特に今後のことについて漠然と思案、思い悩むようなときは、何を信じたらいいか?ハッキリ実感がないときのようです。漠然と思案していますから、明確にこれを信じる/明らかに疑う、などという意識は自覚なさそうです。
目下、下半期リーディングのセッションの時期です。
クライアントさんの中には、明確に決めかねているテーマがある方、特に決断の必要はないけれど「何を目安や拠りどころに過ごそうか」という方など、概ね平和なようです。
かといって、完全に安心し、このままでよいとも思っていない・・・というややややこしい心境が多く感じられます。
そもそも自分OK!と、自分を潔く信じていらっさしゃるときは、リーディングに関心を持たないものかもしれません(笑)
しかし、自分でも軸がしっかりしていないとお感じのときは、自己確認とうかたちでセッションを活用なさるようです。その勘はなぜか当たっているようで、こちらも人生の調整やズレと思しきものを見つけさせていただきます。
稀に「これはほっとけない!」というテーマを見つけ出すことがあります。
それが、今回のテーマ「何を信じているのか?」です。
自分とは、自分にとって当たり前すぎて、気づいていないことを気づかない(=わからない、言われても「???!?」と自覚しない)ものです。
今回のテーマは、な〜んとなく調子が出ないときに、見直してみるとよいと思うことですので、コラムにてご紹介したいと思います。
Iさんの第6チャクラを視ると、まるで頭の中が灰色のもので詰まっています(リーディングの中のイメージです)。
ウレタンのようなものが埋まっており、思うように考えが働かず、事実上ぼんやりしているに違いない、といった印象です。
このイメージを言語化すると「殆ど意味のないものを、さも価値があるように思い込んで人生に使っている」でした。
うっかりすると情報の多い社会に生きる私たちがやってしまいそうですね。
「一応、知っておこう」「知らないよりは、情報や知識は知っておくほうが有利だ」といった価値観です。
ある程度、自分の頭が機能しているときは、自動的に、ほぼ無意識にこれらの情報や知識は大事なものは保持し、不要なものは忘れたり、一旦は忘れて必要なときに引き出しメモリーから呼び出されます。
Iさんの場合は、意味があると信じているがゆえに、その信じているものに、ご自身の多くの時間やエネルギーを費やしているようでした。
はて、それは何だろう・・・・すると
Iさん「あっ、それって、もしかしたら風水*です!」
あるときから、人生がうまくゆかなくなり始める少し前から風水の情報をもとに、家の中のレイアウトや、ご自分の判断材料として使っていらしたとのこと。
確かに、風水で、「これはこうしたほうが◯◯運がよい」と言われていれば、その通りにして、運をよくしたいですよね。
きっとそのとおりうまくいったこともあるでしょうし、そう感じただけのこともあれば、ハズレたこともあったでしょう。
Iさん「◯◯については、風水のとおりにしなければよかった、と思うことがありましたよ!」
と、風水を信じつつも、信じたものに少し振り回されてしまったことにお気づきのようでした。
ちなみに、風水がわるいわけでも、風水を信じてよい・わるい、という話ではありません!
「風水」そのもののせいではありません。*風水関係の方に全く誤解のないようお願いいたします(^^)
Iさんのケースをふまえ、4つのポイントを挙げていきましょう。
(1)依存
まずは、風水に依存してしまったこと。信じる焦点を、今の自分以外の何か、誰かなどにすり替えたことがポイントのようです。
このように信じることは、比較的精神的な対象が多いのですが、物の所有、お金、人の情、自分の過去、名声、権威、などなどいろいろなケースがあります。
(この流れで、このまま事例として「風水」でご説明を続けさせていただきます)
本当は自分を信じられる人生に向かうために風水を参考にしていたはずなのですが、外部からの情報である風水を、過剰に内側の自分に取り込んだことで、すり替わりが起こってしまいました。
インプットしたら、だいたいその分だけ、アウトプットをしないと、信じているものに依存傾向になり、振り回されやすくなります。平易にいえば、風水を気にしすぎたり、こだわりすぎる、という具合です。
この手の依存を、人に対しておこなうと、自分から相手に振り回されにいくか、さまざまなことを相手のせいにすり替えて認識するようになります。
(2)何を信じる?
