妬み(ねたみ)と嫉み(そねみ)が絡み合う「嫉妬」は、愛憎関係だけでなく、たとえばビジネスや芸事(才)の世界でも、よく耳にするテーマです。
クライアントさんからも、稀に
「嫉妬をされやすい」
「ねたまれて、きつい言葉をかけられた」
「友人たちに先を越され、ねたんでいる自分が嫌だ」
といったお困りごとを伺います。
それらが物理的に双方を傷つけるようなことがなければ、心にしまい込まれていることが多いようです。
けれど、ふとした瞬間にまた同じ感覚が立ち上がると、「なぜ自分はこういう目に合うのだろう」と折に触れて考え込んでしまうこともあります。
「ちょっとうらやましいな」という気持ちや、憧れのようなものも含まれるかもしれません。
けれど、一線を越えるとネガティブに転じるのが嫉妬です。越えてしまうと、なかなか厄介なものになります。
細かいシチュエーションやドラマ的な展開はケースバイケースですが、今回は妬み・嫉みを心理的にもエネルギー的にも構造として紐解き、そこから俯瞰して見られる対処法もご紹介していきます。
すでに「自分にはその傾向があるかもしれない」と気づいている段階で、あなたは一定の俯瞰意識(メタ意識)に立っているとも言えるでしょう。
妬み・嫉み・僻み(ひがみ)の整理
一般に、妬みは「相手が持っているもの」への羨望・嫌悪・憎悪。
嫉みは「相手が受けている好意や評価」への独占欲。また僻み(ひがみ)は、それらが屈折して自己防衛的・攻撃的になった状態と整理できます。
妬み(ねたみ):
相手の才能や成功、幸福などを素直に認められず、「自分にないものを持っていて羨ましい、憎い」と感じる気持ち。自分の不足感からくる苛立ちでもあります。
例:「才能ある同僚に妬みを感じる」
嫉み(そねみ):
相手が受けている愛情や注目、評価などに対し、「自分も欲しい」「相手から奪いたい」という、より独占的で強い感情。自分にも向けられるべきだ、という欲求が前に出やすい。
例:「恋人が他の人に優しくするのを見て嫉みを感じる」
これらは自己愛の延長上に生じることが多いともされ、自己評価や自尊心とも深く関わります。
※参考:Forbes Japan
「条件付きの承認」への憤り
認められたり、愛されたり、褒められるためには相応の条件が必要だ——そして、自分を受け入れてもらうにも条件が必要だ——嫉妬には、こうした信念体系が絡んでいることがあります。
「あるがままの、ふだんの自分」では、(元々は特定の対象があるのに)どこか漠然とした“何か”に認めてもらえない。
その憤りが、妬みや嫉みの燃料になることがあります。
さらに、相手のことをよく知らないのに、ある一点だけを過度に羨んだり妬んだりしてしまうとき、心の内側には漫然とした不満や文句が多いという特徴が見られることもあります。
人がうまくいっていたり、幸せそうな姿を垣間見た瞬間に、その不満に火がつき、「火に油を注がれた」ようになるのかもしれません。
また幼児性や子供の感情が湧き上がり、注目を求める嫉妬心は大人でもよく見られる傾向のひとつです。

“嫉妬されやすい人”側に起こりやすい、ひとつのパターン
Aさんは、仕事でも人間関係でも堅実に積み上げるタイプで、成果も出ています。
本人はひけらかすつもりはなく、むしろ周りに合わせて控えめにしているのですが、ある時から同僚のBさんに、細かな揚げ足取りや皮肉、意図的に情報を回さないといった態度を取られるようになりました。
Aさんは「自分は何かしただろうか」と悩み、まず謝ったり、気を遣ってさらに控えめに振る舞います。
しかし状況は改善せず、むしろBさんの棘が増していく・・・
こうなると、Aさん側の課題は「相手の感情を鎮めようと自分を縮めること」になっていきます。
嫉妬そのものより、境界線の揺らぎが疲弊を増やしてしまうでしょう。
嫉妬される側/する側に共通する軸
他者から嫉妬されること。自分が誰かをねたむこと。
一見すると反対側の立場ですが、どちらも共通の軸を通っています。だからこそ、どちらの状況にいるときにも参考になることがあります。
