さまざまな「情報」に触れられるありがたい時代だからこそ、情報の選び方や活用の仕方は難しいものになってきているようです。
ここでは、「スピリチュアル情報」に限定せず、私たちが日常、ほぼ常に繋がることができる外部からの「情報」全般の選び方について、書いてみたいと思います。
なお、読んでくださっている方にとって、このコラムもひとつの「情報」なります。そのことを含めて、肝心と思える情報の本質と扱い方をご参考にしていただけたら幸いです。
近年、しかもコロナ禍の外出控えからか、外からの「情報」に頼ることが圧倒的に増えています。急に「情報」社会なったわけではありませんが、スマホの普及、ネットの通信精度が向上し、情報収集の頻度が激増しているはずです。
昨今の下半期リーディングやカウンセリングでも、あまたの「情報」で心を翻弄されてしまったり、安心するために「情報」サーフィンしているうちに、余計懐疑的になり不安や恐れが増した、というクライントさんがとても増えていました。
それを自覚していらっしゃる方は、まだ心にゆとりがあります。
自覚はなく、いつの間にか…
「◯◯◯は怖いですよね」
「◯◯◯したほうがよいんでしょうか?それとも△△△が本当なんでしょうか?」
と、「情報」を知ったことで、余計な恐れを盛っているプロセスに気づかれていない人も多いものです。
すると、自発的に行動を起こすブレーキになるか、そもそも全てにおいて懐疑的になり、「情報」も自分自身のことも信じられなくなっていきます。
無自覚に翻弄されている状態では、さらに「正しい情報」を求めて動きまわることが、余計に自分の本当に求めている「情報」から遠ざかっていく構造になります。
「情報」や知識そのものは、「絶対的に正しいものがある」とは言い切れません。
それは、自分自身はもちろん、周りの状況、時代、所属するコミュニティや社会の価値観にもおおいに寄っています。自分が時代に同調していれば、時代に沿った「情報」が正しいものになります。周りの環境が変わったことで、かつては自分にとって有益であった知識や正しい情報が、まったく必要でないものになるかもしれません。
また、「情報」は生き物に似ているところがあり、恒久的に正しい「情報」(正しいに限らず、価値ある、楽しい、お得など様々に言えますが)があるとは言い難いです。
幸い、求めている「情報」を外から得られるとして、このような「情報」の会得によって、自分の頭で判断し考えるという営みは行っていません。しかし、手軽に、欲しい「情報」や知識を手に入れることで、うっかり賢くなったような錯覚を起こしやすいものです。
ある種の知能は充たされますが、それは、いわゆる「考える葦である」という人類たる所以の能力は活用されていない可能性があります。(*「情報」から、考えをまとめて知能、知性を使うこと・磨いていることもたくさんありますよ!)
特に、「情報」過多になり、アウトプットする言動よりも、インプットの情報スタンスが強いときです。
インプットの閾値を越えると、アウトプットすることを放念するか億劫になりがちです。アウトプットするとは、自分も「情報」や知っていることを人に伝えるにとどまりません。「情報」や知識に限らず、あなたができることをやる、などの主体的で自発的な行動でもOKです。
たとえば、微妙な例えですが、「情報」を食べすぎて便秘がひどくなると、腸が重たく動きたくないし、体調がしんどくなる、という具合です。
楽な仕事をしてきたものの、このままではこの先イキイキとした人生が送れないのではないか?と考えるYさん。仕事や、スピリチュアルな観点からの働き方について、いろいろ調べて、SNSや動画検索で「情報」を集めたところ、
Yさん「結局、どうしたらいいのか、全然わからなくなってしまって、、、、みんなに向けて発信しているSNSや検索情報ではなくて、自分についてちゃんと見つめようと思ってセッションを受けることにしました」
と、少々、背水の陣のモードでいらっしゃいました。
Yさんの思考、思想、ビジョンをつかさどるエネルギーセンター(いわゆる第6チャクラ)は、パンパンにモノが詰まったような状態で、将来のビジョンをハッキリしたいのに、一方では将来を明らかにするのも不安である、という葛藤を起こしていました。
葛藤というより、雑多な「情報」による混乱や疲労とも言えます。
ここで、さらにリーディングの情報をお伝えしても、それも混乱の一物になってしまうかもしれません。ただ、このパンパンな状態に風穴を通すようなことなら、「情報」の取り扱いがとれそうです。
Yさんは、一生懸命考えようとして「情報」を集めていらっしゃいますが、「ご自分の頭をまったく使っておらず、他人に自分の頭を使われている」という状況をお伝えしました。