「信じる」という言葉は、実態が難しいものです。
目的語によって、その後がまるで変わってしまいます。
目的語=何を信じるか?です。
何を信じても、究極、本人の自由です。(社会において民主主義であるとか、宇宙的に自由意志を尊重する、という意味で)
この目的語にもってきたことに、過度にエネルギーを注いでしまうと、自分の存在が薄らいて失せていきます。
何を信じるのか?の主語は、「あなた」です。
仮に、宗教上などで、あなたが神様の子であり、神の思し召しであられたとしても・・・神はあなたの中に仰せられます☆
(3)結果への期待
結果を期待することは、皮肉にも、純粋に期待することに矛盾や葛藤をうむようです。
とかく不安や恐れがあるところから、何かを信じることをスタートすると、結果ありきで何か、誰か、を信じようとしがちです。
すると、信じることに不安がともない、複雑になります。
「もしも」や間違い探しをするなど、頭の中は忙しく思いをめぐらせ、雑念や余計な推測が増えていきます。
このような状態は、頭の中にウレタンを詰めこみ、閃きや直感の信号が働くのを妨げてしまうでしょう。
信じるものは信じておけばよいのですが、そもそも信じることのパイ(全体、総量)は、私たちの思考や価値観よりも遥かに大きいため、途中経過では期待どおりに運ばないようなプロセスはおおいにあるでしょう。
純粋に信じる=結局うまくゆく ぐらいアバウトにおおらかに構えておくと、その運びをご自身でも感じられるようになるでしょう。(根拠なく、プロセスは細かくわからないけどうまくゆく!といった具合です)
(4)「信じる」ことがパワー
信じる対象というのは、絶対的な存在は無い、と言い切ってもよさそうです。
何かを信じるか、信じないか、本当かどうか、信じて騙されたらどうしよう・・・などなどと日常的に思うことがあったら、対象や結果ではなく、ご自分を信じましょう。
「いや、その実は、、、自分が信じられなくて!」とお感じなら?
ざっくり言うと、自分を大事にすることをしばらく行ってあげましょう。
簡単なことでもOK。いたわる、休息をとる、遊ぶ、学ぶ、イヤなことをやらない・・・すると、少しずつ、信じられる自分に戻っていくでしょう。
そもそも、「信じる」ことがパワーです。
エネルギーをうみだします。どのように、何を信じるかは問われず、むしろシンプルに「信じる」が最強です。
対して、むやみに「疑う」ことはエネルギーを消耗し分散します。
無心に「信じる」なかでは、疑いはプロセスの一部にすぎません。
(5)ホンモノか?
信じる対象がホンモノかどうかは肝心です。特に情報、知識、ノウハウなどです。
今どきは、表向きは同じくように見えたり、聞こえる情報、知識、ノウハウで溢れています。
「えっ、同じ内容であれば、同じでしょ?」とすぐ思われるかもしれませんが、その情報、知識、ノウハウがどういう目的で出ているかによって、読み手・聞き手の受けとるものは、甚だ異なります。
その差異を、すでに実感している方々も、少なくないことを願いますが。
先の「風水」に戻りますが、風水の本家、ルーツを紐といて深く関わってみるなら、本物の風水は人生の発展が通じるもののように感じます。
ずれたものを信じていても、それにハタと気づくと、後は早いのが前出のIさんです。
信じることについては、人それぞれの処世術があります。
Nさんは、お会いするたびに、信じる対象がよく変わります。
Nさん「最近、これにはまっていて、すごく参考にしているんですよ。これ自分に合ってますよね?」
その確認をしにセッションを使っていらっしゃるような感じですが(笑)
Nさんを拝見すると、ときどき、体が透明に(透明人間?)なるときがあるようです(イメージです)。
Nさん「透明な感じってわかる気がします、たぶんときどき無になりたくなると、◯◯◯に行って、ぼーっぉとしてるから。スマホは一応持っていくけど、機内モードにしてるし ww」
なるほど、信じるものからも解き放たれる時を設けていらっしゃるのですかね。