ある時期、どうしても我慢せざるを得ない状況に置かれたことはありますか。
実際に「真に我慢が必要だったか」はさておき、自分の経験や他人の様子を見ていると、抵抗したり、解決策を模索したり、人に助けを求めたりした結果、結局は我慢するほかなく、状況を受け入れるしかなかった──そんなエピソードは珍しくありません。
こうした我慢には、多くの場合、困難やトラブルが伴います。
健康上の問題、自然災害、事件、仕事や活動におけるトラブル、人間関係…。
多くは間接的に人が関わっており、特に家族や身近な人に対する我慢は、他に助けを求めることが難しい傾向があります。
時には解決方法が見つからず、努力や根性で乗り切ることもあるでしょう。
もしその経験が後に役立ち、自分なりの意味付けや解釈に繋がれば、我慢は自分にとって糧となります。
しかし、たとえ現在の生活に直接影響していなくても、記憶を辿れば蘇る「耐えがたい我慢」もあります。
完全に悪い経験と感じていても、そこから得られる何かがあることもあります。
押さえ込むエネルギーと反発
我慢を「押さえ込まれたエネルギー」と捉えるとわかりやすいかもしれません。
限界を超えると、その熱は反発し、コントロールしにくくなります。
お酒を飲んだとき、羽目を外したとき、日常の我慢が思わぬ形で噴き出すのはよく知られたことです。
例えば、食欲や買い物、軽犯罪など、一見無関係に見える行動が、実は歪んだ我慢の反映である場合があります。
耐えがたい我慢が長期化すると、その怒りの矛先が組織や社会へ向かうこともあり、それを悪意ある者が利用するケースもあります。
何によって我慢を発散させるかは、人や状況によってさまざま。
同じ行動でも、何を押さえ込んでいたかは人それぞれです。
時には本人すら理由を特定できないこともあり、それは無意識や自然界の「エネルギーの計算式」のようなものに従っているとも言えるでしょう。
原因と結果のずれ
私たちが認識する原因と、その結果として現れる行動は必ずしも一致しません。
我慢していた対象に直接ぶつけるとは限らず、しかも我慢の時期が過ぎてから発散されることもあります。
このズレが大きいほど、本人は反省しても「なぜそうなったのか」理解することが難しくなります。抑圧が重なれば、自己理解すら曇らせてしまいます。
クライアントさんの中にも「自分の感情や行動が抑えられない」と悩む方は少なくありません。
周囲から指摘を受けることもあれば、大きな迷惑ではないにせよ、自分らしくない感情や行動に違和感や嫌悪感を覚える人もいます。
また、普段から周囲に気を遣っている人ほど、自分の状態に気づけず、他人の怒りに鈍感になる傾向もあります。
文化としての我慢
「自分が我慢すれば状況が収まる」という価値観は、日本の文化や民族的意識に深く根付いています。
若い世代にも見られますが、我慢の対象や方法は世代によって変化しています。
我慢に美徳を見出しすぎると、問題を大きくしたくない気持ちが強まり、穏やかさや平和を尊ぶ意識とも結びつきます。
しかし限度を超えると、押さえ込んだ熱は反発します。周囲はそれを察し、おおらかに受け止める場合もありますが、発散の形によっては社会的な迷惑行為に繋がることもあります。
数年前まで家の事情で、感情や生活の多くを我慢されてきたKさん。
努力と環境の変化で今は穏やかに暮らしていますが、疲れる出来事や気になる課題が重なると、感情が急に抑えられなくなることがあるとおっしゃいます。
たとえば「我慢は愛情や良識である」という意識があり、それ自体は悪いことではありません。
ただ、不自然に我慢を続けると、過剰な気遣いなどの形でさらにエネルギーを消耗します。
ほかにも、気遣いが行き過ぎておせっかいになったり、意地悪(やさしくなれない)、心配や臆病さといった態度に転化することもあります。
興味深いことに、人は「気遣い」の言動について、それが自然で心地よいか、状況にそぐわないかを感覚的に察知します。本質が非言語であるため、伝播する性質のものなのかもしれません。
我慢と過度な気遣い
感情もエネルギーであり、すべての我慢やそこから生じる気遣いが不本意なものとは限りません。
本当に価値ある「我慢の時期」もあるでしょう。
それは精神的に納得できるもので、自然界の嵐が過ぎるのを足場を固めて待つような時期です。
長年、自分の本意を優先できない状況にあった人が解放されると、スピリチュアルとの関わり方も変わります。
修行や忍耐の時期を経た後には、自然に自分と深くつながっている姿が見られます。
不自然な我慢や気遣いは、そのもの以上に「面倒くささ」や「しんどさ」を伴います。
今つらい状況にあるなら、むやみに「我慢しよう」「ムリしても気を遣わなくては」と力むより、その欲を手放してみると楽になるかもしれません。
そうすれば、当初のつらさはあるがままに感じ、だいぶ向き合えるようになるはずです。
我慢を強いている苦しみは、必ずしも現実そのものが生み出しているとは限りません。
今あなたが何かを我慢していらっしゃるようなら…このコラムが参考になれば幸いです。