マインドフルネス、瞑想・・・時代のニーズによるものなのか、ますます浸透しているように感じます。
マインド、心の状態を健やかに維持することが求められているためでしょうか。
身体のフィットネスやケアと同じように、マインド(心)も習慣的、定期的なそれらがとても大切です。
身体や精神(魂)が健やかであっても、マインドが弱く不調であると、思うように体や精神の力を発揮することが難しくなります。せっかく体は頑健で、魂はクリアであるのに、マインドのアンバランスによってうまく機能しないのです。
もちろん、ほかのさまざまな要素が影響すると考えられますが、あえて、マインド・ボディ・魂(soul)の三位一体からマインドフルネスのアプローチについて書いてみたいと思います。今回は、2つの効用をあげていきます。
マインドフルネスや瞑想の主な効用、期待できる変化、やり方や取り組みについては、数多くの情報がありますので、ご興味ある方は広く学びながら、実体験することができるでしょう。
このとき、ご自身なりの目的があると、学びや体験に独自なものが加わるでしょう。
マインドフルネスをうまく実践することが目的ばかりでないことをうっかり忘れると、マインドフルネスの本質からズレてしまいます。
また、マインドフルネスや瞑想の実行・実践と、あなたの実生活や実態・状態が反映し連動してこそ、有益です。
よくもわるくも割り切ってしまうと、実生活や実態の伴なわない、別立ての体験モードを楽しむに過ぎなくなります(それでも多少効果はあるでしょうが)。
マインドフルネスで…経験を選ぶこと
マインドフルネスといえば、「今、ここに意識をおいて・・・」というフレーズがおなじみかと思います。
そこで、雑念を取らねば、意識を集中しなければ・・・と身構える必要は全くありません。むしろ、雑念とおぼきことがわいたり、意識が分散していることを、“あるがまま、そのまま感じて・・・”というのがポイントですね。
「こうしなければ」などと考えること自体、何かと比較しているわけで、マインドが満たされてはいない様相です。
私たちは、日々、いろいろな体験を目撃し、見聞きし、感じています。
外側に起こるように見える出来事には、あがなうことができず、その体験に反応し、影響を受けているものだと考えがちです。ときには、その体験にたいして積極的に行動を起こすこともあるでしょう。
しかし、自分より力があるもの、他力が働いていると思っているもの、たとえば相手あっての人間関係や有機的なものには、自分の思いどおりにならない、思い通りにしてはいけない、などとさえ思っています。
あるいは、思い通りにしたつもりが、期待どおりではなく、次なる相手方の影響をこうむるでしょう。
日々、刻々おこる体験に対してさまざまな意味づけや意義を設けているのは、あなたの行動や思考と一緒に同行しているマインドです。あなたのことを心配したり、ほかの人のマインドの声を伝えたりもするでしょう。
マインドは忙しいのです。
さぁ、ここで、マインドフルネスという意識圏を設けて、そこに身(身体)をおきます。体が動いているときは、体を通じての体験が優位になってしまいますので、動きは静めておきます。
すると、魂(精神)はよくやく落ち着き、落ち着くことで安心し、自分(魂)を通して感じるスイッチが入ります(ふだんも入ってはいますが、うっかり無視されやすいものです)。
魂が働くと、マインドはバタバタする必要がなくなり、体験そのもに対して反応する一方的な「経験」を止めます。すると、あなたは自由な意志をもって、「経験」を選ぶことができます。
体験と経験は、ふだんはごっちゃに使ってよいでしょうが、体験は体を通しているもの、経験はマインドや魂によって経るものです。
これが「体験そのものには、意味はない」と言われる所以です。
自分の体験、他人の体験も、歴史も・・・それらをどんな経験とするかは、人それぞれ、事象次第です。
マインドフルネスという、マインドを安心し満たしたモードにあると、特定の意味づけや反応を選べるモードになるわけです。
目の前の出来事であれ、とっさの反応を選べるでしょう。そのあたりの俊敏性はある程度慣れやトレーニングはいりますが。
「過去はまったく変えられない」ということは、無くなります。
過去という時間の意識、
過去の出来事における経験、
自由意志によって選べること、
認識や解釈をを広げることができるとわかる、
などは、「今、ここ」という意識領域では可能です。
「考え方を変えただけじゃん」と思う人もいるかもしれませんが、考え方が変わると、あらゆることも連動し変わります。
それについては、タイムマシンに乗って過去の出来事を変えてきたら、未来に戻ったときに展開が変わっている、という物語と同じ具合です。
マインドフルネスの意識や瞑想のような内観意識と仲良しになるにつれて、体験そのものや人間関係の関わるような出来事について、さまざまな選択肢があり、それらを選ぶことができるようになります。
そして、このベースによって、体験に対して必要であれば積極的、意欲的に行動したり、自分らしい考え方を優先したり、人生を楽しむことを思い出していけるようになるでしょう。
マインドフルネスから、急に話が飛躍したように感じられるかもしれませんが、簡単にいえば、「人は人、あなたはあなたなり」の幸せであったり、成功であったり、喜びであったり … etcということを大きな意識で捉えておけるようになる、ということです。
これがベースがあることで、物事や体験はかなりクリアに見えるようになるでしょう。それによって、ときには他人事に親身に協力したり、協調や共感を発揮することも得意になるでしょう。
もし、マインドフルネスや瞑想を習慣にされていたら、ぜひ日々の体験や出来事から自発的にステキな「経験」に変換することを愉しんでみてください!
