人間の認識から考える「宇宙」が完全なるホールネス(全体性・Wholeness)に基づくなら、宇宙と宇宙の間(はざま)はあるのでしょうか?
「宇宙」が全体なら、間も含めての宇宙・ユニバースなはずです。
しかし、ときには、その全体性、ワンネスである宇宙に、自らが狭間のような仕切りや隙間を見出して、分断した宇宙の間を彷徨うことがあるようです。
それが、通称「宇宙と宇宙の間を彷徨う(さまよう)」ことです。
ずっと彷徨い続けて長くなることもあるでしょう。
細かいですが、「宇宙を彷徨う」と言えば「家」や定点に帰って来れず、孤立や空虚なイメージです。
一方、「宇宙と宇宙の狭間を彷徨う」は、こちらもやはりなかなか帰っては来ませんが、常に戦いや奪い合いが起こり続け、ある種の力が必要になります。
その力は、世俗が認めるさまざまな力の象徴です。
地位、財、名誉….. 霊的なパワー、覚醒力なども含まれます。力となる薬物、知恵でさえも。
おや、霊的なエネルギー、パワー、直感力、覚醒、知恵なども?と思われるかもしれませんね!いずれも、宇宙の間を彷徨う方向に繋がってしまう方は少なくないようです。
力はエネルギー源であり、力の対象が何であれ、違いはありません。
誰しも、パワー、力、元気など必要ですし、もっと欲しいと思うことは非常に自然なことです!
このとき、それらの「力」の源は、ある意味、完全に永続的に所有できるものではなく、自然界や、それこそ宇宙全体に存るものを借りて、一時的に所有したり、身につけてまとうような、はたまた共有・シェアする性質があります。
代表的な例としては、現状の人類では「生命」の力です。
とある「力」を得ることに、あまりに強烈に執着しすぎて、ついに「力」に飲み込まれて、自らが宇宙と宇宙の狭間に入ってしまうことが稀にあります。
ふつうの執着であれば、「力」に吸い込みれないような、そこそこの匙加減が起こってくれています。
ちょっとシュールな話、宇宙の解釈に感じられるかもしれませんね。
しかし、日常的にちょっとヒントになりそうなポイントはあります!
それは、ご自身にとって、得たいと望む状況、願望が・・・「どうにもうまく進まない」「(象徴として)力が手にはいらない」ときは、幸い、宇宙と宇宙の間は彷徨っておらず、ある宇宙(次元)に於いて生きているということです。
ここで、「それなら、力を得られる、望むほうの宇宙(次元)に行ってしまいたい」などと考えてしまう方もおられるでしょう。
彷徨うことに繋がりやすい「力」を求めるマインドは、Aという地点からBという地点への移動や変化を期待しやすいようです。
しかし、これが、宇宙の狭間とまでは言わないまでも、日常的に葛藤や迷いを起こしやすくなり、プチさすらい人に誘います。
物質だけでなく、カタチのない望みでも、想念の領域ではカタチに匹敵する力が十分にあります。それらを完全所有したり、手に入れたがる強い圧があると、反発が起こります。
その反発に負けじと、さらに貪欲に執着すると、ぴょんと宇宙と宇宙の間に飲まれてしまいます。
「力」の対象が強いものであり、力への憧れや執着が強いほど、宇宙の溝に落ちてしまいそうですね。
高次のエネルギー領域になる講座(セイクリッドアクティベーションLevel1)を受講されて、
Kさん「もう何年も、修行の旅やパワースポットが好きで、よく出掛けていました。一時的にはエネルギーをもらえるのですが、帰ってきて暫くするとまた元に戻ってしまい、まだまだだと思っていました。
自分にエネルギーを流せるようになり、人にも送ってあげられるようになるととても楽しいし、自信が持てました」
と、とてもワクワクしたご様子の感想をおっしゃっていました。
その後に、またお好きなパワースポットや自然を訪れてみると、その実感が内側から起こることを体験されていらっしゃいました。
パワースポットや修行には、自らのパワーと共鳴し醒ましてくれる作用があり、その段階になると、「どこに」「誰に」パワーがあるのか、という思考から抜け出せていくでしょう。
自分には、とある「力」や願望の状態が備わっておらず、それを執拗に求める戦いとは、そもそも自らに備わっている潜在的な「力」を放棄してしまっているものです。
そのため、遠くの「力」に引っ張られるほど、自分自身が分離してしまいます。
それが、比喩的に宇宙と宇宙の間を彷徨う状態になりますし、行動や態度、心身の状態、人生そのものが、どこにいるのかわからない状態になってしまうこともあります。
宇宙の間を彷徨っている存在や組織と繋がっていても、状況は同じようです。
ところで、宇宙と宇宙の間に入ってしまった人たちのことは、今まで一緒にいた世界の人たちからは、もう見えなくなってしまうみたいです(物理的に)。
….少々謎めいた話でした(^^)