リスタート・セラピーを受けるきっかけとして、「新しい充実感が欲しい」「若い頃とは違うかもしれないが、行動的に邁進したい」という思いの方々がいらっしゃいます。
クライアントさんでも、誰でもそうかもしれませんが、自分では「こうありたい(状態)」「こうしたい(行動)」を言葉に置き換えるときは、今までの実経験や、知識や情報がベースにあります。
そのため、自分の望みのためには、「こうした方がいい」「これが正しいだろう」など、ある程度の思い込みがあります。
その思い込みは間違いではないにしろ、自分に落とし込むと該当しない場合がしばしばあります。思い込み、情報や通念が強いと、何かと遠回りをしがちです。
それらを含めて人生経験なのでしょうが、やはり労力や時間はもったいないですね。
幸いなのか、やり方や考え方がどこか間違っているときには、間違った方向へ行かないようなブレーキがかかり、いつまで経っても、望んでいるはずの状態にはなりません。(ある意味、ブレーキで守られています)
世代、時代、環境を加味したとして、多くのことをやる、行動的である、人付き合いが広い、良いとされることをやる、などの性質は充実感を象徴しています。
具体的には、お仕事や専門活動がある人なら、それらで忙しい、きちんと評価される、収入や豊かである、賑わっていて孤独ではない、うまくやっている(ように見られる)、なども、充実感の象徴でしょう。
今は、ネットやSNSなどの媒体が、それらを表現する活況な場です。追従し波に乗っている人と、その波は合わない人もおり、ここは自由ですが。
この人生(一回の転生)の初期段階(若い頃)では、その人自身にとっても、また周囲にとっても一般的とされる充実感を経験することが多いようです。
(転生を繰り返し久しい方は、前世においてでしょうか…)
ハッピーな充実感はわかりやすいですが、あいにく、苦労や波瀾万丈という充実感を選び、生きる魂の傾向の方もおられます。
そこは、映画や物語のジャンルと同様、ご本人の趣向です。そんなつもりがなかった場合は、魂のブループリントで決めてきた、と申しましょうかー(笑)。
そして、2回目以降の人生の充実感は、それを求める余裕のある人たちは、模索をします。
長生きをする人たちだけでなく、今世の寿命が数字として少なめな人でも、若いうちや子供の頃に、新たな充実感を探す場合があります。
冒頭の、リスタート・セラピーに話を戻しますが、文字どおり、人生や状況を再出発したいクライアントの方々は、まだまだ気持ちやエネルギー、行動面や体力でも、力があります。
ただ、そのまま勢いでは動けないような、思うようにはいかないようなところで立ち止まっていらっしゃいます。
時には状況が悪かったり、体力がついてこなかったり、思いだけが先走るような・・・・。
Eさん「以前のような心配や、手がかかるものは終わり、楽になりました。
世の中は戦争やらいろいろありますが、うちの中は平常です。日々感謝を感じられるようになり、というか感謝しなければ申し訳ないよね、と思って心がけています。
私はもともととても忙しくして充実していたので、このままではサボっているような、大事なものが足りない気がして・・・何かボランティアとか活動をした方がいいのでしょうか?それもあって、リスタートで見つけたいと思います」
…といった趣旨のことでいらっしゃいました。
セラピーの中では、Eさんは、かつて充実感のあった実体験を複数回想されました。
過去世のような、願望のようなものもありました。ある意味、第二フェーズのEさんが〈リスタートを実感する状態〉になると、そこでは、何かによって得られる充実感から抜け出しており…
Eさん「目の奥の方で、ちゃんと目覚めている感じがします。普通に開けている目の奥が目醒めている??言葉では表現しにくいのですが。
昔の充実している自分はとても忙しくしていて、目の奥は閉じているように見えます。
閉じているからダメではないんですが…
そのおかげで、見ないで済ませていたことがあるし。やらねばいけないことが多くて、文句や不満もあったのに、それに気づかないように逃げてた(逃避)感じがします…」
逃避という、心理的にはネガティブに聞こえますが、Eさんにとっては、そのようにして乗り切っていく時期だったのかもしれません。
そして、今は身辺の現実が平和的でいらっしゃるのであれば、〈何かをする、やる〉ことによって充実感を満たすのは筋がずれている可能性があります。
〈何かをする、やる〉といった行動や予定などによって充実しながら生きる時期は、とかく闘う系のエネルギーが強くなります。
競争、葛藤、評価、肯定と否定などです。そこでパワーをつけることはあるのですが、そのフェーズを越えると、闘うようなことに疲れたり、虚しくなったり、何かしっくりこなくなります。
かつて充実感をもたらしていたものから離れるかもしれません。
あるいは、〈何かをする、やる〉に充実し、もしや逃避していた(?)自分自身に、ダイレクトに軸を置くことで、だんだん充実感や満たされ感を迎えるようになります。
人それぞれのタイミングによりますが、自分自身に軸を置くことがうまくできないときは、自ずとそう仕向けるような状況が起こります
必ずしも大きな仕向けではなく、日々の些細な問題や課題によって、自分軸を教えられることはよくあります。
思うようにうまくいかない、充実しないときはもどかしいものですが、そのおかげで、思うとおりに運ぶためのプロセスや、本当に充実したいところ(この段階で本人は自覚していないものですがー苦笑)を発見するようです。
逃避がうまくいくときは、それも方法です。
一方、誰しも肝心なことからは逃げきれないので、状況や事の流れに委ねて様子見ながら従ってゆくと、自分の魂が充実感を感じるところへ至るようです。