ピーナッツギャラリーという英語表現があります。
くだらない批評や批判をする人たちを指す俗語であり、英ナビによれば、「パフォーマンスに不快感を示し、ステージにピーナッツを投げつける無教育な観客」を由来としているそうです。
転じて、劇場の2階さじき最後部の安い席や、つまらない批判の出処を意味するようにもなりました。
先日のイヤーリーディングのセッションで、2025年の「脱皮」というテーマに関連して、このピーナッツギャラリーのエネルギーを受け取るクライアントさんがいらっしゃいました。
同じエネルギーでも、その方によって意味するところは異なります。
語源から考えると、ピーナッツギャラリーの意識に働きかける目的は、「彼らの言うことに従わなければならない」という思い込みから解放されることです。
この解放を通じて、自分の意志や直感を信頼し、大切なことを優先することを学んでいきます。
みなさまの周りには、いわゆるピーナッツギャラリーがいるでしょうか。
その人たちの顔色を伺ったり、言うとおりにしなければ生きづらいと感じたり、周囲の意見や風潮に内心くだらないと思いながらも従わされてはいないでしょうか。
さらにシュールなことに、自分自身がギャラリーに座っている場合もあるかもしれません!
ただ、英ナビの説明にある“無教育”が必ずしもピーナッツ化の条件ではありません。
教育と態度は常に直結しているわけではないのです。
さて、今回ピーナッツギャラリーに繋がっていたSさんは、気配りや配慮の長け、周りの意見や社会の風潮を優先しがちな方です。
しかしエネルギーレベルから拝見してみると、Sさん自身の心の中で、ひとりごとのようなピーナッツギャラリーが繰り広げられています。
面と向かって不満を言うことはほぼ皆無であるものの、内心では頻繁に批評や批判をなさっている様子。それは自覚的な場合もあれば、自然と湧き上がることもあるようです。
そのことをお伝えするとSさんは「最近、批判的な文句を言う人を見て、ちょっとイヤだなと思ったのですが、それは自分を映していたんでしょうね」と何らかの気づきを得られたようでした。
内なる批判がストレスとなり、不快感や不安を自分で抱えていたのです。
このような内側の批判や批評は、多くの人が鬱憤や疲労、体力不足などから陥り得る状態でもあります。
根本に不満や鬱積したものがあり、刺激される度にピーナッツ化するという具合です。
Sさんの場合、それは「小さく生きる」というテーマとも結びついていました。
他人が自分の周りに居心地の良さを感じられるように、気を遣い、自分を小さく演じるようになっている、というものです。
いつの間にか、小さく生きることに慣れていくと、自信を感じにくくなり、内なる好奇心や力を発揮することも恐れる傾向になります。
この観点から周りを見ると、ピーナッツギャラリーにいる人々はSNSで批判的な投稿をするなど、差し障りのない範囲で不満を表しますが、実際には日常的にご自分を過度に抑えている傾向が見えます。
なんとか抑え込んでいる反面、アンバランスに主張が突出するというパターンも起こりがちです。
何かに強いられるように小さく生き、自分を抑え、周りに合わせなければならないと感じているのかもしれません
現代では、状況に合わせて、小さく生きるというスタンスも少なくなさそうです。
しかし、意識的にその小さな箱から解放されれば、自分や他者を傷つけるような発言や内省は自然に消えていくでしょう。