嫉妬に関連する課題があるときは、以下の視点を両方から試してみるとよいかもしれません。
▪️エネルギー的に見た「投影・共鳴・境界線」
エネルギーの観点では、嫉妬は「相手の内側の痛み(不足感・承認への渇き・悔しさ)」が、外側の誰かに投影されて起こることがあります。
そして投影された側が、無意識にそれを受け取り、申し訳なさや遠慮で自分を小さくすると、相手の不足感とこちらの遠慮が共鳴して固定化しやすいものです。
ここで大切なのは、相手を変えようとすることよりも、まず自分の境界線を保つことです。「私は私、あなたはあなた」という線が戻ると、相手の感情をこちらが背負う回路が弱まり、関係性の空気が変わり始めます。
嫉妬を“解決すべき出来事”として追うより、自分の側の反応(縮む・合わせる・背負う)をほどくほうが、現実的に楽になることが多いでしょう。
▪️ ねたまれる前に還元する
ねたまれる対象と同じ内容でなくても構いません。自分の余力のあるエネルギーを、何かに還元する。資産の多い人が積極的に寄付をする背景にも、似た循環の感覚があるでしょう。還元は、巡って自分にもエネルギーを戻します。
▪️当たり前すぎる恵みに、内側から感謝が湧く状態へ
「感謝しよう」とするのではなく、自然に「ありがたいな」「恵まれているな」と感じられる感謝です。
これは、様々なものがつながっている——ワンネスの感覚にも近いでしょう。
▪️「ねたまれやすい」人ほど、不満や文句を抱えている場合がある
それは、ねたまれる内容と無関係なこともあります。
うまくいっていることよりも、うまくいっていないこと・欠乏や不足に意識が向きがちです。
もし「相手をうらやましがりすぎている」と気づいたら、あなたが当たり前にうまくいっていることへ意識を向けると、うらやましさは自然に萎んでいくことがあります。
▪️ 自分がうまくいっていても、人がうまくやっているのが許せないタイプ
ほぼ無意識に反応してしまう人もいます。
「認めてほしかった」「無条件に受け入れて(愛して)ほしかった」「強い願いを聞き入れてもらえなかった」——こうした体験が関係しているかもしれません。
たとえばエネルギーワーク(アクティベーション等)で一時的に楽になっても、何かの弾みで再燃するなら、マインドのレベルで“納得すべき事情”が残っている可能性もあります。
▪️切磋琢磨や向上心に変換してみる
特にビジネスや限定された活動の場では、特定の要素を私情で捉えやすいことがあります。
妬みが発生する環境はストレスも強いもの。リラックスできる時間や、自然に癒される有機的な体験でリフレッシュしましょう。
ちなみに、私がセラピー関連の仕事を始めさせていただいて、比較的早い時期に認識したことの一つは、
「憧れたり、羨むほどの人はいない(ファン/推しは除く)」
という感覚でした。
人それぞれ、いろんな事情があります。何かに成功したり、うまくやっているように見える方にも、やはり様々な事情がある。
そしてその“様々”は、ドラマや物語、データや理論、メディア越しに理解する「間接的で加工フィルター」をもつものとは異質です。本当に一人ひとりがユニークに抱えている、独自の諸事情だという感覚です。
決して私が何かを悟ったというより、人生さまざまという断片と深く関わる機会に恵まれたからだと思います。
一方で、「自分の人生はうまくいっていない」と嘆くほどの方も、実はいらっしゃらないとも感じます。
誰かと比べて優劣を測っている間は、自分の価値に気づくことから目を逸らしているようなときでもあります。
もし、うらやましい、ねたましいと感じたなら、
「なぜ自分はそう感じるのだろう?」
羨ましがられる、ねたまれやすいと感じるなら、
「自分に授かっているギフトは何かな?」
と自分の心に問うてみるのは一案です。
すると、ご自身なりのトリガーを見つけられるかもしれません。





















