以前コラム で「病気や症状と対話する方法」についてご紹介したことがあります。突発的な症状、慢性症状、怪我なども含みます。「対話」や具体的な症状の発症源に話を聞くことが、比較的すっと自然にできるときと、「どうだかなぁ」と曖昧な感触しかないとか、まったく反応が無いように感じることがあります。
この対話とは、芝居のように語りかける、心の中で問いかける、内省のような静かな心の状態で感じる、など対話スタイルはさまざまです。
さて、Sさんからこの方法についてご質問がありました。人間ドックを受診した際、肝臓の数値が異常値で精密検査が必要とのこと。Sさん自身「心当たりはありません」といった具合で、今もって無自覚だったようです。
早速対話を試み・・・
Sさん「・・・肝臓さん、と話しかけてみたのですが、目立った回答も得られず、さすが沈黙の臓器です… 今日も気負わずにトライしています」
という状況のようです。
しばしば言われるように、肝臓は謙虚で働き者な臓器のひとつですね。
ここでは、Sさんのように数値の段階を含めて、気になる症状、発症源となる臓器、部位との対話のポイントを解説していこうと思います。あくまで、そういう解釈ができるかも、という認識であり、読み物的な理解でお読みください。
知識やノウハウとして知る種類の「情報」と、ご自身で感じ認識しわかる「情報」は似て非なるものです。前者の情報は、自分を一患者(ケース)として知りたいとき、後者の情報は、我が身に起こっていることとして知りたいときです。前者は選んだ部分を、後者は本質・全体をフォーカスしています。どちらも状況により有効な焦点です。
① ”反応がない”のが反応
正確には、Sさんにとって言葉や動きなど「反応」と思えるもので返ってこないため「反応がない」とおっしゃったわけです。それよりも先に受け取ったわかりやすい反応がありましたね。それが、精密検査の通知です。これが確実に伝わる方法だったのかもしれません。
沈黙の臓器と言われるのは、ふだんの私たちの意識できる方法では気づかない、という特徴があるからでしょう。逆に激痛や痒みのように、まず、本人に知らせる症状や臓器、アレルギーや皮膚疾患のように、本人と周囲にも反応を知らせる症状もあります。
反応を認識しにくい臓器や症状は、(1)機能と相まったコミュニケーションの特徴 (2)本人が他の大事を優先していて気づかなかった (3)疲労の蓄積 (4)ほかの臓器や症状に起点があり、必ずしもメインな症状でないとき などが考えられます。
自分自身で反応は受け取れないときのために、健康診断や数値があるのだと、一旦おおらかに受け止めるのもお勧めです。
② 対話をすると思考が働く、対話に集中できない
たとえば、臓器や症状に関する常識や予備知識があり、それが対話中に思考とまざってしまい、集中できないことがあります。肝臓や特定の臓器などの自覚症状がなくても、たとえば、本来の体調よりさまざまな部分で影響を受けたり、感覚が鈍くなっているものです。疲れが溜まりやすく気持ちがネガティブになりがち、ということもあるでしょう。対話をしようとして、うまくゆかない、よくわからないときは、別の方法で症状に向き合って良いのです。
①や②の場合、「なぁーんだ、対話できないし」と思うかもしれませんが・・・そんなことはありません。実は、あなたが意識を向けたことは、ちゃんとエネルギーレベルの働きかけが起こっています。「意識を向けたところにエネルギーは流れる」ということです。エネルギーは本質・原型ですから、あらゆるカタチによって反応が起こります。もっとも、ずいぶん長い間、症状を放置していた場合は、それなりの時間やプロセスを要します。
さぁ、あなたが意識的に関心・エネルギーを注ぐことによって・・・
③ 症状・病気がわかったところから癒しが始まる
とかく、症状や病気があり、それを治療したり回復させることが治療の本質と思われがちです。その治療がうまく効かなければ治療ではないと考えるでしょう。しかし、内観の世界では、症状や病気が明らかになったときから、癒しが始まります。症状や病気が表面化する前から、それらはあったのですから。気づくか、気づかないかが最も難所なのです。
Sさんのケースでは、まだ肝臓の具合はわかりませんし、検査数値が誤診かもしれません。それでも、肝臓なのかそれ以外なのか、Sさんに癒しのきっかけを促していることでしょう。
少し話が脱線しますが、これは、犯罪行為や事件でも当てはまります。犯罪が見つかる、事件が発覚することで、当事者にとってはやっと楽になり救われる要因があります。社会からみれば悪事なのですが、当事者にとっては別次元の救いや状況のシフトになります。(非常に徳があり聡明だったと語り継がれる伝説の超古代文明「アトランティス」では、罪人は病人としてケアしたそうです)
まわりくどい話に感じるかもしれませんが、状況が明るみになりわかったところから、症状、病気を受け入れることになります。だから、単純に症状、病気を治すことだけにとらわれてしまうと、むしろ症状や病気に至ったプロセスを否定することになり、自分攻撃になってしまうこともあります。(症状の性質によっては)
④ 回復や治療のためのきっかけ、情報が入りやすくなる
当の本人からするとだいぶ時間や手間がかかるとヤキモキしますが、対話を試みることで、スムーズに事が運び始めます。たとえば、検査の段取りがうまく進んだり、治療などが必要なときには、良い治療法や病院、医師と出会えるなどです。これも、すぐにうまくゆくときと、ひとつふたつの試行錯誤のプロセスを介して、ようやくいきあたることで、道を慣らすような経験をすることもあります。
