何かに“ハマる”のと、“中毒”の境は曖昧です。自分や周りが壊れない程度であらば、そういう人、という自由な範疇です。
周期的に、スピリチュアル系の中毒や洗脳めいた状況に関するご相談を受けたり、ご本人はそこに自覚がなくても、お悩みの根底には中毒的なスピ習慣を発見することがあります。
中毒は度を越すと、自分の意志が全く働かなくなります。
誰しも何かに妙にハマり、中毒めくことはあるでしょう。ふつうは、暫くして自然に飽きたり、他のことに気を取られるなどして、離れるきっかけがあり弱まります。
摂取系の中毒の根底にも精神的な事情がありますが、ご本人の理解には至らにくいようです。
一方、スピリチュアル系の中毒は、もともと精神・心理的なところにきっかけがあるのは、中毒者自身がどこかで認識しています。
「スピリチュアル」というジャンルが社会の中で確立し、一般的に広く知られていますが、本来の意味合い(特に英語圏)は、「宗教」と同じです。
宗教ほどの歴史や物語は少ないですが、信者的な人間関係、迫害や否定を招きやすい思想という部分は、しばしば発生している模様です。
真面目にこのテーマを挙げると、だんだん笑えない話になりそうですが、周りの人やご自身の過去などにスピ中毒の一端があれば、お愉しみください!
スピリチュアル中毒あるある
・怠け者になる
スピリチュアルの元になるスピリッツ(Spirits)は、精神の素(元気の素)、妖精、蒸留酒系のお酒 などの意味があります。
精神の素として、スピリチュアルは役割を果たしているはずが、お酒を飲んでマッタリとする状態にもなりやすいのです。
実際にお酒を呑んでリフレッシュし「旨い、楽しい!」「ストレス発散!」「明日も元気に頑張れる!」人たちがいる一方、アルコールによる中毒性に呑まれ、実生活を怠けていく人たちがいます。
スピリチュアル中毒に傾くと、徐々に怠け者になっていくようです。
一見するとスピリチュアルな活動や集会などで忙しく太刀振る舞っている様子ですが、肝心な生きる部分が疎かになっていたなら、早く酔いを覚ましましょう。
・地に足が着かない(自分の身体の中にいない)
いわゆる「グラウンディング」ですが、安定感や安心感がないようなふわふわ状態にいることが多くなります。
グラウンディングをしていない感覚が長い人たちには、知識ややり方としてのグラウンディングは理解できても、想像的なグラウンディングに留まる傾向にあります。
酔っ払っている人が、周りから「しっかり歩いて」と肩を貸してもらいながら、自分ではそこそこちゃんと歩いているような感覚にあるのと似ています。
また、スピリチュアル中毒が増すと、むしろ、地に足をつけたくなく、たとえば神がった存在や、幻想的なメッセージに憧れてしまい、羽や〈翼を授けよ〜♪と〉いった具合になるようです。
*某ドリンクのC Mのことではありませんが(笑)ただ、自分の心身にパワーがないと翼をつけて飛べない・・・という捉え方として、的を得ているように認識しています(^^;
・常に不安や怯えがある
具体的な対象があって無いようなのですが、常々、何かに対して、不安、恐れ、怯えなどを抱えています。
それが慢性化し、自分の人生はそういうものだと、割り切っている節もあるでしょう。
スピリチュアルに限定されませんが、常に不安、恐れ、怯えなどがありますと、邪気や悪意のある人たち、人の意志や行動をコントロールしようとする人たちに反応しやすくなります。
巡り会ったときに、不安、恐れ、怯えている状態から救ってくれると思わされてしまうからです。
また、不安、恐れ、怯えにより、常々消耗しているため、自分に問いただし、まともな判断が鈍りがちです。
救われたい、楽になりたい、という心の隙間に、スピリチュアルが心地よく入ってきて、そこから離れたくなくなるようです。
中毒的にいつもアルコール摂取すると、酔いから覚め禁断状態に陥いるのに似ています。
スピリチュアルからの覚め方とタイミングによっては、日頃よりも余計に不安、恐れ、虚無感が増し、反動が大きくなります。
・妄信する
ハタからスピリチュアル中毒の人を見ると、とてもわかりやすいと思います。
根拠のない因果関係や、裏付けが曖昧な話を鵜呑みにしてしまいます。
素直で無邪気というより、危うさや違和感、さらにエスカレートすると、少々狂気めいてくるでしょう。
スピに限らず、どハマりなことに没頭していると、そうなりがちですね!
