身体に現れる症状や、行動習慣といった状態を、エネルギーレベルで観察することで、原因となる要因について、より精妙な分析がしやすくなります。
とある症状や状態という物理的な範疇では不明なことが、より構造的に理解できたり、症状や状態に関係する本質要因が、可能性として現れます。
ただし、この観察や分析は論理的な理解に比べると不確定なものです。絶対的な答えと言いきれるものではありません。
しかし、この曖昧で潜在的な状態は、いわゆる、エネルギーや氣を動かすには、絶妙なところなのです。また、この段階で対処すると、症状や状態として具体的に見えたり知覚していたものが好転しやすくなるようです。
「最近はだいぶこれでも動けるようになりました」とおっしゃるAさん。
もともとは活動的でフットワークが軽かったものの、ここ数年に起こった経験により、どうにもこうにも体が重たく、思うように動けなくなっていたそうです。
病院での診察が苦手であることと、病院に行くのも億劫で、代替療法などを試しながら、なかば引きこもり。生活に最小限必要な外出に留まっていました。
幸い家の中では、快適に過ごせる工夫をなさりながら…しかし、ここ数年でご自身でも随分老け込んでしまったとお感じのようでした。
視力などの感覚にも疲れを感じ、たまに思い立って行動しようとすると、大きな怪我をして足止めを喰らうほどです。
メディカル・イントゥイティブのセッションで、神聖幾何学のシンボルを通して、Aさんのエネルギー体(肉体と物理的には同じ場所にありますが、異なる次元にある肉眼では不可視な体)を視ていくと、本来のバランスやアライメントが微妙にズレてしまし、そのためにスムーズに機能できない様子です。
肉体レベルの代謝に通じるエネルギーの流れは、頭部や延髄などの要所で、スムーズではなく、それらが全身の循環や感情にも影響していたようです。
さらに、日頃のAさんの暮らしぶりの画像を拝見すると、奇妙なことに、家のなかでは、Aさんの肉体と意識体(エネルギー体)は分離して、別行動をしている様が現れました。
肉体のほうは、確かに「体が重たい」と感じられるように、じっと座っていたり定位置にいることが多いのですが、一方の意識体は(透過率の高い透けたようなAさん)、気ままに室内をふらふらしています。
たまに外出する際、屋外ではそのような分離はなく、どうやら安全な家のなかでのみ起こっている現象なのかもしれません。
Aさん「自分でもふわふわ、フラフラする感じがしているのを感じています。ときどき、家のなかでストレッチ(ヨガ)をするのですが、自分の腕を伸ばしたら、何かふわっとしたものに触れるんです。視えるわけじゃないですが、なんとなくその分離しているような感じ・・・・わかる気がします」
意識体は、まるでWordなどの画像処理の設定で、透過率を上げていくと透明化していく人物像のようですが、意思や動きはわかりやすい存在です。
そのように分離している事情は、〈体(肉体)のほうが重たいし、文句が多いから〉とのこと。
この文句とは、苦情や暴言を吐いているわけではなく、どうやらAさん自身にとって過去のネガティブなラベルがついた経験やエピソードを所有していることを表していました。
過去のエピソードは、身近な人間関係との過去から現在に至るストーリーを創りだしてきました。
実際の人生では何十年来になるようですが、しばしばそのことを反芻して思い返しているため、それらが肉体における〈文句が多いこと〉に繋がっていたのかもしれません。
しばしば怪我をされるのは、文字どおり、(肉体から意識が抜けてしまっている)上の空な状態から不注意や意識散漫となり、起こったことの可能性があります。
ちなみに、霊的な波動の領域で「気が取られる」「上の空の状態」は、ハッとして正気に変えるような怪我やアクシデントを起こす傾向があります。
おっちょこちょい、うっかりレベル等のケガと違い、そのケガで肉体に意識を戻すような働きがあるのかもしれません。
