人間の感情は、表に表しているそれと異なる心情を抱いていることがよくあります。
学術的に研究されるレベルの論文や一般向けのニュース記事にも、たとえば、「怒りを抱えている人は、根底に悲しみと恐怖がある」とか、「過去の出来事に支配されているため、怒りを抱えている」などのケーススタディがあがってきます。
怒りは力強いエネルギーで、破壊力もあります。
怒っている人たちの表情、言動は伝達力が強く、多少敏感な人であれば、「怒っているけれど、本当はこうなのかな」という裏のメッセージを受け取れてしまうでしょう。
怒っている当事者は、怒りに成り変わる前の、自身の状況や感情の変化に自覚がある場合も多いようです。
その段階でうまく解放できないまま、怒りを煽られるようなことに遭遇したり、逃避するもの(中毒や依存的なものが多い)に逸れてしまうと、怒りがさらにヒートアップします。
怒りがデフォルト化すると、さまざまなものが怒りのスクリーン越しに見え、悪意があるように聞こえ、不愉快や不満として受け取りがちです。
その頃には、感情を立て直す余地を見失い、多くの意識は怒りの対象に向かってしまうようです。
怒りから、復讐劇や、戦いに発展することは、歴史的にも散見しますね。犯罪や不可解な事件の多くは、怒りが引き金になっており、その背景には感情的なドラマや、怒りを操るような存在や成り行きがあるものです。
強い怒りは、少々なことでは扱いが難しく、3次元構造では、怒りのエネルギーを爆発させるまで解放しにくいようです。この爆発がうまく転化すると、大胆な表現者や活動家などになります。
怒りの裏に隠れている感情については、先の悲しみや恐怖のほかに、どのようなものが挙がってくるでしょう?
怒り、ほかの感情、それらを包括する何かがあるはずです。感情と同じラインに関心を向けていても、少々らちがあきません。
「メタライフ・セラピー」でご自身のコミュニケーション全般について取り組んだTさん。
Tさん「家族や、何人か強烈な知人との関係にすごく影響を受けてました。そういうことは、今までセラピーを受けたり、〈あなたの過去世のカルマからきている〉と視える人から言わりもしたんですが。それはそれで受け止めながら、まだちゃんと抜けきれていないものがあります。わかっちゃいるけど気になる、みたいな」
メタライフの観点から、多次元の構造でとらえるなら、関わりのある人たちとの精妙なところが紐解けていくかもしれません。
3次元から徐々にTさんの意識体験を上げていきました。Tさん自身の多次元意識には、わかっていることがありそうですから。
Tさん「はぁ、本当のことをわかっていない。真相がわかっていなかった?!」
多次元意識では、感情のラベル(これは、怒り、悲しい、嬉しいなど)に影響されない領域のようです。
Tさん「浮かんできた場面は、私が中学3年の夏、高校受験前のことで、当時の両親の間であった揉め事なんですが・・・・(略)それで、家のなかだけでなく、身内も巻き込んで、みんな超怒っていたんです。私は暴力や声は荒げませんが、黙って、モヤモヤした怒りや不満を心の奥に閉じ込めていました。
次元が変わったら、親、身内、他の当時の人たちにも、みんな何かあったんでしょうね。」
諸々の次元移行を終えてから、
Tさん「たぶん、怒りざんまいな母は悲しかったり、寂しかったんだろうし。みんないろいろあって、誰も本当にわるい人や、わるい状況ではないんですよね。なぜ家族が仲悪かったのか、私はその原因を知ろうと頑張っていた時期もありますが、今の体験で、原因の中身を知ろうとしていたのも、怒りの残骸なのかなと思いました。」
知的な方、真面目な方は、怒りを感情や態度であらわすより、原因を究明したり、理で制することを好む傾向にあります。
暴力や破壊行動よりは温厚に思えますが、怒りのエネルギーの本質につながっています。追求、究明もプロセスですが、赦しや、受容や、より包括的な気づきにくい状態のようです。
大きな怒り、長期化する怒り、日常の些細なことでのイライラ系など、怒りやイライラを制圧するのが難しいようなら、ある種の「真相」「本当のところ」に気がついていない可能性が高いのです。
私たちは、とかく頭が良すぎて、また意識は関連のあることでストーリーを創りあげる傾向があるため、怒りにつながる物語にハマりやすいものです。周りからも、その類の物語は提供されます。
怒りやイライラに、丁寧に光を当てると、ある種の「本当のところ」、自分にとってわかり得る「真相」に繋がり、怒りのエネルギーから解放されやすくなります。
誰か、何か、経験、などなど固定化したものによって、怒りなどの感情を感じている領域が、いわゆる3次元領域の特徴です。この領域での奮闘は、膨大な時間とエネルギーを使います。
怒りのエネルギーの密度は重たいものですが、その密度を精妙にすることで、扱いが自由になるわけです。ちなみに、怒りは、この地球の重力に留まるほどの重さです。
怒りから強い執着に至ることも非常によくあります。
怒りや、怒りから派生する強い悲しみ、呪いなどが、地縛る?のも合点がゆきます (^^;
ときには、自分自身ではなく、相手や誰かがとても怒っているか、怒りから派生する言動をとっているところに遭遇するかもしれません。
ここで、「なぜ怒っているのか?」「怒りの奥にはどんな感情があるの?」「怒っている理由をわかってあげよう」とする方法も、対応の候補にあがるでしょう。
しかし、相手の怒りに巻き込まれたり、相手の怒りをヒートアップさせる可能性もあります。なぜなら、自分が怒りと同じラインにいる(同調)ためです。
ここで紹介する方法は、ご自身も怒りを潜在的に留めているときは難しいのですが、何かヒントになるかもしれません。
それは、物理に適度なスペースはとりつつ、「怒るだけの何かがあるのだろう」という、無関心ではないものの、共鳴しつつ、健全な境界線を設ける意識です。こうしてあげようといった親切心や、善意のコントロールは不要です。これらは相手の怒りのなかに踏み込み過ぎてしまいます。
すると、適宜関わり方が自然に取れるようです。「怒り」よりも波動を上げることで、自然な流れへと促します。
怒りや怒っている相手を、まんま否定したり、阻止しようにも、力負けします。
この結果、その怒りの状況や相手とは関わりを持つ必要がなくなるかもしれないし、自ずと真相に準じた流れに向かっていきます。感情の領域を越えた真相へとです。
そもそも怒っている人自身も、何で怒っているのか、真相がわからない怒りや、誤解や勘違いだってあり得ますので、同じレベルで接するのは、難儀です。
特に人間関係において、誤解や勘違いは、非常に多くの怒りを発生させます。