しかし、スピリチュアル×妄信 になると、信じない人たち・・それが家族、親しい人たちであっても・・・信じない方がおかしい、理解していないと、失望したり、揶揄や憤りから関係を絶ってしまいます。
しばしば、
「スピリチュアルに目覚めたら、これまで付き合いの難しかった友人たちが離れていって縁がなくなりました」「自分の波動が上がると、波動の低いような人や物事と関わらなくなりました」
などと見聞きます。
語彙の豊かな作家さんでもなければ、言葉という表現を用いると、確かに、そう言うことになります。
スピリチュアルに目覚め「魂に従って健やかに生きましょう」「自分らしく!」などお馴染みのフレーズです。
全く感覚的ですが、そう思って発する言葉や受け止め側の8割強は、危うく感じます…
たとえば、付き合いの難しいと感じる友人たち、波動が低いと思う人たちは、自分の中の世界が創っていた景色であることを忘れていないでしょうか。
ゲームチェンジしたと、晴れやかに錯覚しているのであれば、スピリチュアルエゴから醒めましょう。
・態度が変わる
スピリチュアル中毒にある人は、二面あるいは多面的に態度を変えるように見えるでしょう。当事者はそのおつもりはないか、態度を変えていることに気づいていないことが多いようです。
態度とは、目に見える言動もですが、主張や考えが、今までと違和感のあるものになったり、状況によって一変するなど、通常のモードに対して異質な印象を与えます。
ハタから見たら、「いつもとなぜ違うのだろう」「急に変わった」「大丈夫かな?」と、不安定な様子を感じ取るようです。
これは先の「地に足がついていない」や、根本に「不安、恐れ、怯えがある」ことと関係しているようです。
伝承的な「憑き物」があるときも類似です。かなり中毒が進行している模様です。
・都合よく振る舞う
中毒初期のうちは、おおむね身勝手な人、自分勝手な態度をとる程度です。
主張している、自分らしさを表現している、のとは何か違いを感じるでしょう。
一例ですが、無礼、非礼、横柄、理不尽さなどの、良識的な(常識的というより、優しさや思いやりを感じる)人との関わりにおいて、不快さを与えるものです。
さらに、無礼、横柄、理不尽さなどがエスカレートすると、人の精神的な自由に対して、批判、否定的になります。
お酒中毒の人が「酒を飲んで、なんで悪いんだ!」というメタファが近いかもしれません。
中毒はやはり毒ですから、スピリチュアル中毒の末期は、他人の物やお金などを、尤もらしく供出させ、徴収する域になるようです。
・逃避
逃避した先に、中毒の対象があります。
例えば、何かから逃げた先に、過食、情、中毒性のある習慣、セックス、薬物などなど。
「そうだよ、逃げてるよ!」と、承知で逃避している人たちもいますし、何から逃げているのかわからないまま逃避行を続けている場合も。
団体、集会的、今であればサロン的な活動のスピリチュアルの場に、何かから逃げたり避難するような状況があり、自分の居場所や仮の場を求めるようです。
その場が心酔してしまうと、逃避・避難先から戻ってこなくなります。
「いや、普段の暮らしや家に帰ってきた」と言っても、心や精神は帰ってきていないのでしょう。
人の心の常、さまざまな人生のフェーズで、逃げたり、回避したいことは発生するでしょう。そして、救いや安らぎとしての場やアクションに立ち寄るのも経験です。
ただ、自分が何から逃げているのか、何を求めているのかわかるまでの仮の場、仮の期間のようなものです。
発見しわかるための教えやきっかけをもらうことは有益です。しかし、その教えやきっかけにハマってしまうと、自分の目的を忘れたまま、その酔い心地に浸ってしまうようです。
・自分の意志がわからない
「大変なことがありすぎて、どうしたらいいのかわからない」
「苦労が続いて、光(希望、将来)が見えない」
「自分でどうにかしようにも、どうにもできなかった。むしろ悪い方に向かっている」
そんな状況から、スピリチュアルに入る人たちは少なくありません。
「それなりに自立し、努力し、頑張ってきたのに、救いがないような苦しさ」
「他人からは問題なく幸せそうに見られるが、実際は生きがいが感じず虚しい」
「生き難い、苦しさを隠し、周りにはカモフラージュしている」
時代を問わず、人生の道がわからないために、どうしたらいいか自分のことであっても自分でわからないし、勝手に決めようがない、と言う事情です。
これは、スピリッツ(精神)が落ちていたり、元気がない時期の特徴です。持ち前の気質にもよりますが、一時的(人によっては中長期と長い)です。
すると、自分でわからない状態がデフォルトになり、何か絶対的な導きや正義があるなら、そちらに従いたい、という考えや行動が先行します。
運気や幸運に自分を合わせる、というモードが強くなっていきます。しかし、一方では、その運気や幸運は自分の意志次第です。
これは、表裏一体で、結局同じことを解釈や見立てを変えているに過ぎないのかもしれません。
そこはお好み次第に委ねるとしても、この地球の磁場的*に、何かにだけ極端に偏ると、存在が難しくなります(つまり生き難くなる)。
スピリチュアルな見立てや、運気情報に振り回せれがちだと気づいたら、自分で決めていることを思い出しましょう。
自分で決められないのか、決めていないのか?そこのせめぎ合いこそ、ご自身で確認してみると、ご自身のスピリッツを感じられるかもしれません。
特に、特定の相手の人間関係など、実験しがいがあります。
相手との相性、相手の本心を推し量ることがスピリチュアルだと、勘違いされがちですが(爆)、その方向に偏ると、ぐるぐる堂々巡りします。
自分のスタンスをハッキリさせると、相手の真意や反応がわかり始めるでしょう。
逆に、自分のことばかり主張してきたとき、客観的に相手側や両者を観察する見立てとして、相性や相手のエネルギーを知ってみると、見解が広がります。
*地球の磁場:かつては二極的、今は徐々に多用的に進化している。
昔から、宗教、霊感、スピリチュアル界隈の中毒や洗脳めいた話はあるものですが、概ね人としてありがちな情や欲の部分によって引き起こされるきっかけが多いようです。
情や欲は人を動かすものですが、それはお金や利害関係のように、他者をコントロールする性質があります。
どんなことも、たった一度きりで中毒にハマるものではないでしょう。(薬物による中毒に入る前に、別の対象で中毒傾向にある場合が多い)
一度と言わず、何度か指摘や示唆される機会がありますから、それらを見落としたり無視せずに、軸を正したいものです。
今回は、スピリチュアル中毒に絡め、7つ余りのあるあるをご紹介させていただきました。
スピリチュアルに限らず、中毒やどハマりで肝心なものを見失う傾向について、ご参考になれば幸いです。
(健全にお酒を好きな方には、今回、酒呑みの例えが多くてすみません!ちなみに、お酒にも蒸留の過程で発生する原料を「魂」と呼ぶ説があるそうです。お酒とスピリッツについて検索中に、拾った情報ですが・・・)