「偉大なる何か」って何でしょう?
ふっと思い当たる、偉大なるもの・こと・人・象徴に、心当たりはあるでしょうか?
憧れや畏敬の念を抱くとか、幸福や安泰や豊かさをもたらすとか、輝かしく荘厳なものを感じる・・・などなど。
ときには、偉大なる何者かになろうと、切磋琢磨する人もいらっしゃるでしょう。
現在の精神宇宙、スピリチュアルでは、それは霊性を高める、波動を上げる、逆に妨げとなるネガティブなものを回避するがゆえに偉大な何かを求める、などでしょうか。わりとよく見聞きします。
人類の文明が栄えて以来、権力や権威、金、人との繋がり(民)は、それらを通じて偉大さに繋がろうとしたり、偉大な存在になるための手段になってきた歴史は、とても長いようです。
2023年の下半期スタートから少し遅れて、Aさんの下半期リーディングを進めていき、最後の「アストラルチャクラ」の情報を視させていただくと、
「常々、高みや達成感を求めて昇る、上昇している」という移動感を読み取りました。
何を登っているのか(木やはしごなど)、どんなところを上っているのか(山や空など)は視えません。ただ一心に上へ、高みを目指して頑張っておられるのです。
Aさん「少し前流行っていた、意識高い系だ、と息子から言われますよ!尊敬して言っている感じでは全然ないんですが(笑)」」
このコメントをいただいたことで、先ほどの移動感が読み解けました。
「死への恐れと畏敬を乗り越えるため」
というワードが出てきました。
Aさんご自身にも、また案外同じような指向性で生きる方々も多いようです。簡単な補足が必要な印象でした。
高みをめざす、偉大なものになろうとする、大きなエネルギーやパワー(力・存在感など)をめざすとき、肉体をもつ人間による共通の観念や死生観に関わりがあるようなのです。
人類は、どうやら、死に対する絶対的な恐れと畏敬を、偉大な力を持ち備えたり繋がることで、なんとか乗り越えようとしてきたものです。
「死なない」方向にも、チャレンジし続けています。
古代の民であれ、現代の一般ピープルであれば、たとえば自然に宿る神ような力、宗教的な神、渡世における偉大さに通じることで、恐れを乗り越える一方、畏敬し受け入れるような意識的背景があります。
一方、何らかの偉大さを手にしたり、宿すことに成功した一部の人々は、さらに偉大と思しき存在を崇めたり、その力になろうとしてきたようです。
それらをカタチとして留め、後世の私たちでも観光し、感じ入る遺跡、建造物、象徴は世界中に多々あります。
Aさん「最近は流れに委ねるとか、以前も言われたことがありますが・・・わるいことが起こるような前提を持たなくていいと・・・自然にしているつもりです。でも、性分なのか、ついもっと、頑張ろうとするのですかね?」
生・死に関わることは、それこそ人類のDNAに刻まれた経験、データ、はたまた集合的意識が強力に働いていますので、恩恵もあらば、影響も被っています。
「死への恐れや畏敬」については、良いも悪いもない観念です。ただ、Aさんには、それを「乗り越える」というワードが示されています。
ある程度、波動を上げて読み解いてみると、2つの智慧のようなコメントが示されました。
「死、恐れ、畏敬….は人類が創り出したもの」(ネガティブな印象はありませんでした。あっ、そう、という感じ)
「死を乗り越えようと、恐れや畏敬を抱くことで、人類は進化している」
たしかに、偉大なるものに憧れたり、高みを目指すことは、自らの力を拓く働きがあるでしょう。
その核に、死の関わりがあるのは、死と生が織りなすひとつの全体を象徴しているのかもしれません。
ちなみに、肉体の死に安楽を求める場合は、生の状態の苦から逃れるように思えますが、生と死の二元性を越えた観念から捉えれば、本質は同じ価値観に則っているようです。
その後、意識を取り直し、Aさんのリーディングとアクティベーションを進めるなかで、
「それで、どうなの?」という疑問については、エネルギー的に昇華し、下半期の活力になりそうな印象でした。
偉大な何かを追求したり、それらになろうとするとき、それが「死」を連想するものではないとしても、古代から受け継がれている(そして現在進行形か?)肉体における「死」へのチャレンジが、潜在的に影響しているのかもしれません。
少々深く考えさせられるセッションとなりました(^^)