ひょんな人生の展開で、この春から約2年間、死生学(応用倫理)の研究分野に学生エントリーすることとなりました。
アプローチや観点を変えると、精神宇宙や魂の領域、超越意識、セラピーや透視等の手法も、さらに深く、面白いことになるかもしれない、というノリです。
志麻ヒプノと連動しながら、この分野について、私なりに時々ご紹介させていただきたいと考えています。
そんな思いで学内をプラプラしていると、目を惹くポスターを発見。
考古学・人類学方面の研究とはいえ、こんな直球で生と死の切り口を表象した画・・・
早速、「骨が語る人の生と死」という企画展示室を見学しました(誰でも入場無料です)。
肉体を以って「人間」とするなら、文字どおり、「人」として存在する「間」。
〈肉体には生死があれど、魂に死はない〉と捉える思想や宗教が多く、私たちもさまざまな物語やアニメにみるように、「永遠の魂」の観念は世界に広がっているようです。
肉体のほとんどが滅びるなか、骨(歯)は、「人として存在する間」の遺物として、ほかの生物の化石と同様、地球に遺された軌跡なのでしょう。
はて、骨は何を語るのでしょう?!
企画展は、日本列島一万年の人骨(一部、飼い犬と思われら犬骨もあった!)にターゲットが絞られていました。
規模は大きくありませんが、縄文時代から近代までを、丁寧に骨を追うように紹介されています。
多くの博物館や美術館では解説用のイヤホンガイドがありますが、こちらではQRコードを読み込んで、自分のスマートフォンとイヤホンで聞くことができます。
解説を聞いたほうが、“骨を愉しめる”と思いました。
日本史の教科書始まりである、縄文人の骨が一番頑健でした。個体差や集団による違いはあるのでしょうが、現代に展示されるほどのツワモノの骨です。
骨や歯を通して「生」を観察すると、食べ物、食生活、時代背景が語られています。
顎の位置、歯の大きさや歯並びから、古の時代ほど、現代人よりもしっかり強く食べる力をもっており、戦いや暴力がある時代には、その傷や葬り方に特徴が遺されているようです。
江戸時代の頭蓋骨からは、柔らかい食べ物や、(展示では記載なかったが飲酒も?)食生活によって極端に歯並びがわるく乱れていったようです。
骨が語る「死」は、やはり埋葬や墓です。
個人的に初耳であったのは、奈良や平安時代には、まだ墓の風習が一般人にはなかった点です。
墓地やご先祖様といった風習は江戸時代以降とのこと。
昨今は、墓じまいの動きが広がりつつあり、生死に関する思想や価値観は、ある程度のスパンで変遷しているのでしょうか。
現代は、病についての研究や理解が深まったことで、骨を通して死因となった特徴的な病気や感染症などが識別できるようになっていきました。
先の未来展示では、骨の解析技術が進歩するほど、さらにさまざまな情報に踏み込めるのかもしれません。
まったく個人的な印象と感想ですが、人類の生体の証拠物としてだけでなく、骨を〈読み解くことで語ってくれる、示してくれる〉ような存在に感じました。
一万年という尺を、展示スペースの何m2のスペースに収めているわけですが、一個人の人生のなかでも、骨・歯は、成長、変化、衰退という変遷をたどっているのでしょう。
当方、考古学や発掘の世界は、ズブ素人ですが、古代を探ることで、「今」の暮らしや未来の人類の生体進化を構築する使命があるのかもしれません。
古代妄想(誇大妄想)をすると、今、日本人として生きる(人生を選んだ?)私たちの骨には、一万年の記録がプログラムされているのでしょうか?
進化の集合体であり、また進化の一部分であるように感じます。
「なんか知らんけど」風ですが、展示を後にして元気になりました。
というわけで、自然史博物館(Natural History Museum)などのような大パノラマ展示とは異なり、バー(Bar)で1、2杯飲む間に人骨が語るような、印象に残る展示です。
例えが解りにくかったらすみません(^^;
会期延長し、2024年5月16日(木)まで公開とのこと。
東京大学総合研究博物館 不定休などあり、開館カレンダー要チェック
展示全体は1時間余りで観れる規模感。
骨から、生と死の繋がりと広がりを感じられる空間です。