症状や臓器などからすると、あなたと直接対話するより、状況がわかるところへ持っていくのが目的なのかもしれませんね。
⑤ 病気や症状になったおかげ・・・利得を探る
対話が自然にスムーズに運んだ場合(これはセラピーやコーチングでのサポートが必要ですが)、一見ネガティブな病気や症状、トラブルや問題には、当事者にとっての利得があります。むしろ、その利得の為に患ったり、利得を得る代償としてその症状のカタチを選んでいる場合があります。
子供の頃からよくある無意識な(ときに意識的に?)展開で、風邪を引いた!でも体育の時間にプール見学できる!などというシナリオです。これは大人になってもいくつになっても使える基本です。
「おばあちゃんがおじいちゃんのところに帰りたくないから、もうちょっと入院していたいと言うんです」とお孫さんがご相談に見えたこともあります。
この利得がわかる方法として、こちらのオーディオセラピーをご紹介させていただきます。
⑥ 大切なプロセスとしての症状
実際に、術後に、患った部分と対話をする方もいらっしゃいます。乳がんの手術を終えて経過観察に入り、体調がだいぶ落ち着いた頃に、
「自分の乳がんがどんなふうに思っていたのか、わかりますか?よく、恋愛とか対人関係で相手の気持ちが知りたいという相談があると思うのですが。私の乳がんはどんなふうに私を思っていたんでしょう?」
というご相談をいただいたことがあります。
すでに乳がんと手術に並行したご経験から癒しは起こっていらしたのでしょう。ただ、ご本人は言葉として聞きたい思いのようなものがあったのかもしれません。
私自身がリーディングをしてお伝えさせていただくのは、あまりに愚鈍です。ここまで癒しのプロセスを経ていらっしゃるなら、ご自身で対話ができると感じました。
そこで言葉で誘導をさせていただき、ご本人に対話をしていただきました。細かいやりとりはお話になりませんでしたが、感情が涙を伝って流れていらしたのが何よりです。頃合いをみて、どのようなことを話していたのか尋ねてみました。
「自由にしたらいい、好きなことをしたらいい、と言われました」
“自由”、“好きなこと”の意味するところは、ご本人が長い間知らぬ間に我慢し、抑えていたものを解いてくれたのでしょう。
病気や症状のプロセスはお辛いものですが、それがあってこその必然だったのかもしれません。
Sさんのご質問から、一般的に当てはめてよいようなポイントとエピソードを書かせていただきました。
いわゆる代替医療やヒーリング、内観法、瞑想などの絶妙な特徴です。医学や科学の領域より広い観点から物事(現象、症状など)を捉えるため、こうしたらこうなるといった確実性がないものです。可能性が豊かであり、逆にいえば、不確かなように解釈されるでしょう。現状で言えば、科学や医学を越えた未知なる領域と言えますが、不確かなところは丁寧に慎重に勘を働かせるなどは肝要でしょうね。
最後に、再検査や精密検査については、私の体験談を書いておきます。なお、ここから一気に現実味はなくなりますので、「へぇ〜、そんなことがあるのかぁ」〜と読み流してください(笑)
今から4、5年前のことです。強烈な恋愛・不倫の問題を抱えたクライアントさんのご相談を受けたことがありました。たまたまその直後に、私自身の健康診断を受けました。すると、乳がんの疑いが強いとのことで、再検査の診断を受けました。まったく自覚症状はありません。遺伝的にがんの体質も無いはずです、
ただ胸のあたりに意識を向けると、珍しく(フツウはエネルギーを切りますので)先のクライアントさんの憤りと不愉快なエネルギーを強烈に感じました。この方の言動には、電話応対をしていた受付の女性(かなり毅然としているのですが)もお手上げだったほどです。
再検査までの約1ヶ月の間、がんという言葉は家族や身内に伝えただけで、ふだん見せないような反応があるものですから、ハッキリしたことがわかるまでは他言しませんでした。その間に、ほかのクライアントさんのカウンセリングやセッションがあり、ひょんなことで、あるクライアントさんの亡きお父様から、御礼なのかわかりませんが(笑)とても明るい光を胸のあたりに送っていただきました。ふだんの暝想やヒーリングワークで、自分がイメージするような明るさとは異なる感覚であり、温かく動きながら胸全体に浸透していく感覚がありました。
この手の話も、言語化し誰かに話すことで波動が変わりますため、そのままの体験に留めました。
再検査は都内の大きな総合病院でした。婦人科の女医さんが2種類の方法で再検査してくださいましたが、
「何も異常ないですよ」とのこと。
最初の健康診断の段階で誤診だったのか、何かエネルギーが動いたのか?はわかりませんが(笑)
“業界的”にはエネルギーアタックを受けることがあるのは、全然珍しくないことです。その筋の知人からは「そういうのあるのよねー」とあっさり言われました。
エネルギーアタックは、とくに疲労やエネルギーが弱くなっていると、ほかのストレスと同様に受けやすくなります。ただ、メンタルや身体レベルより、エネルギーアタックは現象が出るのも(うまくいった場合)消滅も早いです。
というわけで、身体のイエローカード・レッドカードは千差万別なことが想定できますが、結果に対してはオープンマインドで、そして先行きを怖がらず、不安に思ったら中立的な気持ちでいるか、考えすぎないこと。
臓器、病気、症状などには大きな広い意識で受け入れ、向き合ってみるのは、結果的に善い働きかけになるでしょう。