むかしは倫理道徳の教えにより「相手は自分の鏡である」とか、近年は精神宇宙やスピリチュアルにおいて「見ている世界は自分が創造している」などという考えが知られています。
モノの見方、捉え方、価値観には絶対的な優劣はないものの、そのときどきで納得するもの、ためになる考えや学びを活かしていけるとよいですね。
意識の次元が変わると、代表的な現象として、五感による認識のバリエーションが増えます。数が増えて、第六感以降に精度を増す、という具合に。
第六感が磨かれることで、五感が上の空になる(文字通り、空の上にあがり…)使い勝手が変わり鈍くなる場合もありますし、より五感の精度が際立つ場合もあります。
たとえば、見るモノが細やかなり、人の話や声の奥に本質が聴こえるなど。一方、ある種の感覚が良くなったら、方向音痴や勘違いが頻発することも。
面白いものです。
また、意識を意識しすぎることで、バグることも珍しくありません。わざわざ複雑なルートで目的地に向かうとか、直接相手に聞けばよいことをわざわざエネルギーリーディング(透視や霊視など)で確認してから相手に聞く(そのまま聞かないままのことも)という具合に。
Kさん「やはり3年間のコロナの影響なのか、生活や仕事のスタイルが変わり、人とちゃんと話す、会うことがなくなりました。便利で快適なことも増えていますが。
へんな意味じゃなくて、人恋しい感じです。代わりに夫はすごい社交的になって、もうマスクしたり、外したり、自由にしながら友人たちと出かけています」
その数日後、Kさんの夫であるJさんがご自身の別のご相談があり、セッションにお越しになりました。
Jさん「うちの奥さんは、社交的だから羨ましいんですよね。SNSで気楽にやりとりしているみたいだし、楽しそうなんですよね」
と、話の流れで、前出のKさんについて触れました。
これは、パートナー、親子など近親者、自己投影しやい波長の誰か(他人、ネットニュース、キャラクター等も多い)に対して感じる、よくあるあるです。
どちらかが勘違いしているわけでも、偽ってそう装っているわけでもありません。
そもそも、そういう表層的な人間関係とは異なる次元において関わりが起こっている対人関係だからです。
しばしば、次元、次元とうるさいかもしれませんが 笑
精神宇宙や潜在意識について関心も知識も薄い人たちでも、ふつうに、多次元でさまざまな人たちと関わっていますが、そのことに気づいていないか、気づかないようになっています。
まぁ、稀に「前世でも一緒だった」「来世で頼む」という言葉遣いによって確認しているぐらいでしょうか。
KさんとJさんのように、詳細は違えど、本質的に、お互いに対していだく自己投影像によって関わる次元は、いわゆる「見ている世界は自分が創っている」領域のようです。
見ている世界を自己創造する要素は、対人関係のほかにたくさんあります。
日々のさまざまな経験、環境、時間の流れ、情報、事故、「自分がこうしたから、こうなった」「こういうことが起こったので、私はこう反応した」などなど。
感情や解釈など、万人や、相手と必ずしも同期していない要素が強い人ほど、「見ている世界は自分が創っている」領域に、思いのほか自覚なく生きています。
わかりやすくいえば、思い込みが強い人です。あるいは、思い込みだと気付きようもない思い込みに生きていることです。
ここの領域は、悩む、サバイバルして生きる、苦しみや感情に翻弄される等々、人情の濃い生き様が多いように思われます。
ドラマや、ときには演歌節も含まれます。
そして、「見ている世界は自分が創っている」という話を見聞きしても、まだ次元移行を理解していないことが多いようです。
そのため「自分のせいで相手はこういう態度をみせている」「自分がこのような仕事の状態を招いた」「自分が豊かなマインドになれば、豊かさが手に入る」という、もう一歩手前の時期を長く過ごす傾向にあります。
でも、これも相応のプロセスなので、よしあしの問題は問われません。
先のKさんに、メタライフ・セラピーの一部の体験で、可能な多次元に移行していただきました。
Kさん「なんでもありな、楽しいです。なんでもありという言うと、今までなら、わちゃわちゃ、はちゃめちゃだろうと思っていたのですが、それが無いです。コミュニケーションを活発にすることもあるし、ひとりで静かにしているときも、両方自由にしていて。気にしていないです、余計なことに」
Jさんは、別のやり方での体験を通じて
Jさん「うちの奥さんと、言葉の通じない国?場所?に出かけているイメージが視えます。旅行なのかな。私は英語、彼女も少し英語とスペイン語わかるんですが、言葉が通じるかより、その場所、人たちと一緒にいるのがおもしろい、パワフルなんですよ」
と、次元移行の様子を味わったようです。
多次元になるほど、「見えている世界は自分が創っている」は、今のとある状態を単一に捉えて、AからBに変化するのとは、ニュアンスがまるで異なっていきます。
いろいろあって「選択肢が増える」や、
「好きなように、思ったように、自信をもってやるから選択肢が増えた。不可能がそもそもない」と認識が膨張します。
パラレルワールド(並行世界)なので、AもBも同期し存在しています。
先の、「見ている世界は自分が創っている」(視覚化ではなく、感覚的やほかの認識による世界の場合も)領域の一歩手前で、ロックがかかり久しい方々の信念体系には、ほぼ共通する高い塀のようなものがあります。
それは、正しく理想とすべく「見るべき世界」と、間違ったわるい「見えてはいけない世界」があるという、制限のロックです。
曖昧でわからないようなことを愉しむ、流れや自然に任せる、身体の力みやストレスを緩める、よく憩む(寝む)なども、ロックを緩める助けになるでしょう。
世界を分子構造(物)で見る、考える、認識する習慣が長い影響もあるでしょう。自分で考えることが難しく、既成思考の絶大な影響も受けやすいものです。
「見ている世界を創造する」領域は、他者をはじめ、あらゆる可能性の領域とゆるくアクセスしていくことで、緩〜い量子の曖昧さ加減とつながるようです。もはや「自己投影」という型からも解放してくれます。
そのようなことを踏まえつつ、
いわゆる日常的には「相手や周りを思いやる」ことの本質は、「見ている世界を創造する」自己投影のパターンを肯定的なものに動かしいきます。
意味不明かもしれませんが、何かしらご参考になれば、嬉しく思います。