本当に、日々、嫌なこと、不満や文句に感じていたようなことは、人生から必要がなくなります。つまりは、皮肉なことに、不満や文句や、嫌だなぁという思いを人生の歩みの糧にしている人はとても多い、ということです。
マインドフルネスで…偏見をなくす
ここでは、いわゆる、未熟さや弱さや無知から起こる恐れによる「偏見」をなくすことです。
ときには、アンバランスや偏りは、芸術的で斬新な発想に至ることがありますので、偏見=偏った見方がダメ…というわけではありません。念のため…
これは、マインドフルネスな意識であれば、自然に感じられると思います。
「今、ここ」に存在しないもののひとつに、恐れがあります。恐れそのものが在るとしても、恐れはまったく無力な状態です。
恐れが力をストップしているおかげで、私たちの日々遭遇するあまたな「偏見」ベースの価値観、思考、モノの見え方(本当に傾いて見えているはず)、認識などから自由になります。
相当平和で穏やかなはずです。あるいは、偏見から解放されアクティブで冒険的になるはずです。
恐れと同じように、確かに「偏見」は、いわゆる「この世」や創造的な「あの世」には在るのですが、まったくもって無力です。
偏見によって、ますますマインドは貧しく、惨めなものになってしまいますね。
マインドフルであるなら、偏見そのものについても、対極的に否定・批判することなく、もっとより豊かな認識として偏見というものを理解するでしょう。
少なくとも、日常ベースの実用的なところにおいて、マインドフルの領域に生きることで、心身はより健康的になり、魂は伸びやかになります。
偏見は排斥的なものだけでなく、自己のなかのアンバランスや不調をあらわす元でもあり、それらを調整し本来のあなたに還していけるでしょう。
マインドのパワー
身体が疲れたり、魂が疲弊するように、マインドも疲れます。マインドにも栄養、休息、元気になる素が必要です。
多くの人がよく使うスマートフォンに充電が不可欠なように、マインドにも頻繁に充電が必要です。
ちなみに、スマホを使う営みは、かなりマインドも消耗します。多くの情報に接すること、人とのコミュニケーション、アプリなどを使う仕事や作業、ゲームなどなど。
スマホにいれた瞑想アプリを起動するとき、プログラムを選ぶようなときにも多少のマインドを使います。
マインドの充電具合が減ってきている初期症状として、
① イライラする、不満や不機嫌を感じはじめる
② 退屈する、面白くなくなってくる
③ 言い訳や何かのせいにし始める(ほぼ無意識に)
さらにマインドの疲弊が進んでくると…
④ 感性、感動、感度が鈍くなる(五感、感情など)
⑤ 人や物事を責めたり、自分のせいにする(罪悪感)
ご自身の気質やこれまでの経験によって、反応には差異があります。
シンプルにマインドに滋養になるもの、マインドが元気に明るくなるメンテに努めておくとよいでしょう。
そのなかで、マインドフルネスは比較的、習慣的に続けやすく、効果や違いを実感しやすいもののようです。
今回は、マインドフルネスに関連し、2つのフェーズと、マインドのパワーアップについてご紹介してみました。思うところがありましたら幸いです。