年末のセッションになるほど、お疲れの影響で、課題が問題化し、悩みを抱えていらっしゃるクライアントさんが目立つように感じております。
お疲れの種類はさまざまです。
⚫︎ 文字どおり一年の終わりが近づき、一年分の累積疲労が心身に負担をかけており、疲れによるしんどさが、その方の現実をよりしんどく、辛くさせるものに「脚色」している。
⚫︎ なんとなく疲れは感じているけれど、疲れている自覚がなく、思考や行動が同じ回路をめぐり、抜け出せない。
⚫︎ 一年以上、数年分のお疲れが溜まり、それが自分の人生観や性分になっており、現実以上にもがいている。
⚫︎ 他人のお疲れを、一緒に背負い込んでいる。
⚫︎ 日常的に疲れさせるもの(エネルギーを消耗させる物事)とつながり続け、そこから抜け出すパワーがなく、さらに疲労が募る。
⚫︎ 疲労のもとに気づいて、積極的に疲れから回復しようと努めているが、疲れが抜けきらない。
ディテールは人それぞれですが、いずれも、心身の疲労が取れたなら、問題視して困るような状態ではない、という具合です。
また、疲労がこびりついているときほど、過度に問題や課題をなんとかしようとします。
解決すべく、問題の原因や因果関係を明らかにしようとします。それが、問題や悩みから解放される方法だと思っているからです。
一見すると、論理的で根拠に沿った思考に見えますが、言語化してみると、かなりスカスカな話の道すじや裏付けによるものです。
自分がそう感じている、考えている、という気がしていても、周囲からの無作為な情報や、通年、だいぶ昔からの常識、諸条件の異なる事例から導き出した結論などによって、コントロールされていることが多いようです。
ナチュラル(自然)に回復する力があることを忘れがちになります。
そして、もっとも自然で無理のない変化に向かうことにも、先入観や思い込みが邪魔をして、「流れに任せてみる」ことを妨げるようです。
自然に任せることと、放置や無関心は異なるものですが、無責任に感じてしまうようです。
何かに固執しがちな状態も、心身の疲労によるバグから起こることかもしれません。
疲労というと日常的によくある状態で、動けるけれどしんどいとか、元気はないけれど生命機能は維持できる、というように、自己では認識しにくいところもあります。
しかも、疲労に慣れてしまうと、疲労に対しての感度や対応についてもわからなくなっていきます。
実際、現代は、自分の疲労具合をスマート計測(スマートウォッチ、リングなど)して認識することが浸透しています。
そのようなデバイス経由で認識するコンディションも、ある種の正確な指針になるでしょう。
特に社会的な行動や生活に対しては、健康状態や疲労度を知る目安になるものです。
しかし、これは「ひと事としての自己」に対する向き合い方になりがちです。
“なんとなく客観的”、と呼ぶとわかりやすいかもしれません。
曖昧な客観性、あるいは他者から見た自分を知る、ということが多くなるほど、自分で自分のことがわかることが苦手になります。
そして、他者に対しては、他者自身の感覚や本質を感じ取ることが難しくなり、自分のものさしで他者をジャッジしがちになります。
さらに、その違いについても気づきにくくなるでしょう。
今月のイヤーリーディングでも、疲れの状態の層が厚い方ほど、ご自身の来年を心配するスタンスになりがちです。
その心配するスタンスは、誰かや何か、別の物差しを軸に据えてしまっているようなのです。
また、疲労が溜まるほど、自分のエネルギーが弱くなりますから、オーラの領域でも主張が弱くなります。
ご自分が心に決めた進路に対して、「自分が一旦仕事をやめようと思う、と話すと、周りから『やめてどうするの?』と聞かれることが多く、そこで二の足を踏んでしまいますね」とおっしゃる方もいらっしゃいます。
よくそういう反応が返ってきそうな社会ではありますが、その反応が、さらに気になりすぎるというのが疲労の特徴です。
お元気になると、すっかり気にならない、気に触らないようなことに、必要以上に気を取られる(自ら買って出て、エネルギーを取られる)傾向があります。
その方の体質、気質、性分もありますが、疲労がまず肉体に現れやすい方、メンタルや言動に出やすい方、自分なりの何か特徴的な兆候がある、などさまざまです。
疲れること、疲労自体は、しかるべき状態です。
お話を伺うと、「あれもやった、これもやった」「海外に行って飛び回ってきた」という経験の後、「最近ぐうたらして、やりたいことがちゃっとできていないんです」とご自身を嘆かれる真面目なクライアントさんもいらっしゃいます。
むしろ、疲れるほうが、心身の機能は正常と言えるでしょう。
そして、がんばったことを忘れてしまっている、などというのが、疲労によるバグかもしれません。
なかには、身近な人が、あなたの疲労具合をよく知っていることもあります。
「あっ、またイライラしているから、疲れているんだろうな」
「同じ話ばかり繰り返している」
「最近、よくモノを落として壊している」
という具合です。
直接指摘することもあるし、ただ気づいていてスルーする場合も多いでしょう。

何もあなたの疲労に対して手助けをしてくれない、と不満に思うかもしれませんね。
しかし、言動に出さないまでも、誰かが疲れていることに気づいてくれているだけでも、微力になるものです。
ノンアクティブで、積極的ではない微力ですが、あなたが遠回りしても、自分がその疲労をどうするのかに気づかせる「推し」になるでしょう。
軽度な疲労、早期に気づく疲労ほど、ダメージは少なく、疲労からの回復はスムーズです。
人生の年単位で疲労を蓄積すると、それ相応に回復時間やプロセスを要しますが、むしろそれは自然なことです。
長期的なメンタルの落ち込み、魂の喪失は、復活するプロセスに大切な癒しや滋養があるものです。
なお現代は、便利でスピーディな技術やサービスとの関わり方を工夫する必要は大いにあります。
容易にできる、誰でも完璧にできる……確かにかなり楽です。
しかし、その実現に要するエネルギーと関わる以上、相応に休む、エネルギーを補給する、といったことが不可欠です。
それらを怠ると、便利な世の中のはずが、自分には生きづらいものに感じはじめていくようです。





















