ここでいう「家」とは、生活の支え、豊かさや財産の象徴です。
家を失うことへの恐れ、不安はあるでしょうか?
家=家族、家=安定、など別のものや価値に置き換えてピンとくるものが「失うことへの恐れ」の対象かもしれませんね。
「メタライフ」講座の5回目には「豊かさへのプリズンブレイク」というテーマがありました。
豊かさの基準は、お金や数字に限定されません。しかし、一般的に「お金があることでやっぱり豊かだと感じます」とおっしゃる方は多いものです。
生徒さん方にお尋ねしてみると、
「お金だけが豊かさじゃないのはわかりますが、やはり自由に使えるお金があるときは豊かだと思います!」
というご意見がよく聞かれます。
ごもっともです。ただし、それは「お金があれば自由だ」「お金の制限があるので豊かになれない」という前提や信念体系があるから成り立っています。
信念体系とは、疑う余地がないとか、疑う機会さえないほど、強く働いているものです。
信念体系が機能している潜在意識は、人類にとってブラックボックスですから、理解することも気づくことも難しいです。信念体系の多くは、自分の体験や思考を越えた、所属するコミュニティ、家系、社会、民族、時代などに起因しているからです。
そこで、信念体系のなかで、人生を豊かに生きにくくしているものについて、エネルギー領域に働きかけるアクティベーションが一役をかいます。
豊かさに関連する、経済的なテーマの信念体系に働きかけるアクティベーションはたくさんあります。
豊かさの土台をつくる家族や育ちの観念、社会通念に作用するものも数多です。
そのなかで、「家を失うことへの恐れ」というアクティベーションがあります。
ちなみに、アクティベーションは「活性」という意味ですが、けして恐れを活性するわけではなく、「家を失うことへの恐怖」に関係するエネルギー全体に働きかけて、うまい具合に調整を進める、促すという働きです。
ですから、結果的には、家を失うような恐怖に関係しないことが楽になったり、豊かになり得ます。ときには、人と関わることが楽に自由になることもあるでしょう。
そのプロセスや、なぜそうなるのか?は、やはり、ブラックボックスの中身としてわからないままかもしれません。
余裕のあるときに、そのブラックボックスを探ってみると興味深く、意外な癒しを発見することもあるでしょう。探る方法は、瞑想、内観、ヒプノなどおすすめです。
クラスのなかで「家を失うことへの恐れ」のセイクリッドアクティベーション(神聖なエネルギーを用いるという意図があるので、作為や操作があり得ないものです)を流しました。
すると、問題や課題が解れるような、楽観的に明るくなるような・・・移ろいが起こりました。
そして、「家」「命」「生きることに関わる大切なこと」「執着心」などなど、「何かを失うことのエッセンス」が出てきました。
モノがあれば「失う」であろう、という概念です。
失うことへの恐怖は、どうやら「思うようにコントロールがきかない」「どうしようもできないこと」への恐れに繋がっているようでした。
その前提は、「こうあるべきなのが当然だ」「こうでなければ困る、あり得ない」「こうであれば納得する」など、周囲の観念や、自分の信念体系が抵抗しておこす苦しさ(葛藤)が関係しているものです。
失うことに関連して、不要な「モノを捨てられない」というのも、ご自身が思っている以上に「これはこうあるべき」というコントロールが強い傾向にあります。
本来はコントロールしようとしなくてもよいのに、対象物を思い通りにしなければならないのです。
コントロールは、狭い意識や、強すぎるエゴが働いている傾向にあります。
コントロールしようとしているときは、概ね、周りの目や反応が気になり、それらを気遣って自分の考えや行動を決めようとします。
一見すると、意識が外に向き、周りや他者に配慮しているようにみえますが、これは恐れや自信の欠如に通じています。自分の思い込んでいる周りや他者を気にし続けているときは、非常に気が付きにくいのです。
「家」のように、生活や生命ラインに関係する恐れの本質は、「自分とはこうあるべきでしょう」「私の役割はこうあるべきだ」という自己コントロールと、「周りから自分はこう見られるべきだ」「思われるはずだ」・・・という、実態がないのに、実態よりも強い自画像力をもっています。
「家を失うことへの恐れ」は、こうだと思い込んでいる「自分」を失うことへの恐れと比例しているようです。
この「自分」は、成長や進化の工程にある自己アイデンティティとは似て非なるものです。
概ね、失うこと、変化につれて失うかもしれないこと、に抵抗感や恐れを感じるときは、本来自然に任せておいてうまくゆくものに対して、むやみにコントロールしようとしている可能性が高いです。
運命的な出会いから結婚生活が続き、豊かな暮らしを続けてきたKさん。ところで、ご自身が仕事の活動域が広がるにつれて、パートナーの文句や態度が厳しくなってきました。ときには手をあげるようなバトルがあるたびに、これ以上、一緒にやっていけないと思えてきたそうです。
Kさん「離婚の話も出てきています。お互いがそれで幸せになるならそうしようかと。ただ、一応、今は恵まれたほうの暮らしをさせてもらっていますので、それを失うのは怖いです。いろいろ考えて本当に落ち込んだのですが、パートナーがこういう態度になるのは、私のほうに原因があり引き起こしていると思います。そこをなんとかできたら・・・」
恵まれたほうの暮らし、「家」が掛かっています。Kさんは、良くしていきたいという思いから原因を見つけて、Kさんにとって良い状態に持っていこうという熱意が感じられます。
Kさん「(パートナーの)仕事もしたらいいのに・・・と思うのですがどんどん白けていっていて、心配なのですが」
成長や向上心の強い生き方は、良かれてと思うコントロールが強すぎることがあります。それも仕事や対外的なものには比較的有益ですが、家族、近しい友人などに対して、無意識に仕切ってしまうようです。そして、人にこうあってほしいという思いが、自分はこうしなければならないというコントロールの双刃になります。
受験の結果次第では、進学先は親元を離れてしまうかもしれない息子さんについて、寂しい気持ちとわかってほしいという思いが重なっているようです
Mさん「自分の親が早死にでしたら、どう子供と接していいかわからないし、子供と離れたくないんです。せめて、成人するまで、このままで家族でいたいんですよね。構いすぎなんですかね・・・」
しんどくなると、あれこれ原因となることや、過去のエピソードが紐づいてきます。ご当人は、それらが感情的、心情的に苦しさを与えていると認識しますが、「どうにかしたいのに、どうしようもならない」というコントロールによって(または「抵抗」とも言います)悶々と苦しくなっています。
Mさんの場合は、今しばらくは母親(奥様)が息子さんとのコミュニケーションを取る役割で、成人後にMさんとの距離が縮まりそうな印象を視てとれました。
象徴的に「家」を失うことから話が進みましたが、「豊かさ」の渦中にいながらも、豊かさに気づきにくくさせるものが、何か「大切なものを失うという恐れ」を抱くときです。
豊かであると、無理に何かをコントロールせずとも、あらゆる繋がりがうまく為していくと、自然にわかるようになります。