多くの場合は、ご自身でケガをした瞬間はわかるし、その手当などで肉体に意識体は戻ります。我に変える、という具合に。
一方、いつ、どこで、何によってケガをしたのかわからないものには(なぜか切り傷が多い)、霊的なモノ(意識、想念)によるものがあるようです。
ちょっと怖い気がすると思いますが・・・
物理的には、確かに何らかによって切れることが起こったのでしょうが、それだけケガを見つけたご本人の意識が別のところに飛んでいたか、肉体から抜けるほどの影響力のあるもの(自分以外の想念、意識など)に憑かれるほど関わっていた、と仮定できるでしょう。
ここまでくると、ご自身の意識で体を所有する感覚を取り戻す必要がありますね。
話が横道に逸れましたが・・・
肉体に生命力ある間は、意識体が肉体から抜けていることは本意ではありません。
ただ、分離した状態をエネルギーレベルで観察をすると、何を以って、良い状態、わるい状態とは言い切れないものです。
なぜなら、都合・・・そうなっているというわけで、むやみに表面的なジャッジが成立しないからです。
しかし、ご本人の自由意志が明示することで、それならこうだろう、というソリューションは挙がってきます。
先のAさんの例をお借りすれば、意識体が肉体と一体になるには、ふたつの要素がありました。
ひとつは、今はまだ十分に快適でない体調を整えることとして、自分ケアーファストに努めていただくことでした。セッション中に、それさえも億劫にしていたであろう、過去からの一連の文句の想念はエネルギーレベルで解放しました。
ふたつめは、安全でリフレッシュできるところ(自然がある環境など)に出かけ、意識体と肉体が共に行動や経験をすることでした。
肉体が長期的、または瞬発的に強度な苦痛を経験するとき、意識体は肉体に留まることが難しくなっていきます。
事故などで意識が抜ける、いわゆる幽体離脱は、ショックや衝撃により意識体が抜けてしまったり、肉体の状態が意識を留められなくなる状態です。
日常で起きている間に経験することが辛い、ストレスが強いと、そこから意識を解放するために、お酒などの気を緩めるような作用を求めたり、気分転換や気晴らしになるもの、ゲームなどの世界観を変えるもの、に行動が向かいます。
苦痛やストレスから解放されることは大切ですが、追い込まれた状態で選択する方法は、それなりに別の負荷がかかるものです。
さらに、いつの間にか、体から意識が抜けた状態(そのことに自分で気づくことは殆どないのですが)のほうが快適になっていきがちです。
皮肉なことに、スピリチュアルへの関心や活動が、肉体に留まる世界からの逃避目的になると、危うくなることもあるでしょう。
それでも、生命体として意識を肉体に戻そうとするとき、何らかのアクシデントや、本人にとって気づく方法を度々投げかけてくれるものです。自己防衛能力です。
また、意識が肉体から抜けやすい人は、さまざまな想念や、実体のない価値観や人々の意見に影響を受けやすいようです。体から意識が抜けていると、そこをターゲットにされてしまう、などということも考えられます。
なお、睡眠中には、意識体は安全に肉体から離れ、肉体ともどもエネルギーをチャージすることができます。肉体におけるストレスや辛さを感じるときこそ、よく眠ることで、日中活動時間における意識体と肉体の分離を予防できるでしょう。
私自身、若いときはお酒が強く、ジンやウォッカなど平気でガンガン呑めるほうでした。あるとき、誰かと話をしているときに、ふっと自分の笑い声がとても大きいことに気付きました。
そして、そのとき、小学生の頃に近所に住んでいた友達のお母さんの、明るく大きな笑い声を思い出しました。
そのお家はお父さんが単身赴任で、家の前には空の酒瓶やビールの1ダースケースが頻繁に置かれていました(当時は酒屋さんが配達し、回収していた時代)。
きっと、酒で分離した意識体が知らせてくれたのかもしれませんね(笑)
(子供ながら「あのお母さんしか飲む人はいないだろう」と言う大人たちの話を、我が家で聞いていたのです。)