結論から入ると、長期化している悩みや問題ほど、ご本人にとって人生にかけ甲斐のない「ギフト」のようです。ごく身近な人たちと共有するギフトになることもしばしばです。
「問題」は、出題した問題に解答があるように、人生の「問題」「問いかけ」にも相応の応えがあります。
こちらは丸バツのテストのような正誤の解答というより、専門分野の二次試験などで述べるような応え(答え)に近いでしょう。
「悩み」は、問題について、不安や心配を抱えた不安定な状態です。
「問題」に対して前段階で、応える用意に入っていないことが多いのです。どちらかというと、「問題を解くのが億劫」「テストを受けるのに勉強したくない」「やってもむりかも」といったモードに近いかもしれません。
これは、ギフトなど、受け取るのが苦手な方、遠慮がちな気質にも影響していて、大雑把にくくるなら、悩みやすい方は、周りのことを抱え込んだり、受け身になりやすいタイプが多いようです。
悩む段階であれ、問題を抱えて久しい方にとって、
「いやいや、ギフトなんて思えないわ」
「そんなギフトはいりません!」
と、おっしゃるかもしれませんね。
むしろ、ここで苛立つ感情や拒否感が強くなるとしたら、その長期化してる悩みや「問題」のエネルギーと乖離がありますので、ここで読むのはストップし、このブログを離れたほうがよいかもしれません(^^;
しかし、ギフト化することで「問題」から楽になります。「問題」をギフト化する促進作用を高める大きな一歩になるかもしれません。
楽になるかどうか、楽に感じるかはご本人の認識、感性にもよりますが、概ね「問題」の状態や性質が少しは変容します。
もしかすると、哲学や賢人の教えにも、悩みや問題の価値を見出す似たような言葉があるかもしれませんね。
個人セッションやSkype/Zoomカウンセリングなどで、一旦は「問題」の構造がわかり、前向きに進んでいても、長期化してきた「問題」には、ギフトの受け取りまでに、相応の期間やプロセスを要します。
このプロセスや期間も、ギフトのあしらいなのかもしれませんが。
そして、日常生活で「問題」を切り盛りしながらも、忙しさやネガティブに感じることが起これば、「問題」は深刻に思えて苦しくなるものです。
家族のもたらしたトラブルや長い間うまく回せていなかった課題が、経済面にあらわれ、近年はお仕事、生活、返済と忙しいKさん。
以前よりは要領をつかみ、恵まれた状況も増えてきたそうです。しかし、ふっとしたときに苦しくなり、どうしたら、問題を問題視せずに、前向きにフォーカスできるのか?お困りとのこと。
Kさん「実際にお金がキツくもあるのですが、そこではないと分かっているのに抜けられない、、という状況です。この状況を受け止めようと思っても、それもしんどく、、(略)フォーカスの仕方など何かアドバイスがございましたら、ご参考までに頂けますと幸いです」
誰でも、苦しい考え方・捉え方をしていると、それが特定の「問題」のせいだと思います。ふつうのことです。でも、実際は、「問題」そのものよりも、苦しい考え方・捉え方(ほかにも価値観、思い込み、基準 etc )に依るものです。
同じ「問題」は、ほかの人たちや、別の状況によっては、必ずしも苦しいとは限りません。
人の脳の認識経路の面白いところで、別のことが苦しいことにより、思考は「これによって苦しい」と思わせることがしばしばあります。
たとえば、呼吸が浅く息苦しいことによって、誰か特定の人、環境、社会問題等によって息苦しいのだと変換したりします。関連のあることに同調したり適応しようとする生態機能が、誤作動していると言えそうです。
Kさんのように、フォーカスの仕方を変えてみるのもよい手ですし、あえて、ポジティブに考えたり、ポジティブやネガティブといった対極(バイポーラ)にとらわれないようにするのも方法ですね。
短期的な「問題」、流動的で積極的に関わり動きがある「問題」、信頼する仲間と取り組む「問題」などは、解消したときには達成感や安堵に通じるでしょう。
しかし、長期化し、ディープで複雑なものは、「問題」を解決したり、変化して無きものにしようと扱うのは理に適っていないようです。
なぜなら、受け取れるギフト、和風に呼ぶなら「人生の糧」があるからでしょう。
このギフト・「糧」の特徴は、あなた本人にしか認識しようがないギフトや糧です。それが明らかなカタチとなり、周りからもギフトとして認められるかもしれません。
しかし、それは、あなたが認識する質とはちょっと違う可能性はありますが。
ご自身がこれまで乗り越えてきた数々の「問題」のなかには、今となってはギフトや糧になっているものが発見できるかもしれません。
ギフト・糧である悩みや問題は、健康、家族のなかで次々に起こる問題や事情、成果の出ないこと、お金や貧困、トラウマ、人に言いにくいこと、などなど、多岐にわたるでしょう。
ときには長期化、複雑化して「これはカルマだ!」と言われることさえありそうです。
カルマという教え・思想は、カルマを受け入れ半ば諦めることで、救いや納得する安息感もあれば、別の視点や道があらわれる場合もあります。
人並みの知識しかありませんが、ヒンズー教のカースト制度のように、人生で贖えないものとして受け入れるシステムの軸にあるのが、カルマです。
カルマによって救われているとき、「問題」はまだギフトや糧にはなっていないかもしれません。
カルマという思想から自由になるパワーやエネルギーが湧いてくると、ご自身の高次の意識が働き、「問題」を次のステージへ変容させていけるでしょう。
長期化する悩みや問題から、ギフトや糧をみいだすことに、遅いも早いもないと思われます。カルマ繋がりでいうなら、来世でギフトを受け取ることがあるかもしれません。
ギフトであるなら、「ありがとう」「感謝」する感覚を認識するのが、長期化する「問題」の進展になりそうです。
「感謝する」といろいろ良いらしい・・・説で、「問題を感謝しよう!」と、真面目な方ほど頑張ってしまうかもしれませんね。
ただ、それは不自然なもので、自然に「ありがたいなぁ」と感じられれば何よりです。
なので、長期化している「問題」に隠れている、日々のたくさんの「ありがたい」「感謝に値する」あたり前に気がついていくのがおすすめかもしれませんね。
ご参考まで〜