他人や何かに対して邪魔をする「妨害」行為はわかりやすいものですが、自己に対しての「妨害」行為はなかなか見定めが難しいようです。
自分の意志がありながら、意志に反するような妨害を自ら働くことです。
それが顕在意識でわかり自覚している自己妨害と、本人とて全く自覚せず、いわゆる潜在意識が無意識に自己妨害しているパターンがあります。
どちらも根本は同じですが、表立った目的は違ってきます。
似たジャンルに、怠ける・破壊するという意味のセルフ「サボタージュ」があります。
また、本来はシビアな「自虐」も同族ですが、最近ではユーモアや場を和ませる表現に進化しつつあります(自虐している様を達観している、という意味で)。
今回は、自己妨害のケースを、あれこれ視点を加えてご紹介したいと思います。
異常なほどの自己妨害でなく、真面目な人ほどやりがちな自己妨害について、心当たりのある方は、続きをどうぞ。
自己妨害と信念プログラム
自己妨害には、強すぎる、なんらかの信念プログラムが働いています。
価値観、自己認識(自分とは!)、大義名分、ときには使命感なども、この信念プログラムを作ります。
プログラムには、コンピュータと同様にスクリプトが存在します。
わたし達、人間の心や行動においてスクリプトにあたるのは、数々のエピソードです。
エピソードとは、物語であり、体験や経験について、感情や思考が組み込まれています。
コンピュータのスクリプトと同じように、「こうしたら、こうなる」「もしもこうなら….こうなる」といったコマンドが仕組まれています。
例外のスクリプトがあるように、例外のエピソードもありますが、いずれもプログラムの中に書かれています。
さて、人の場合。
信念の中身が何であれ、強力すぎる信念プログラムによって過度に「がんばる」ことは、頑張れどもたいして変わり映えの薄い状態になるか、不調和、混乱、破壊などに通じます。
信じることも、頑張ることも、それらはわるいことではなく、むしろプラスのベクトルです。ただ、その程度と、その中身はしばしばチェックする必要があります。
最初は理にかなっていた信念や頑張りや、裏付けとなるエピソードも、あなたが信念プログラムを使い込んでいくうちに、いつの間にか「自己妨害」に転化していく可能性がありますから。
もし、あなたが何かに対して「自己妨害」にシフトしている可能性があるとしたら、次に見極めのポイントが参考になるかもしれません。
自己妨害にシフトとき
よい刺激なっているところから、自己妨害に発展する分岐点のようなものを3つ挙げたいと思います。
① 期待に応えなければならない。
他人からの期待や評価もあれば、自らに課している期待や自己評価について、応じることが度を越していくと、徐々に自己妨害に傾いていきます。
さして実態のない、社会通念や一般常識に応えようとするあまりの自己妨害も珍しくないでしょう。
すると、頑張れども力みがはいって思うような実力や能力が働かなくなるとか、エネルギーを消耗し疲れるといった自覚がどこかには出てきます。
自分の力(エネルギー)の発揮どころがブレてしまい、結果的に自己妨害になります。
期待に応えることがプレッシャーになる、という表現がありますが、プレッシャーのスイッチを持っているのは自己のほうです。
② トラウマなどの傷や苦労を負っている
トラウマや苦悩のエピソードが本人に存在することは、ときには原動力やかけがえのない何かとして発揮されます。
しかし、トラウマや苦悩に執着することは、多大な(それも相当な!)自己妨害に展開してしまいます。
いわゆる、トラウマ等は乗り越えるまでは、おそらく百害です。そのプロセスもトリッキーでパワーを要します。が、幸いにして乗り越えられたときには、大きなリターンになり自己応援になります。
③ 自分らしさが失せたとき
前進しよう、高みをめざそう、○○○になりたい、といった発展や向上する意志と行動が豊かなとき、いつの間にか度を越すと、極端にあなたらしさを見失うことがあります。
すると、意志と行動を司る心と身体は合っていても、主人(あるじ)である魂が彷徨います。心・身体・魂のバランスを崩すような様相になります。自己妨害というより、修正を促すための妨げと言えるのかもしれません。
自己妨害によって、防衛や、あなたにとっての正しい道を示そうとする無意識の計らいでもあります。
いかんせん、無意識の領域は、無意識:顕在意識=9:1 ほどの比率です。
無意識の大部分は、宇宙意識(あらゆるものと繋がる意識)における自分の大領土ですから、それも当然の計らいですが。
他人や外部からの「自己妨害」
比較的、自分の中で展開がまとまっている自己妨害に対して、ここでは、明らかな他人や外部の事情によって、妨害がもたらされるものです。
