考えること、そのものは役に立ちます。
知性の働いた思考能力や、閃き・インスピレーションと結びつきアイディアを生む思考は、とても役に立ちます。「人は考える葦」ですから・・・
問題や困ったときに一助になるのも賢明な思考です。逆に問題や課題を分析するのも思考です。
一方、賢明な思考とは似て非なる「考えすぎ」現象で困っておられるクライアントさんも少なくありません。
考え抜く思考を働かせようとしているつもりが、余計ドツボにハマり、苦しい思考のスパイラルに入ってしまうようです。
世の中には、似て非なるものが多いですが、思考にも当てはまります。
「ちゃんと考えなさい」
「考えればわかるはず」
「何も考えていないからダメだ!」
と言わたことがあるなら、思考と考えすぎの境目で、煮え切らないですよね。
さらに、昨今スピリチュアルでは、
「考えなくていい、直感で生きれば上手くゆく」
「直感に従っているのに、思った通りに行かない・・・果たしてちゃんと直感が働いているのか?」
と、さらに、直感についても考えすぎになるようです。
考えすぎのときの特徴
知性ある思考や直感とは異なる、考えすぎが優位のときの特徴を挙げてみたいと思います。
多少のケースバイケースはありますが、概ねのケースに当てはまります。
・深刻になる
・不安になる
・悪い方向に想像(妄想)が広がる
・考えても判断がつかない
・考えているため、あるいは考えた結果から何もできない
(または、続けていることをやめたり、調整できない、など)
・混乱、葛藤が強くなる
・正解、正しい答えが欲しい
・結果ありきになる
・疲れる(考える時間以上に)
・姿勢が悪くなる
考えすぎになる原因
細かい原因やきっかけは、各々の事情があるでしょう。
「以前は考えすぎではありませんでした」
「仕事内容と職場の環境や立場から、いつの間にか考え過ぎになったかもしれないです」
「家の中の細かいことが多くて、ごちゃごちゃした頭で考えがまとまらないのです」
並行宇宙の旅のセッションで、
Kさん「母親はすごく子供っぽい人で、好きなことをバンバンやってしまうのですが。子供ながらに周りから母がわがままな振る舞いをしていると耳にしたことがあって、逆に私はよく考えて立ち回るようになったのかもしれません」
と、ご自身が今も常々周りを気にして、考えすぎで生きていることが、自己制限の一つだと辿ってておられました。
デトックスセラピーで、何かを目指そう、掴もうとする考え方についてきっかけを遡ると
Nさん「勉強や仕事では、ちゃんとやれば結果が出ると言われてきた教育、時代が出てきます。就職氷河期の頃でした。なかなか就職先が決まらないのは自分の努力が足りないからだと思い込んでいました。何をしたら上手くゆくか、幸せになるかはよく考えます」
と、ひと昔前の常識との繋がりが出てきました。
おふたりのエピソードは違うものの、、、多くの考えすぎの根底にあるものはいささか共通しています。
それは、「良き意図」を持ってこうしようと、状況を必要以上にコントロールするところから始まります。
ただ、そのままを体験することが難しくなり(良き意図のとおりに運ばないだろうから)、分析や解釈や他者との比較が起こり、コントロールしようと努力します。
すると、今起こっている実際の体験、これから体験すること、これまでの経験よりも、頭の中で考えていることが比率的に多くなります。
実際に経験することさえ、頭の中に取り込んで考え込む素材になります。
すると、頭(思考)と身体(実際の経験をしている)が分離しはじめます。
「意識の分離」と呼ばれます。
または、ハート(愛・感覚・感情)と身体(体としての頭も含む)が分離し、体調不良や病気にも発展しやすくなるようです。
この分離が、人の悩みや、いわゆる「煩悩」と不要な欲を増やし、生きるのを難しくしていきます。
頭の中で考えることと、実際の経験が分離してゆくにつれ、考えすぎて創造(妄想、捏造?!)した状況から抜け出しにくくなります。
脱・考えすぎ
シンプルに実体験にそのまま没入することが、考えすぎをストップし、本意で望んでいる方へ向かう大きな最初の入り口です。
あるがままの実体験に身をおくと、自然に運んでいきます!
多少の知性を伴う思考より、遥かに発想と展開豊かに。
分離していたところから統合するにつれて、ハートに繋がるからです。
すると、自分の身体・全身をはじめ、さまざまに分離して見える世界全体に備わった感覚が自然に反応し、よしなに物事を教えてくれます。
簡単で王道な方法は、自然の中に身を置いたり、自然を感じるものに触れて感じるなど・・・
考え過ぎで分離したものを自然に復元してくれるでしょう。