「人を舐(な)めた態度」という表現があります。
相手から舐めたような態度を取られたら、多くの人は不愉快な気分になるでしょう。
人を軽く見たような、小馬鹿にしたような言動のことを指しますね。
意味の近いものとして、「見下す、軽視する、侮る、たかをくくる」などがあります(Webliio辞書参照)。
ところで、今年の下半期リーディングでは、他人ではなくご自分自身の人生に対してこのような態度を取っているケースがいくつか見られました。
そのほとんどは、ご自分に失礼な態度をとっていることにお気づきではありません。しかし、その非礼な扱いによるモヤモヤや、不満や不快感を感じ続けているのです。
それを反映するかのように、他者から軽んじられた言動を向けられているように感じると、自信も失せてきます。
ここで、実際にKさんのケースをアレンジしてご紹介しましょう。
Kさんのリーディングでは、ルートチャクラにおける衣食住の部分で「人生をナメている、バカにしちゃいけないよ」と、諭すようなメッセージが出てきました。
決して叱りつけるためのものではないようです。
ちなみにKさんの見た目や態度からは、人生を見切るような様子は殆ど感じられません。
Kさんの内面を深掘りしていくと、日々の単調さに対するつまらなさ、仕事や家庭という恵まれた環境にいながらも「これが人生なのかなぁ」と思うような心の裏側が伺えてきました。
この場合の「人生を舐める」とはどういうことなのでしょう。
エネルギーを読み進めていくと、人生を舐めることで、生きることがだんだん困難になり、生きづらさを感じていました。
もともとは乗り越えられるはずのことが、ストレスとして辛く感じられるようになっていました。
具体的には、Kさんは些細な他人の言動を中長期的に引きずってしまったり、仕事のミーティングで自分の意見を尊重してもらいにくい、と感じていました。
仕事上での反論を受けると、それを仕事上のこととしてだけには思えず、自信が失わせるきっかけとして捉えてしまいます。プライベートにも影響し、休日にそのことばかりを考え続けています。
ふだん私たちは、自分が自分自身にどういう態度を向けているのか、他人に向ける態度のようには観察していないかもしれませんね。
しかし、あえて自分に向けている態度を観察してみると、日常のさまざまなシーンで、自分にこそシビアになり、塩対応をしているかもしれません。
特に、周囲の人たちを優先しすぎて自分を後回しにするのが習慣になっていると、他人にやったら怒られるようなことを、自分にやっている可能性があるものです。
Kさんが自身の人生を軽んじることなく尊重していくには、どのようなことが考えられるか、さらにリーディングを続けました。
すると、
「人生の使命(揺るぎない信念のようなもの)があるのを思い出す」ことで十分だということです。
使命といっても、人から大層に思われることである必要はないようです。
Kさん「私の使命って、何でしょう?見つからない気がします」
ここで興味深いのは、その使命が何であるかを具体的に知る必要はなく、「人生に使命があるのを思い出す」ことだけで十分なのです。
ちなみに、この使命は、多くの場合、自分と他者のためになることが多く、自分と他人を分け隔てるような区分が影響しないところで働きます。また使命を努めることがとても楽しいと感じるとき、予想しないような使命を果たしていきます。
なるほど、確かに、使命を持って生きる人が、人生をナメている印象を与えることはなさそうです。
また、使命とともに生きているなら、たとえその姿を嘲笑う他人がいても、そんなことは気になりません。
Kさんに限らず、多くのクライアントさんに見られるの傾向として、外部からのストレスや問題に弱ってしまうと感じるときは、それに拮抗するだけのエネルギーやスタミナが不足しているものです。
人生を軽んじなければ、エネルギー補給をする重要性を実感するようになります。
エネルギーやスタミナ源は、本当に人によってさまざまです。
基本的で身近なものとしては、
栄養、休息、安全な場所、時間、仲間、知性、芸術、旅、家族や特定の何かとともにする経験、などがあります。
精神的、身体的なエネルギーは日々消耗しますので、適宜充電することが要です。
また、コミュニケーションや、ちょっとしたおしゃべりなども、実はトップ10にランクインするスタミナ源になります。
頑張りすぎないセルフケアのような心がけは、自己のみならず、他者の人生をも尊重することにつながります。
そして、ほかの誰かから舐められるような言動を向けられることも少なくなるでしょう。
実際、Kさんの後日談があります。
セッション後に仕事の会議があり、そこで自然に意見を発言することができたし、その場で主張を受け止めコミュニケーションが取れる感触を実感したそうです。
というわけで・・・
「人生を舐めてはいけない」とは、言うは易しですが、人生の価値を認識し、大切にすることのようですね。
誰の人生であれ舐められるようなものではなく、尊い物語と捉えるなら、良い人生・悪い人生というラベル付けをするのも、ナンセンスになっていくでしょう。