Yさん「あぁ、だからとても疲れるんですね。パソコンとかスマホの見過ぎだからと思ってたんですが、人にこき使われているときは余計疲れる気がします。目もわるくなっていて・・・」
ある程度、エネルギーや氣、感覚的なことに敏感な方ほど、本質的なものに対して反応が起こるはずです。楽しくてワクワクするような勉強や、知識を得ているときは、同じ受け身のスタンスでも、むしろ目や頭が冴えたりしますね。
この上半期も、セッションのなかでしばしばコロナ禍やワクチン接種についてのご相談を伺いました。それがメインのご相談ではなく、ついでに気になっていて・・・という方々です。しかし、セッションで何気なくおっしゃることは、クライアントさんの深層にあるものを語っているものです。
Sさん「家族は早くワクチンを打ちたがっていますが、私はこわいので絶対パスします」
Nさん「LINEのグループでつながっている友人たちとコロナのことを話題にすると、不穏な感じで・・・好きな友人たちですが、いろいろネットの情報とかに振り回されている子がいると、距離をおきたくなるんですよね」
このトピックは、目下、既存のマスメディア、SNSなどの個人発信メディアで、さまざまな「情報」が飛び交っています。明らかなデマ「情報」もあり、また何より、今は誰にも全容がわからないという性質もあります。
メディアは、伝えることが仕事や役割ですので、そもそも正誤性を求めるのは難しいかもしれません。たとえ「正しい情報を伝える!」と掲げていても、です。
その伝えられた「情報」をマス(大衆)や受け手が判断し、考え、選ぶなどののスタンスが必要と思われます。万人にとって、絶対に有益な「情報」はないという前提をどこかで踏まえておくと、「情報」に向き合う余裕がうまれるでしょう。
あえて、嘘やデマのくくりの「情報」を発信する人たち(しかも故意に)は、一般的な価値観と異なるスタンスを持っています。比率にしたらかなり低いのですが、数としては少なくなさそうです。それを娯楽や楽しみと捉えたり、どんな反応が起こるか面白がるという性質の人たちもいます。「そんなの悪質だ!」と思うでしょうが、これらの動きも、「情報」というカテゴリーにおいては、動きを乱したり、一方方向に全員が向かわないような役割があるのかもしれません。
なにより、そこから「考える葦」を起動するきっかけになっているかもしれません。
「情報」そのものを信じることよりも、自分に自信を持つと、「情報」により過度に振り回せれ不安になるなどということから解放されるでしょう。
「情報」選びのポイント5
① 恐れ、不安、不快、不信、不愉快を感じるか?
このように感じる「情報の発信」をされているものは、「情報」そのものや、「情報」を発信している人(媒体)の本質がズレている可能性があります。情報の中身について、冷静に理解し、考えることを難しくします。
ただし、楽観、ポジティブな「情報」のなかには、単に「情報」のお客さんにさせるだけのものもあります。
② オリジナリティ・専門性があるか?
知識ベースの「情報」をお探しなら尚更ですが、世間の「情報」を軽く知りたいときにも当てはまります。実際に、あなたがオリジナリティ、専門性(らしさ、みたいなもの)を感じる「情報」、ニュース報道、SNSの投稿を見たときには、違いがおわかりになると思います。
③ リアルな体験
なんでもかんでもすべて自分で体験することはできませんが、実体験に基づく、自分の内側からの「情報」を多くもっているほど、情報に対する嗅覚、体感などが強くなります。本能的、感覚的にわかるとか、外からの「情報」について、自分で確かめる、やってみる、などの自由さが身に付きます。
外部からの「情報」が増えすぎることで、かえって視野や見解は狭くなる、という要素もあります。
④ クリアに落ち着く
日頃が大事、は「情報」についても当てはまりそうです。自分の心、頭の中が雑然とし騒がしければ、それに呼応する「情報」に反応しがちです。皮肉なもので、不安なときは、不安にさせられる「情報」にばかり気が取られます。
そうなったら、一旦「情報」をオフにして、心をクリアに落ち着かせリラックスするほうが、きっと望んでいるものごとと引き合いやすくなるでしょう。
⑤ 「情報」の発信者と「情報」の受信者とX
近代の「情報」の構造として、発信側と受信側の両方を管轄・統制(←うまい言葉が浮かびませんが)しているXがあります。それは両者をうまく便利に繋げてもいます。ただ、この構造には大きな枠があることを、なんとなく心得ておくと、自由意志によって「情報」を選びつつ、「情報」によって狭い意識にもなり得ることを防げるでしょう。
みなさまの「情報」選びのご参考に・・・