が養われますね。