Wさん「だいぶ自分のなかで引き起こしている課題はクリアになり楽ですが、それでも、自分が上がるほど(ポジティブで好ましくなっていると感じるほど)、身近な人や家族から足を引っ張られて下げられることが起こるんです。
よくそれは自然に起こること、とスピでは聞いたりしますが、そこで納得しきれないんです。大事なからくりがあると思うんです」
Wさんのおっしゃるとおり、特にスピ系の集まりでは、意識がクリアに上がるほど、新たな課題が浮上するとか、「玉ねぎの皮を剥くように、次の課題が出てくる」と言われますね。
さらには、「それも含めて受け入れていくこと」という、仏教にも通ずる捉え方があります。
上がるー下がる、良いー悪い、などの定義は、地球の重力とも呼応し、主たる人の思考や行動の軸を司ってきたものであり、自然なことです。
「平和を唱える限り戦争はなくならない」という、代表的なパラドックスです。
ちなみに、Wさんがいくつかヒーリングを体験(ソルフェジオ・デトックスセラピー)をしたところ、
Wさん「妨害は防衛、という言葉が浮かびました。。。自分のことをちゃんと守れない、大切にしてあげてないところがあるみたいで、そのことを教えるために、他人からの何気ない言葉や態度に傷を受けにいっているみたいです」
確かに、同じ口調や態度を受けたとして、その受け止め方は人それぞれですね。
自分が目を背けているようなところに、他人や外部からのエネルギーが注がれるのかもしれません。
表面的に捉えると難しく、危うくもありますが、他人や外部から発せられたような妨害を、一旦そのまま受けてみると(無下に拒否せず)、鍵と鍵穴のように、あなたのなかで呼応する自己妨害のヒントが発見できるかもしれません。
妨害にあったら?自己妨害にハマったら?
内面的な構造がなんとなくわかったところで、実際の対処法をいくか挙げたいと思います。
❶ 妨害は、かまってちゃん
他人があなたを妨害している(ように絶対見える)、何かの問題が発生し妨害を受ける、自分に妨害要素があるのはわかった、などのときは、それらはいわゆる「かまって〜ちゃん」です。
それらに、あなたがちゃんと構うことが優先かもしれませんし、一方では、ご自分にしっかり集中し妨害要素を気にせずにいく、という方法がベターかもしれません。
ここは関わり次第、ご自身の判断によります。
かまってあげることで、タイミングが整うとか、落ち着くとか、むしろ大事な何かを発見するかもしれません。
自分に妨害要素がありそうなら、リラックスするようなひとときや心身の休息を求めている可能性があります。
❷ 妨害にも利得あり
おなじみ、NLPのコーチングや、ワークショップでしばしば登場する定義ですが「どんな問題にも必ず利得がある」「すべてのリソースは自分にある」です。
外部からの妨害、それに匹敵する状況、自己妨害であれ、「妨害」目線の立ち位置からすれと、必ずや「おかげさまで・・・」という利得があります。
なぜ、必ず利得があるのか?というと、あなたが「妨害」だと認識したからです(笑)
地球の磁場的に、あらゆるものをニュートラルに達観する必要はなく、とりわけ有害性が強く感じるものほど、大きな利得も生み出しています。
それを発見することで、妨害に対する知恵や閃きが浮かんでくるに違いありません。
❸ 信念プログラムの見直し
プログラム全体なのか、プログラムの一部なのか、あなたの「信じていること」「当たり前」をチェックしてみましょう。
気がつけば、だいぶ前の信念プログラムを、アップデートのタイミングを逃し継続したため、うまく機能しないのかもしれません。
一時的に、信念プログラムをOFFにして、しばらく様子を観察するとか、プログラムに障りを起こしている何か(バグ)を取り除いてみるのも方法です。
この障りを取り除く方法として、代表的でやりやすいものは、実生活のなかでの断捨離、お掃除、体調や生活の見直し(改善)、休息または(運動不足な人は)運動などです。
コンピュータの人工知能はますます精度を上げているように、人間の信念プログラムも、だいぶ「らしくあるように」シフトする時代になってきました。コンピュータが情報を蓄積し、敢えて「らしく」あるようディープラーニングをするごとく。
人の信念プログラムとも同期していると考えられます。
最近は徐々に型にハマらない生き方を選択したり、臨機応変に、ときには冒険的な考えやアクションで出る人たちが、表に出てきたように感じます。
3次元のグリッドシステムの代表である集団意識が、明らかに私たちの目にする世界で、解きほぐれてきている様です。
すると、自己妨害や、無益で未熟な妨害行為は、なりを潜めていくかもしれません。
(*妨害そのものは、そういう働きをする状態です。電波通信を意図的に妨害したり、妨害することでスポーツやゲーム性をあげるといった役割もあります)